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母リッパの信仰 (サムエル記下21:1~14)

メッセージ

2015年5月10日富里キリスト教会

「母リツバの信仰」
(サムエル記下21:1~14)

1.あなたの罪は始末されているか

このダビデ王の治世に、三年間の飢饉がありました。天地万物を御支配されているのは造り主なる主ですので、ダビデは信仰を持って主に伺いを立てました。なぜ主はこの国を祝福して下さらないのだろうか。災いを下されるのだろうかと。神がお怒りになっていたのは、かつてサウル王が、イスラエルで奴隷として働いていたギブオン人を迫害して滅ぼしてしまおうとした罪によるものだと告げました。そこでダビデはギブオンの人々に、どのような償いをすれば、神の祝福を帰してもらえるのだろうかと尋ねました。

するとギブオン人は、「サウルとその家のことで問題なのは金銀ではありません。またイスラエルの人々を誰かれなく殺すというのでもありません。」と答えました。そして「私たちが欲しいのは、真の張本人サウルですから、サウルの子孫を七人引き渡してくれれば、それを主の前にさらして罪を償ってもらいます。」と答えたのでした。いくら当時、戦国時代だったとはいえ、父親の罪をその子孫の命と引き換えに償ってほしいというのは、あまりにも残酷な気もします。聖書にも、父の罪をその子が負うことはないという戒めがあります。

しかし神様は、かつてのサウルの犯した罪をそのままにしては置かれませんでした。たとえ過去の罪でありましても、神はその罪を決してお忘れにはなりません。天の神様のコンピューターには、しっかりと保存されてファイルされてあるのです。主は必ず、その人の犯した罪の代償、後始末、決着を求められるのです。本人がその罪の後始末、償いをしなければなりません。私たちは皆、死んで神の元に行ってから、「お前のいついつのあの罪はどうなったか。償いましたか。その罪を告白して悔い改めましたか。赦してもらいましたか。きちんと始末をつけましたか?」と尋ねられるのです。

そして、それは金銀では償うことができません。ギブオンの人々は言いました。「お金の問題ではない。民族の問題ではない。あの男の個人的な問題だ。」と答えました。それで、サウルのその息子を要求したのです。ヘブライ9:22にも「血を流すことなしには罪の赦しはあり得ない。」と言っています。血を流すということは、償いに本人の命を求めているということです。しかも、それが神様の御心だったのです。被害者は、立場が弱いですから泣き寝入りし、黙っているかもしれませんが、神様は決して黙認されません。どんな小さな罪も見ておられます。見逃しません。

もう皆さんお解りですね。この七人の息子は、私たちの罪の身代わりになって十字架の上で死んでくださった神の御独り子イエス・キリストの償いの死を表しています。イエス・キリストがわたしたちの罪のために身代わりになって死んでくださったことによって、私たちに対する神の怒りが解かれて、私たちは無償で罪赦されて神の赦しと祝福の中に入れてもらえたのです。七という数が示しているとおり、七人の命は神の前に完全に罪を贖い、赦し償う価値を持っていることを示しています。あのイエス・キリストの罪の贖いの業を現しているのです。罪の赦しは金銀やお金では解決できるものではありません。本人の最愛の子供、罪のない王子、高価で汚れのない完全なものでなければ、罪を贖うことはできません。

神様は必ず一人一人の罪を覚えておられます。あれもしたこれもしたと数え上げればきりがないかもしれませんが、私達もみなあの罪人アダムの子孫です。神との契約を破ったサウル王の子孫です。神の目にはどんな小さな罪も隠すことはできません。中国、韓国で残虐行為をした一人一人の罪を神様はしっかりと覚えています。また、日本に原爆を落としたアメリカ人の罪も記録されています。そしてわたしたちの犯した小さな罪の神様の前には明らかです。その罪を必ず、主は最後に問われるのです。皆その裁きの場に出なければなりません。私たちの罪は始末されているでしょうか。今こそ、すべての人は自分の罪を悔い改めて、十字架の主にすがる時ではないでしょうか。

2.母リツパの信仰

次に母リツバの思いに心を寄せてみましょう。
「(ダビデ)王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子。アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕え、ギブオン人の手に渡した。ギブオンの人々は彼らを山で主の前にさらした。七人は一度に処刑された。彼らが殺されたのは刈り入れの初め、大麦の収穫が始まる頃であった。アヤの娘リツパは荒布を取って岩の上に広げた。収穫の初めのころから、死者たちに雨が天から降り注ぐまで、リツパは昼は空の鳥が死者の上にとまることを、夜は野の獣が襲うことを防いだ。サウルの側女、アヤの子リツパのこの行いは王に報告された。」
(サムエル記下21:8~11)

ここに一人の気の毒なといってはあまりにも軽率な表現のような気がしますが、一人の母親の姿が描かれています。どうしてなにも罪がない幼子たちが殺されなければならなかったのか。そして、人々の目にさらされて半年もの間、骨になるまで野ざらしにされなければならなかったのかということです。雨は降りませんから、昼の太陽の熱があったでしょう。「主の前にさらす」という言葉どおりに、すぐには遺体は引き降ろされませんでした。半年間そのままの状態にして置かれました。その間、空の鳥が死体を狙って肉をついばみに来ます。また、夜は夜で野の獣が餌を求めて周りを徘徊し、手足を食いちぎって行こうとします。

しかし母リツバは、夜も昼も眠ることをしないで死体を守り続けました。死体の掲げてある岩の上に荒布を敷いて一日中、獣から守っていました。この箇所を読んで、罪もない子供が処刑されることもさることながら、死に物狂いで獣を追う母の姿を見るにつけ、読む人の心が裂けてしまいそうです。「神は何でこんなむごたらしいことをするのか。これでも神はいるのか。果たして神は、天からこの七人の息子たちの死体を眺めているのか、こんなむごたらしいことをする神はどんな神か。」と叫びたくなるような思いです。

私はこの箇所を読みながら、あのイエス・キリストの十字架の場面を思い出しました。あの時も、母マリアは十字架のわが子のそばに立っていました。なぜこの子が死ななければならないのか、こんなにまでして人々の辱めを受け、苦しまなければならないのか。その裸の恥をみんなの前にさらさなければならないのかと思ったに違いありません。

しかしこの時、母マリアが見つめ、母リツパが見つめているそのもっと上から、天の父なる神様がご覧になっておられたのではないでしょうか。確かにイエス様の場合には、マリアの息子ではありますが、天に父なる神様の独り息子でもあります。そのわが子がジッと十字架に架かって呻き苦しみ痛みを覚えている姿を、天の父なる神様がご覧になっておられたのです。リツパの場合もそうです。確かにサウルの子供ではありますが、子供に罪はありません。

ですからこそ、神はその罪のないもの血と死をもって父親サウルの罪が贖わなければなりませんでした。父親の起こした罪の身代わりとなって、罪のない息子が、半年もの間、さらしものにされて辱められなければ罪の贖いはなかったのです。イエス様の場合には、罪を犯したアダムの子孫である全人類の罪のために、罪のないお方がその身代わりになって、十字架に架からなければなりませんでした。

母リツパは、信仰をもって、わが子二人のためだけではなく、他のミカルの五人の子供のためにも、眠ることなく子供たちの体が食いちぎられないようにしたのでした。これは単なる見せしめのさらし者ではないのです。十字架に架かったイエス様の足が折られることがなかったように、リツパの子供たちも神に献げるべき贖いの聖なる供え物だったのです。ですから手も足も首もどこも損なわれることなく、五体満足にして聖なる神への供え物として献げられなければならなかったのです。聖別された神への供え物だったのです。

リツパは、わが子の死をそのように理解し信じていたと思います。ですから寝ずの番をして死体を守り通したのです。しかし、サウルの娘ミカルはそこには来ませんでした。おそらく彼女はこの神の仕打ちに耐えられなかったでしょうし、どこかで恨みながら引きこもっていたと思います。このような恥に耐えられなかったのではないでしょうか。この母リツパの罪の贖いを待ち望む信仰の故に、ダビデはサウルとヨナタンの骨を持って来させ一緒に埋葬したのでした。

最後に「この後、神はこの国の祈りに答えられた。」(21:14b)とあります。サウルの罪が赦されました。イスラエルの国は再び平安と祝福を取り戻しました。リツパは、わが子の死は夫サウルの罪の償いであるが故に、この理不尽とも思える神の求めに応じたのでした。いやそのように考えなければ、とうてい彼女は生きて行くことができなかったのではないでしょうか。厳しい戦国時代の中に生きた一人の女性として、また母としての信仰の生き方を見る思いです。

人間が犯した罪の償いは、神様の前に金銭では帳消しにできません。清く尊い罪のない人の血をもってしてでなければ、罪の真の償いはないのです。でも、神様はご自分の一人息子を十字架にさらされて、私たちの罪を全て償って下さいました。神様は私たちに何の償いも求めず、無償で罪を帳消しにして下さり無罪放免にして下さったのです。「どうしたら私たちの罪が償われるのだろうか。」とダビデは問いました。それは、私たちの全ての罪をあの十字架の上で、贖いの血を流してイエス・キリストを信じることです。この方以外に罪の赦しはありません。 

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