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迫害の先にある喜び (使徒言行録8:1後半~8)

メッセージ
2020/05/24
富里教会礼拝説教
「迫害の先にある喜び」
(使徒言行録8:1後半〜8)

① 苦難の始まりー迫害
今まで、私たちはこの使徒言行録を通して、聖霊の確かな力を見てきました。聖霊を待ち望む使徒たちに約束の聖霊は降りてこられ、復活の主の証言者として歩む力が与えられました。そして、そこから始まった初代教会は、その使徒たちの復活の主の証言により本当に多くの人たちが悔い改め、イエス様を受け入れました。どんどん初代教会は大きくなり、周囲の人にも好感を持たれるようになり、多少の嫌がらせなどはありつつもある意味順風満帆に進んでいきました。
しかし、あることがきっかけとなり、この初代教会は大きな苦難、大きな迫害に立たされることになるのです。しかし、実はこの迫害から福音宣教は思いもよらぬ大きな転換点を迎えることになるのです。迫害という一見ピンチに見えるものが初代教会において大きなターニングポイントとなった。このことを今日は特に覚えていただきたいと思います。
さて、ではその大迫害が起こるきっかけとはなんだったのでしょうか。それはステファノの殉教でした。復活の主の証言者は殉教者でもあると以前語りました。その象徴的存在がステファノと言ってよいでしょう。ステファノは信仰と聖霊に満ちた人と呼ばれ、周囲からも非常に信頼を得ていた人でした。このステファノがユダヤ人に対して厳しく非難したことにより、ユダヤ人たちは大声で叫び、耳を手で塞ぎ、一斉にステファノに襲いかかり殺してしまったのです。この殉教がきっかけとなり、その日から初代教会の人たちへの大迫害が始まりました。
そのひどさは13節での「家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」と言う描写からもよくわかります。ここにでてくる「荒らし」と言うギリシャ語は野獣が人間の体を傷つけるときの荒々しい様子を示す言葉で、相当激しい迫害だったことが伺えられます。そして、その迫害を先頭に立って行なっていたのがサウロ、後の大宣教師であり多くの聖書にある書簡を残したパウロでした。パウロは最初ユダヤ教に対する熱心ゆえにステファノの殺害に賛成し、多くのキリスト者を迫害し、殺そうとまでしていたのです。
そして、その大迫害という中で、初代教会の人たちは散り散りばらばらになってしまいました。大きく分けて、ヘブライ語を話すユダヤ人である使徒たちは迫害があってもエルサレムに残りました。勤めに対する忠実さでもありますが、迫害の原因がステファノの反ユダヤ的神学にあり、迫害が主としてギリシャ語を話すユダヤ人に向けられていたからだと言われています。つまりエレサレムから離れていったのは、そのギリシャ語を話すユダヤ人なのです。
しかし、ここでは逃げる必要がなかったから残った、迫害が怖かったから逃げたという単純な理由だけでもないように思うのです。神様はそれぞれに対して、ちゃんと意図をもって役割を与えていたゆえの散り方だったとも思うのです。エルサレムに残った信仰深い人々はステファノを葬り、大変悲しんだとあります。死刑囚の死体を深い悲しみに満たされて埋葬することは当時において反体制的行為であり、大変勇気がいる行動です。ステファノのキリストへの信仰を正当と証言するある意味、信仰告白といってよいでしょう。アリマタヤのヨセフやニコデモが危険を顧みずイエス様の死体を引き取り、丁重に埋葬した姿を彷彿とさせます。
他方、ギリシャ語を話すユダヤ人とは、元々ギリシャ文化に対して親しんでいる人たちであり、純粋なユダヤ人と比べて、異邦人に対する免疫もある程度持っている人たちでした。その人たちが散っていった先がサマリヤでした。そこに、彼らであるからこその役割が神様から与えられていたのです。そのミッションとは、ユダヤ人以外への福音宣教でした。

② ユダヤからサマリヤへと
サマリヤと聞いて「あれ?最近なんか聞いた言葉だな。」と思った方はおられませんか?そうです。昇天前にイエス様が弟子たちに宣言なされた言葉を思い出してください。それは「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」という預言です。
迫害は大きな試練でしたが福音宣教の歴史の上では思いもよらない前進と拡大の1ページとなったのです。この誰もが不運と思うような迫害という苦難は、イエス様の預言、約束の成就であり、神様のご計画の新たなスタートでもあったのです。
そのユダヤ人以外への福音宣教に最初に選ばれたのがこのサマリヤという地であることにも深い意味があるように思います。イエス様の時代、ユダヤ人とサマリヤ人は犬猿の仲でした。サマリヤは元々北イスラエル王国の中心都市でしたがアッシリア帝国に滅ぼされ、その地にはアッシリアの住民が移住することになりました。結果、サマリヤ人は雑婚によって民族的純粋性をなくし、宗教的にも異教の影響を受けるようになりました。ただユダヤ人と同じく、救い主メシアの存在を信じ、現れることを待ち望んでいた点は共通していました。似て非なる、というところでしょうか。そんなサマリヤ人をユダヤ人はゆるせず、宗教上、民族上どちらにおいても対立していたのです。
しかしイエスさまはあえて、サマリヤに行き、そこの夫人にご自身を示し、結果多くのサマリヤ人がイエスさまを信じました。また、イエスさまは隣人とはだれかを教えるたとえの中でサマリヤ人を例に挙げ、かたくななユダヤ人の非を指摘されました。これらのエピソードはイエス様のサマリヤ人に対する愛、慈しみを感じます。
半分ユダヤ人で半分異邦人のようなサマリヤ人。近くて遠い隣人、サマリヤ人。愛しやすいようで実は最も愛しにくいような存在。それでありながら、最も足元にいる存在。遠い地の果てローマからではなく、目の前にあるサマリヤから喜びの知らせを伝え、その和解の福音ゆえに敵意は打ち砕かれていきます。私たちにとってのサマリヤ人とはだれでしょう。家族であったり職場の人かもしれません。人それぞれでしょうが、遠くの誰かもいいですが、目の前のあの人をという意識を忘れずにいたいものです。

③ ただの災難と受け取るか、神のご計画と受け取るか

14節「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」

不仲の敵地サマリヤへと入っていった人々は、大胆にも福音宣教をはじめました。ギリシャ文化にも触れ、ある意味純粋なユダヤ人ではない彼らの方がサマリヤでの宣教には適していたことでしょう。殉教からの迫害という災難から逃げてきたのではなく、福音宣教という神様のご計画ゆえに彼らはサマリヤに派遣されていたのでした。迫害は福音の流れを阻むどころか、むしろ神の驚くべきご計画によって、福音の前進のための助けとされたのです。
その事実、神のみこころを離散した弟子たちは、しっかりと認識していました。なぜなら、彼らはその逃れてきた地、サマリヤにおいて「福音を告げ知らせながら、巡り歩いた」とあるからです。普通、彼らの状況だったらどうでしょう。仲間が無残に殺されて、そこから火がついたように迫害が始まり、いつ自分も殺されるかわからない。そんな状況でサマリヤに避難してきたわけです。
私だったら、「もう、いやだ。イエス様を信じてもいいこと一つもない。なんで、神様はこのようなことをされるのか理解できない。とりあえず、怖いから隠れておこう。」こんなふうに考えて、拗ねていたかもしれません。有名な種まきのたとえ話でいう、石だらけのところにまかれた種ですね。艱難や迫害が起こるとすぐに、つまずいてしまう(マタイ13:20−21)。
しかし、彼らは違ったわけです。彼らはよき土地にまかれた種、みことばを聞いて悟る者(マタイ13:23)でした。イエス様のあの「ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」という言葉をしっかりと受け止めていたのです。
迫害という苦難の中にあっても、神様のご計画を悟ることができていたのです。そこには、神様への揺るぎない信頼があったことでしょう。神への信頼がみことばを悟らせ、一見苦しみにしか見えない状況にある確かな神様のご計画を見出させるのです。そうでなければ、逃げてきた先ですぐに、福音宣教するという大胆なことはできません。したたかといいますか、全然へこたれないといいますか。迫害者もあきれたことでしょう。この迫害の意味が世界宣教のスタートであるという確信が彼らにはあったのです。
まさに、私たちもこのコロナウイルスの苦難の中であるからこそ見えた恵みというものもあったはずです。全ては神様のご計画の中でなされることです。全てに意味があります。悲観的にとらえようと思えばいくらでもできますが、神への信頼の中、視点を変えることによって見えてくるものがあるのではないでしょうか。
たとえ話で、このような話があります。ある靴の会社がありました。会社はAさんとBさんに未開の国に靴を売って儲かる見込みがあるかどうか調査してくるようにといい、彼らは調査に乗り出しました。しかし、彼らの報告は真反対のものでした。Aさんの報告は「この国はダメだ。誰も靴を履いていない。靴を履く習慣がない。これでは売れない。」といったものでした。
他方Bさんの報告は「今すぐ、大量の靴を送ってくれ。この国は誰も靴を履いていない。チャンスだ。靴の価値がわかればきっとみんなが買う。」といったものでした。
これは、あくまでビジネスのたとえ話ではありますが、一つの物事でもこんなに真逆の受け止め方ができることはよくわかります。Bさんは靴の価値を信頼していたゆえに見えてきた視点であるといえるでしょう。私たちは、全てを治めておられる神様に信頼した上で、苦難と向き合う必要があるのではないでしょうか。それによって見えてくるものがきっとありますし、そこには必ず希望と喜びがあるのです。人の計画に振り回されることなく、神の計画に身を委ねたいものです。

「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」
(箴言19:21 新改訳2017)

④ サマリヤの町に福音の大きな喜びが
このサマリヤ宣教での中心人物は福音宣教者フィリポでした。このフィリポはその肩書き通りユダヤ、サマリヤを縦横無尽に駆け巡り、キリストを宣べ伝え続け、喜びを届けた熱き男です。十二使徒にもフィリポという人物がいますが、その人とは違う人物です。
フィリポは、サマリヤの人々が熱心に待望していたメシアが、イエスさまにおいて実現したことを公に宣言しました。そして、サマリヤの群衆はこぞってその福音に耳を傾けました。深く話に聞き入ったのです。この姿勢が福音を受け入れる準備といってよいでしょう。信仰とは聞くことから始まります。事実、この後、彼らの多くがキリストの福音を信じ、バプテスマを受けました。
いやに簡単に信じるものだな。そういう感想を持たれた人はいませんか?最初、私はそう思ってしまいました。しかし、ふと考えてみると彼らにはすでに信じる土台、下地ができていたことに気がつきました。
サマリヤの女を思い出してください。フィリポがイエス・キリストを宣べ伝える前にすでに多くのサマリヤの群衆がわざわざ、サマリヤの女と出会うために来られていたイエス様と出会っていたのです。しかも、その時に彼らは「イエスの言葉を聞いて信じた」とヨハネ福音書4:41に記されています。フィリポの話を聞いた時、サマリヤの群衆にとってはこのフィリポの話と、以前聞いていたイエス様の言葉が繋がった瞬間だったのではないでしょうか。ああ、やっぱりあのお方こそがメシアだったのかと。
福音宣教とはチームプレーです。伝えた者が必ずしもその成果を目にするとは限りません。イエス様ご自身もこのサマリヤでの出来事の際に弟子たちに「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れるということわざの通りになる」と言われ、それと共に「こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」(ヨハネ福音書4:36、37)と言われています。種を蒔く者はいつか刈り取る者がいることを信頼し、蒔き続け、刈り取る者はそこに必ず見えない種蒔き人がいたことに敬意と感謝を覚える。これが教会の福音宣教の喜びです。
そして、実際にこのサマリヤではイエス様がおっしゃられた通り「町の人々は大変喜んだ。」となりました。種を蒔いたイエス様が喜ばれ、刈り入れをしたフィリポたちも喜び、なにより福音が届けられたサマリヤ人たちに大きな喜びが溢れました。迫害が起こり、逃げてきた先、敵地サマリヤにあったものは大きな実りだったのです。
そこにはもはや敵意はなく、キリストを受けいれた者と、伝えた者の溢れる喜びだけがありました。神の計画にラッキーもアンラッキーもありません。そこにあるものは、神様が望まれる最善、福音を受け入れ、主をただ喜ぶ被造物である人間の姿があるのみです。主の願いはどこまでも私たちの救いにあるのです。私たちはその喜びに預かったという証言を携え、福音を熱心に宣べ伝えるものでありたい。そう思うのです。

⑤ よみがえりの教会
ステファノの殉教、初代教会への大迫害は大きな悲しみの苦難でありながらも、それは福音宣教がエルサレムから地の果てまで宣べ伝えられていくという大きなターニングポイントでもありました。苦難は実は大きな成長のステップ、転換点かもしれない。このような時期に今日のみことばが与えられていることに心から感謝いたします。
多くの教会があらゆる苦難を越えてきたことと思います。そして苦難はこれからも必ずあります。富里教会も例外ではないでしょう。しかしその都度、時に踏みとどまり、たとえバラバラになったとしても絶望せず、神様に信頼してみことばに従っていけば、その先は必ず喜び、復活するのです。教会は主イエスが、かしらであるかぎり、決して死にません。
ある宗教改革者は「教会の歴史は多くよみがえりの歴史である」と言っています。教会が大きく迫害をうけるとか困難に出会うといっても神経過敏になる必要はないのです。
戦前、日本が植民地統治をしていた時代、韓国のある神学大学が神社参拝の強要を拒否したために閉鎖となりました。いたしかたなしと、神社参拝を認める大学も多くある中、彼らは信仰の良心上、妥協できず閉鎖となりました。しかし、戦後この大学はとてつもなく大きくなり祝福を得ました。これは神の民の群れが決して死なない一つの例であります。しかし、それと共に我々日本人がその加害者であったことも忘れてはならないでしょう。
また、当時、神社参拝を拒否して多くの韓国人牧師が殉教しました。彼らの生き様は韓国中で語り継がれています。迫害をした日本人ですら人生、命をかけて信仰を守るこの人たちは一体何者なのだ。そのように恐れと驚きを覚えた人たちもいたのではないでしょうか。
迫害者サウロも、ステファノの殉教や、迫害に遭いながらも懲りずに宣教するタフな弟子たちを見て、そのような思いを持ったのではないでしょうか。彼は、その後復活の主と出会って回心し、宣教者パウロとなりました。そして彼は、今度は逆に誰よりも苦難、迫害を受けましたが、全く揺るぎませんでした。ステファノという一人の殉教者の死が無数のキリスト者を生む種となった。この神のみわざを目の当たりにしていたパウロは、たとえ迫害にあったとしても主の備えは最善であると確信していたことでしょう。
そして、なにより私たちは、ステファノが一粒の麦となったこと以上に、そもそも主イエスご自身が私たちの救いのために一十字架にかかられ、一粒の麦となって死なれ、その贖いによって多くの実が結ばれた。この福音に目を留めたいと思います。そうです。私たちは、もう、すでに永遠の命という最大の喜びの実をいただいているのです(ヨハネ福音書12:24−25)。
苦しい苦難の中にあると、目の前のすべてのものが悲観的に見えてくることがあります。それは、教会としても個人としてもそうでしょう。ポジティブになれと言っても中々そうは思えないものです。でも、それでも私たちは神様を信頼して、俯かずに主を見上げながら生きていきたいと願います。なぜなら私たちはもうすでに、永遠の命という何者にも引き離されることのない、神の愛、まことの喜びを受けているのですから。
そして、それは未来の希望でもあります。私たちには苦難の先に必ず喜びがあることが約束されているのです。私たちに到底理解することのできない、深い深い御深淵なる神様のご計画を信頼して、フィリポたちのように苦難の中にあっても喜びの福音を携え、ハレルヤと歌いつつ歩んでまいりましょう。
最後にみことばを読んで、今日の説教を終わりといたします。

(ローマ書8:35−39)
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。『わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている』と書いてある通りです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」

武井誠司

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