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求めよ、そうすれば与えられる (ルカ11:1~13)

メッセージ
2019年3月3日富里キリスト教会
「求めよ、そうすれば与えられる」
(ルカ11:1~13)
1.真理の御霊を受けている

主のみ名を賛美します。
先月から、連続してルカによる福音書の10章を学んでまいりました。ルカは、聖書の御言葉をどう読むか、どのように理解し、解釈するかということを何度も何度も語っています。そして人生で一番大事なこと、なくてならぬことは、イエス様の足もとに座ってその御言葉を聞くことであると言いました。また先週は、この御言葉を聞くということが、奉仕によって後退させられてしまうこともあるので、いつも意識して御言葉を第一にすることが大事だということも学びました。

そして御言葉の次に出てくるのが、今日の個所ですが、11章には祈りについて教えが載っています。み言葉と祈り、これが信仰生活のカギを握る大事な二つの要素だと言っても過言ではありません。サタンは、クリスチャンから何とかのこの二つのことを奪い取ろうと必死になって働いています。ですから教会の中でも、私たちの生活の中でも、この二つのことを死守してゆくところに信仰の成長というものが与えられます。先週も「あなたはどちらを選びますか?」と話させていただきました。マリアかマルタか、御言葉か奉仕か、この順番が大事です。まず御言葉と祈り、それから奉仕です。

聖書を読まないクリスチャン、祈らないクリスチャンはもはや塩味を無くしたクリスチャンとして、外に投げ捨てられて踏みつけられてしまうと聖書は警告しています。(マタイ5:13)あるいは逆に聖書の教えに反対するような、間違った生き方になってしまいます。信仰に入ってから、聖書を呼んだり、祈ったりしないと、心が清められてきれいになっていますので、汚れた霊がまた戻って来ます。ですから絶えず祈り続けること、御言葉を聞くことが大事です。(ルカ11:24~28)

I had a guest who believes in Jehovah’s witness last week. But he had been a member of Seventh day Adventist church. I explained the salvation of God using a picture. But he did not believe that Jesus is God of trinity God. He believed that Jesus is a son of God and he was born from God, so Jesus is a creature or like an angel or prophet. They did not believe in that Jesus is God. If we do not believe in the true doctrine, Jehovah’s witness came to us and take away the seed of the word. The holy Spirit keeps us from the teachings of heretics. So Jesus said “your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him.” (Luka11:13) so we should ask the Holy Spirit to God. If we want the Holy Spirit, we should ask the Holy Spirit to God with shameless persistence. Jesus teaches us to ask the Holy Spirit with persistence. Do you ask the Holy Spirit to God earnestly and constantly.

ではどうしたらこの真理の御霊を受けることができるでしょうか。それが今日の聖書の個所です。一言で言いますと、「求めなさい」ということです。今日の御言葉の最後の結論部分に次のような言葉があります。「このように、あなたがたは悪いものでありながらも、自分の子供には良いものを下さることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えて下さる。」(ヨハネ11:13)と。

つまり私たちは、聖書の御言葉が解かるためには、ただ漠然と聞いているのではなく、熱心に祈って、聖霊様の助けをいただいて、聖書を読まなければその真理を知ることはできないということです。聖霊様は棚ぼたではきません。求めなければ、与えられません。探さなければ見つけることはできません。必死に門をたたいて入門しなければ入ることはできないのです。そういう祈りをすることを、イエス様は弟子たちに教えていたのです。偽りの教えか正しい教えかは、聖霊様が教えてくださいます。私たちをサタンから守って下さるのは、そして異端の教えから守って下さるのは、聖霊様です。真理の御霊です。それは求めなければ与えられません。探さなければ見つけられません。門をたたかなければ入れてもらえません。そういう世界です。

2.真理の御霊を求める

それでは、真理の御霊様をどうしたら見つけることができるのでしょうか。どこでも求めたらいいのでしょうか。どんなふうにして門をたたけばいいのでしょうか。ということを教えたのが、実は先週学んだあのマルタとマリアのお話だったのです。マリアは熱心に主の足もとに座って聞いていました。今日の祈りのお話と、先週のマリアのお話とは、そのテーマにおいてつながっているのです。マリアがなぜ、一生懸命主の足もとに座って話に耳を傾けていたのでしょうか。お姉さんのマルタにひどいことを告げ口されていじめを受けてまでも、それをはねのけて、女性でありながら一番前の席に座って真剣に話を聞いていたのはなぜでしょうか?

それは、マリアの方が姉のマルタよりも熱心に求めていたからです。自分の人生の意味と、生きることとは何かという生きる目的を必死に探し求めていたからなのです。お姉さんのキーキーと言ったヒステリックな声を無視して、何が何でも主のそば近くに座って真理の言葉を聞きたかったのです。マリアは必死に求めていたのです。マリアは一生懸命探していたのです。マリアは必死になって門をたたいていたのです。このマリアの態度が「求めなさい、そうすれば与えられます。探しなさい、そうすれば見つかります。門をたたきなさい、そうすれば開けてもらえます。」ということの具体例なのです。

どのように求めればいいのかイメージできたでしょうか。天のお父様は、私たちに良いものを下さいます。ましてや必死に求める子供には必要なものを与えないことはないと言っています。聖霊を求めて祈りましょう。すでに皆さんの内側には聖霊様が宿っています。これを手放してはいけません。そのためにもますます祈り、ますます聖書を読み、ますます熱心に伝道することによってさらに聖霊様が与えられてきます。この聖霊様がますます強くなるように、私たちの心を満たしてくださるように祈りましょう。

11:5から求める人のたとえ話が出ています。真夜中に友達が旅行で突然やってきました。晩御飯をまだ食べていないというのです。そこで急いで行って近所の友達のところに行って、パンを分けてくれるように頼みました。でも真夜中です。迷惑なことは承知です。でも友達がお腹を空かしているので、何とかパンを分けてくれるようにお願いしました。

ところが頼まれた人は面倒くさがって、家の中から断りました。「もう戸締りして、みんな寝てしまっているので、迷惑かけないでくれ。明日にでもしてくれ。」と言いました。当然です。ところがこの隣人は、執拗に真夜中にもかかわらず、どんどんと戸を叩いて隣近所の迷惑も顧みず、必死にお願いしたのです。6節に「しつように頼めば」と書いています。リビングバイブルでは、「しつこく頼み続けるならば」とあります。

あたりほとりかまわず、熱心に、あきらめないで、しつこく頼み続けるならば、パンを出してくれるかもしれないと言っています。皆さん、神様に遠慮していませんか、あるいは途中であきらめていませんか、ああ、だめだ自分には与えられないと。もっと大胆にしつこく求めなければなりません。聖書には「もししつように頼めば、起きて必要なものは何でも与えるであろう。」とあります。しつこく頼めば、何でも下さるのです。しかも私たちにとって最も必要なものです。一番大切なものです。

How do we find the Holy Spirit and how do we ask the Holy Spirit to our God of Father? Do you remember the story of two sisters on last Sunday? The younger sister Mary was sitting at the Lord’s feet and hearing the word of Jesus earnestly. This is the good model of asking to God. Mary was asking what is her life and how to live seriously, she was asking and she was seeking and she was knocking the door to be opened in spite of her sister Martha’s complaining and accusing. Mary has been choosing good thing and asking needed one for her life and seeking how to live.

先週も話したことを覚えているでしょうか。尺八の良い音が出るのは、尺八じゃない、高価な尺八を持っていればいい音が出るというのではなく、吹く人の心構えや技術が問題なのだ、演奏者の力量でその尺八の音色が決まるといいました。そうです、聖書も聖書の高い安いではありません。高い金箔付きの聖書だからよく解かるというものではないのです。

たとえ100円聖書でも、読む人が熱心に上手に読めばいい音が出るのです。読む側に問題があるのです。読む側、吹く側の問題なのです。信仰もそうです。信じる側の問題なのです。信じようとする人が必死に求めるならば、与えられるのです。読む側が真剣に死に物狂いで聖書から探すならば、発見するのです。手が痛くなるほど、門をたたけば、必ず門が開かれて、真理の中へと入って行くことができるのです。

There is an old and tiny bible. I have bought this bible fifty years ago. For I have not understood the Bible at all, because the Bible was big and thick and hard to bring. So to understand the Bible, I have chosen tiny and thin and cheaper bible having always in my pocket. Whenever I want to read I was able to read it instantly. I have read this Bible many times thoroughly using a red pencils and markers. I have sought the truth in this Bible through prayer and sharing the truth in the meeting.

3.祈りを教えてください

本当は、わたしたちは祈ることさえ知らないのですから。主の前に出て、「主よ、私にも祈りを教えてください」と求めればいいのです。私たちはもっともっと謙虚になるべきです。本当に祈ることすらまだまだ十分ではないからです。私たちはもっともっと謙虚になる必要があるのです。「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」(ルカ11:1)と。英語では、Lord, teach us to pray です。そしてこの祈りの仕方を教えてくださるのが、聖霊様です。聖霊様はわたし達に正しい祈りを教えてくださいます。「どのような時にも、(聖)霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ6:18)祈りは、聖霊様の助けなしには祈ることができないのです。

イエス様が教えて下さった大切な主の祈りです。「父よ、」と言って、私たちはどこでもいつでも天のお父様に呼びかけることができます。まず「天のお父様!」と言って声を出してみましょう。そうすれば聖霊様が祈りを導いてくださいます。今日は、主の祈りについて全部の解説はできませんが、最近、この一番最初の「御名が崇められますように」という祈りの言葉の意味とすばらしさが解かってきたような気がします。

これは、神様がわたしたちを救ってくださり、すでに永遠の命を与えて下さったこと、天にその名が記されていることのゆえに、まず主の生ける尊い権威あるお名前を崇めることです。別な言葉では、ほめたたえること、讃美することです。ですからまず礼拝の最初に讃美を捧げますね、これは主のみ名を崇めることなのです。救いをなしてくださったお方をほめたたえること、そのお方を賛美することです。感謝をすることです。それがまず、第一になすべきことなのです。何時も祈るときには、この崇める祈りを最初に述べることです。

そして「御国が来ますように」と祈ります。これは聖霊様によって、わたしたちが神様のご支配のもとに入り、自分の意思ではなく、神の意志によって生きるようになるようにという祈りです。そしてこのわたしを動かし用いてくださるのは、聖霊なる神様です。私はこの主の祈りをいつも口にします。すると心が落ち着くのです。夫婦喧嘩をしても、心の中でこの主の祈りを唱えると、怒りの感情が消えて愛の気持ちになるのです。

The Holy Spirit teaches us how to pray according God’s will. Without the Holy Spirit we cannot pray according God’s will. Paul also said “Pray in the Spirit on all occasions with all kinds of prayers and requests. (Ephesians 6:18) Anyway we would like to call the Name of Father in heaven at first. And the Father always answers our prayers through the Holy Spirit. Jesus taught us the Lord’s prayer, this is a very important prayer, God may make us open our eyes and understand the true meaning of Lord’s prayer one by one. We all have been given the Holy Spirit from the God through Jesus. So let us ask and seek and knock the door in the Bible through the payer by the Holy Spirit.

主の祈りは、イエス様が教えて下さった大切な祈りです。今はすぐにその意味が解らなくても、一生のうちに神様が必ず一個一個、その時々に応じて、祈りの意味を解き明かしてくださいますから。そして、何よりもあきらめないで御国のご支配に入ることを祈りましょう。天のお父様、御名が崇められますように、御国が来ますようにと。聖霊様がそのようにしてくださいます。そのことを熱心に、しつこく、あきらめないで祈ってゆきましょう。今週3月6日から受難節が始まります。朝に晩に、教会で、家庭で、職場で、学校でも祈ってゆきましょう。
(ルカ11:8~10)                    (岡田 久)

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