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蛇のように賢く、鳩のように素直に (マタイ10:16~23)

メッセージ

2016年7月3日富里キリスト教会

「蛇のように賢く、鳩のように素直に」
(マタイ10:16~23)

1.蛇のように賢く

ふつうサタンは、三つの方法を持って私たちを試します。一つは、御言葉を疑わせて、神に背かせる方法です。二つ目は、高くほめあげて、落とすという方法、つまり褒め殺しです。そして三つ目は、この世の栄光と引き換えにサタンに心を売ることを約束させます。イエス様も伝道の初めにこのサタンの三つの誘惑に遭遇しました。

1)御言葉を疑わせて、神に背かせる 

エデンの園で、エバが蛇の誘惑に会いました。その時蛇はエバに、本当に神様はそう言ったのですかと、御言葉に対する信頼と従順を試しました。食べたら必ず死ぬといった神の命令を、逆手にとって、じゃあ自分が死んでもいいなら何をしてもいいと言い変えさせたのです。自分のための神様、自分のための御言葉に解釈し直したのです。「じゃあ死んでもいい」と思って、エバは命令に背いて食べてしまいました。自分が死んでしまえば、何をしても赦されるという自己中心の考え方に変えられました。これは信仰でも何でもありません。自分中心の信仰です。神をも踏みにじる自我の強引なやり方で、殉教のように見えますが、神を否定しています。

ではいったいどうしたらいいでしょうか。蛇が「神様は本当に『食べるな』と言ったのですか?」と尋ねた時には、「はいそうです。これを食べたら必ず死ぬと言いました。」と答えるべきでした。ところがエバは、御言葉の確信がなかったものですから、多分そうですと答えてしまいました。御言葉に対するはっきりとした確信がありませんでした。「神様はわたしのためにそう言って下さったんだ。じゃあ、わたしが死んでもいいと決心すれば、自己責任で食べてもいいのではないか」と考えたのです。自己責任、自分が死んで責任を取れば何をしても差し支えないという恐ろしい、自分中心の信仰になってしまったのです。

このように蛇は神の御言葉の真実をあいまいにして、この御言葉の真理に背かせることによって人間を神から離すことに成功してきました。つまり。わたしたちが蛇のように賢くなるということは、この蛇の巧みな策略を見抜くことです。蛇の間違った聖書解釈の過ちを見破ることが大事です。そのためにも、わたしたちは蛇よりも聖書の理解と解釈において賢くならなければなりません。教会員の誰かが、「聖書に不倫なんかしてはいけない」なんて書いていないよという人が現われたら気をつけなければなりません。蛇は聖書の真理を欺かせて、わたしたちを騙しますから。聖霊様の導きをいただいて聖書を正しく解釈し、その真理立たなければなりません。イエス様は、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ4:4)と言ってサタンの誘惑に立ち向かいました。これが「蛇のように賢くなりなさい」ということです。

2)褒め殺しを見破る

つぎは褒め殺しという蛇の誘惑です。つまりわたしたちの万能感、全能感をくすぐって、地獄の底に突き落とします。ダビデが戦いに行って凱旋した時も、群衆は、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」と言ってダビデをほめそやしました。これがきっかけで、サウルはダビデを殺そうとします。群衆や会衆のおだてやほめ言葉に乗ってはいけません。自分からの賞賛や褒め言葉には十分注意です。

イエス様も伝道の最初に、会堂に悪霊につかれた人がいて、イエス様の説教を聞くや否や、「この人は神の聖者だ」と言って崇めます。するとイエスは、この悪霊に命じてこの人から追い出しました。そういう蛇の罠を見破るためにも、あなたがたは蛇よりももっと賢くなりなさいと教えています。そういうほめ殺しの罠を見破りなさいというのです。わたしは本当に簡単に、そのような罠にかかってしまいます。家内は良くそれを見破って、わたしに注意するように警告をしてくれますので助かります。

3)栄華と引き換えにサタンに心を売る

サタンの御言葉に対する惑わし、サタンのほめ殺し、そして三番目がサタンの誘惑の取引です。イエス様も荒野での最後の誘惑として、高い山に連れて行かれて、国々の繁栄を見せられて、わたしの前にひれ伏すなら、この世の栄華をすべてあげようと誘惑されました。これがサタンの常套手段であり狙いです。神様を礼拝させるのではなく、この世の富や地位や名誉を背景に、自分を礼拝させようとします。人間礼拝です。

つまりイエス様は、「だから、蛇のように賢くなりなさい。」ということは、本当に巧みな蛇の策略を見破って、その手中に落ちてしまわないようにしなさいということです。蛇よりももっと聖書に精通しなさい、蛇よりももっと知恵を用いなさい、そして霊的な目を持って、サタンの策略を見破ることです。罠に陥らないことです。伝道はあなたがたを狼の中に送るようなものであると言いました。「蛇のように賢く」ということは、御言葉で武装して、霊的な眼を持ってサタンの策略を見分けることができるようにしなさいということではないでしょうか。

2.鳩のように素直になりなさい

つぎに主は、「鳩のように素直になりなさい」と言われました。鳩からわたしたちは、平和の使い、純白、そして聖霊というイメージを抱きます。オリンピックなどで、いっせいに鳩が飛ばされます。まさに平和の象徴にふさわしい鳥です。鳩が群れを成して飛んでゆく姿は雄大です。希望があります。だれも祭典の時にカラスを飛ばす人はいません。誰でも、カラスが群れを成して飛んでいると不吉な予感がしますし、死のにおいさえ感じます。

ですから、「鳩のように素直になれ」ということは、鳩のように自分の罪を洗い流してもらって、純白になるように、御言葉に素直に従いなさいということです。鳩のように、白く聖くなる生活を追い求めなさいということです。そのためには、先ほども言いましたように、御言葉に立って、自分自身の聖めのために努力することです。常に自分の罪を悔い改めて、御言葉によって罪という汚れを洗い流していただき、神の御言葉に従うことによって得られる聖なる生活を目指しなさいということです。

鳩は目標を目指して、何千キロもの距離を忠実に飛び続けます。神様の御言葉によって聖められ、神様の御言葉を携えて、目標を目指して走り続ける従順なクリスチャンを表しています。ノアの洪水の時にも、カラスは箱舟から飛んで出て行って、とうとう帰って来ませんでした。でも、鳩を離したら、鳩はくちばしにオリーブの枝を挟んで帰って来ました。水が引いて陸地が見えたことをノアたちに知らせたのです。実に鳩は忠実に神様の使命を果たします。そのようにしてあなたがたも、鳩のように素直に御言葉に聞き従うこと、そして愚か者と言われてもどこまでも、自分に与えられた使命を全うする忠実な生き方を命じています。

また、イエス様がバプテスマを受けられた時に、聖霊が鳩のようにイエス様の上に下りました。普通、とりは天高く上るものです。ひばりが空高く舞い上がります。またわしも大空にかけ上るようにして悠々と飛んでいます。とりは上へ上へと向かう者ですが、聖書に出て来る鳩は、天から降って来てイエス様の上にとまりました。つまり鳩のように素直になりなさいということは、天から降ってきた鳩のように、上から下に下る生き方をしなさいと言うことではないでしょうか。常に上を目指して、上へ上へという生きかたではなく、上から下に下るへりくだった生き方をしなさいということではないでしょうか。 

わたしたちはともすると、聖霊の賜物を持っていますとつい、自分を誇りたくなります。わたしはあれができる、これができると、でもこのたんから降って来る聖霊の鳩は、上から下へとへりくだるものです。イエス様が、天から降って来られ、御自分を神とはせず、むしろ空しくなって、へりくだって罪人のところまで来て下さいました。これが聖霊の働きです。鳩のようになることです。ですから「鳩のようになりなさい」ということは、主イエスに倣ってへりくだった生き方をしなさいということです。これが「鳩のように素直になりなさい」ということの意味ではないでしょうか。

この鳩のような素直な生き方、へりくだった生き方と、一方では蛇のように、御言葉から来る知恵をいただいて、サタンの策略を見分ける用心深さが必要だというのです。へりくだりつつ、そして蛇のように、地面をはい回るように用心深く、敵に対して警戒して生きることです。この相反するような、二つの心構えを持って伝道に励むことを主は教えられました。言い換えるならば、この世や人々に対しては、蛇のように賢くふるまい、神様の前では鳩のように素直に従う信仰を持つといってもいいのではないでしょうか。

それでも社会的には、訴えられたり裁判にかけられたり、家族からは冷たい仕打ちを受けたりしますが、最後まで、この働きを全うするようにと励ましています。わたしたちがあちこちの町や村を伝道して回らないうちに、主の再臨の時が来るすると励ましています。最後にもう一度、今日の聖書箇所を読んで終わりにしたいと思います。(マルコ10:16~13を読む) 

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