ようこそ、富里キリスト教会の公式ホームページへ

男と女 (創世記2:18~25)

メッセージ

2011年5月8日富里キリスト教会
「男と女」
(創世記2:18~25)
1.男にふさわしい助け手としての女

まず最初に、「彼に合う助ける者」として、女が造られました。創世記2:18~20までを読んでみましょう。「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。』主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。」(2:18~20)

口語訳聖書と新改訳聖書では「ふさわしい助け手」となっています。原語のヘブライ語を見てみますと、「エーゼル・ケネクドー」という言葉ですが、「エーゼル」が「助ける者」、「ケネクドー」が「彼に合う」という言葉です。エーゼルという言葉から思い出すのは、絵を書く時にキャンバスを載せる台をエーゼルと言います。ですから、男を支えるものとして、あのキャンバスをがっしりと支えて、画家の目の前にセットする働き、これが助け手という意味でしょうか。

しかし、もう一つの「ケネクドー」は「ネゲド」という言葉に由来しておりまして、もともとは「目の前に置く」とか「反対側にセットする」という意味です。そしてもう一つ「意見を言う」とか「話す」という動詞にも由来しております。(例えば3:11の「告げたのか」もこのネゲドという言葉です。)

ですから、彼アダムに合った、男にふさわしい助け手と言いますのは、「男と合い対して向き合い、しっかりと告げる、あるいは宣言し説明する者」としての助け手という意味です。つまり、男、あるいは夫とまっすぐに向き合って話す者、これが神様が、男(イシュ)のために造って下さった本当の意味での助け手であり、女(イシャー)だったのです。(イシュにハーがついたのが、イシャーですから、同じ存在、あるいはそれに神の息である「ハー」が与えられた存在ですから、単なるお手伝いさん、援助者とは全く異なる存在です。)

この「お互いに向き合う」という作業をしっかりしておかないと、恋人同士でも、いざ結婚しようとしたり、あるいは結婚した後でも間もなくおかしくなってしまいます。よく聞かれるのは、性格の不一致とか、愛が無くなってしまったという言葉です。最初から違う個性ある存在ですから、対立したり、意見が合わなかったりするのは当然です。それを乗り越えるのが結婚の意味だと思います。その作業がいやな人は、独り自分だけの世界に留まっても良いかもしれませんが、神様は、「人が一人でいるのは良くない」とおっしゃいました。あるいは長年連れ添った夫婦でも、子育てが終ってから、今までの結婚生活はなんだったんだろうか思って、離婚されるケースもあります。

このような、男と女、お互いに向き合う者として、本当の意味での人格的、霊的な関係を通して、夫婦が一体となって神の形の完成に向って行くことが出来るのではないでしょうか。これも神様の天地創造の業の最終目標かもしれません。互いに向き合い、語り合うことによって男の助け手として共に成長し、二人が神の形となってゆくのです。まさに神様が、ご自分の姿にかたどって男と女を創造されたとおりです。(1:27)

2.どうしてあばら骨からか

次に、第二の点ですが、助け手として造られた女は、男と相対して意見を言う者と言ってしまうと、少し誤解を生じるかも知れません。日頃から御主人に不満を持っている奥さんが、これは良いことを聞いたと言って家に帰ってから、「あなた、今日の説教聞いた。助け手というのは何でもかんでも言いなりになるのではなく、反対の立場に建って面と向って抗議をすることでしょ!」と言って、御主人をとっちめる口実が出来たということにもなりかねません。

そういう誤解がないために、次のキーワードですが、神様は女を男のあばら骨から造られました。21節からを読んでみましょう。「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところに連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これこそ、女(イシャー)と呼ぼう、まさに、男(イシュ)から取られたものだから。』」(2:21~23)

神様は、アダムを深い眠りに落とされて、その体のあばら骨の一部を取って、女を造り上げました。実はこれには、二つの意味があります。一つは、あばら骨は人間の心臓を守ります。つまり、男の心を守るために備えられました。悪魔が男の心を盗もうとして誘惑したり、試練に合わせようとして火の矢を放ってきます。しかし、妻はその悪魔の放つ火の矢を防ぐために、身を挺してその攻撃から夫の心を守る働きをします。つまり、絶えず目を覚まして、夫のために祈ってゆくものとして造られました。そしてもう一つ、あばら骨の働きは、人間が正しく呼吸するのを助けます。医学的にも、肋骨がないと呼吸が出来ません。霊的な呼吸のためです。すなわち夫が絶えず、神に祈ったり、聖書のみ言葉を読んだりするのを助けるための働きです。

つまり、夫が誘惑に負けないように、たえず夫の傍に居て、夫に注意したり励ましたりして、夫が常に主の前に立ち続けることが出来るように支えたり、励ましたり、とりなしの祈りをする役目です。夫が、神様に向って呼吸をすることを辞めないように、あばら骨は目に見えませんが、蔭で夫の霊的な呼吸を支えているのです。これが、あばら骨から造られた本来の女の働きだといって良いかもしれません。ただ夫の面と向って、批判するだけではありません。これが、人間にふさわしい助け手としての女の働きであり、神様に創造された目的でもあるわけです。女は、なかなか難しい使命(=ミッション)を与えられています。

3.二人は一体となる

さて、最後のキーワード「二人は一体となる」という言葉ですが、24節から読んでみましょう。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」(2:24~25)とあります。

男と女が結ばれ、お互いに相手を尊重し、語り合い、向き合うことによって、二人が一心同体になってゆくならば、その夫婦の関係、姿を通して神様の形が現れてくるのではないでしょうか。聖書の最初の言葉、「初めに神は、天と地を創造された。」(創世記1:1)という言葉の中に、三位一体の神が言われていると言いました。そしてその神は、愛という人格的な交わりを神御自身の中にもっておられる、そして、その三位一体の神が、ご自分の神の形にかたどって男と女を創造されたとあります。(1:27)

ですから、夫婦のこの「二人は一体となる」という形の中に、実は天地創造以来の神の形、イメージが隠されているのです。三位一体の神と言うと、どこかしら聖書の深い奥義のような知識とか、雲の上の壮大な教義のような感じがしますが、実は、私たちのこの男女の関係、特に夫婦との人格的な関係の中に三位一体の神の形が現れてくるといっても過言ではありません。いやむしろ、この三位一体の神の交わりに、私たちが招かれているということです。それは結婚と言う夫婦関係を通して、私たちがこの世にあって、この三位一体の神の愛の交わりを、世に向って証するために召されているということです。

「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」とあります。この夫婦の関係は、裸であっても恥ずかしくない、つまり(来週学びますが)お互いに腰にいちじくの葉を巻いていないということです。夫と妻は、お互いに見栄を張らない、プライドがない、裸のままで、つまり罪を持ったままで神に赦されている者として、向き合うということです。自分の恥や欠点、罪を互いに告白して、お互いに隠し事がないということです。

そのためには、お互いに、神に造られた者として、神に目を注ぐと言うことから始まります。1コリント3:16~17に「しかし、主のほうに向き直れば、覆いは取り去られます。ここで言う主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。」とあります。二人が、主に顔を向けるなら、その仮面が取り払われて、神の霊によって自由が与えられ、栄光から栄光へと造りかえられて行くのです。この夫婦の人格的な交わりを通して、三位一体の神の形がかもし出されて、魅力ある夫婦、自分たちもああなりたいなと言う良き手本となってゆくのではないでしょうか。

パウロ先生も、「『それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人の者は一体となるべきである。』この奥義は大きい。それはキリストと教会とをさしている。」(エフェソ5:31~32、口語訳)と言っています。すぐに一体となることは無理かも知れませんが、長い夫婦生活を通して、神の奥義を体験させて下さると言うのです。二人が、共に主に顔を向けるとき、そこに自由が生まれ、聖霊なる神様をとおして真の自由が与えられ、魅力ある夫婦になってゆきます。どんな夫婦でも、それは神様が合わせられたものです。誰もそれを引き離すことは出来ません。「二人は父母を離れて一体となる」と神様が約束して下さっております。

男と女、夫婦の関係は、キリストと教会の関係を表わすような奥義です。ですから、今すぐには完成しないかも知れませんが、少しづつ一歩一歩、御言葉に養われつつ、お互いに神様に向き合い、語り合い、支えあうことによって、神の栄光を表わす二人に変えてくださることを信じます。(岡田 久)

powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional