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母の教えと有能な妻

メッセージ

2009年5月10日富里教会

「母の教えと有能な妻」 
  (箴言 31:25〜31)

1.母の教え
31章の2節〜7節までを読んでみましょう。
「ああ、わが子よ、ああ、わが腹の子よ、ああ、わが誓いの子よ。あなたの力を女たちに費やすな。王さえも抹殺する女たちに、あなたの歩みを向けるな。レムエルよ、王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは、君たるものにふさわしくない。飲めば義務を忘れ、貧しい者の訴えを曲げるであろう。強い酒は没落した者に、酒は苦い思いを抱く者に与えよ。飲めば貧乏を忘れ、労苦を思い出すこともない。」
                                      (箴言 31:2〜7)    
レムエルという名前は、ソロモン王の別名と言われていますので、この教えはソロモンの母、バテシバが我が子ソロモンに教えた言葉かもしれません。母親にとっては、たとえ王であっても、わが子はいつまでもわが子であり、自分がお腹を痛めて産んだ子供なのです。しかもソロモンは母バテシバが自分の過ちの後に神様に悔い改め、誓いをして与えられた祈りの子であったのです。肉体的にも霊的にも母の子だったのです。この最初の「ああ、わが子よ、ああ、わが腹の子よ、ああ、わが誓いの子よ。」という言葉の中に、信仰者である母のわが子に対する犠牲的な大きな愛を読み取ることができます。「お前は、私がお腹を痛め、しかも神様に祈りに祈って与えられた約束の子です。お前のためならどんな犠牲もいとわない」という、母の思いが伝わってくるような気がします。

そして母が我が子に戒めたのは、一つは女性に対する情欲の問題、もう一つは飲酒の問題です。ソロモンは700人の王妃と300人の側室を持っていたと聖書に記されていますが、そういうソロモンに対して、母は「あなたの力を女たちに費やすな」と警告しています。女性の誘惑は王さえも滅ぼし、一国をも滅してしまうほど恐ろしいものだといっています。

また深酒は王にふさわしくないと言っています。それは飲んでしまうと自分の義務を忘れしまうからです。正直なところ私もサラリーマン時代の忘年会、新年会のシーズンには、休肝日を作らなければならないほど、毎日アルコールが切れませんでした。ある時酔っ払って電信柱に寄りかかっていましたら、自分の情けない姿に気づきました。自分はクリスチャンなのになんてかっこうしているんだろうと思うと、自然に涙が流れてきました。その時、「もういいだろう、そのへんで止めておきなさい。お前にはもっと大切な仕事がある」(?ペテロ4:3)という声を聞いたような気がしました。そして、献身して神学校に入りましたら、自然とお酒からも離れ、タバコも吸わなくなってきました。

2. 有能な妻
今日は母の日ですけれど、結局は母の大切な務めは、我が息子を如何に育てるかに尽きるようです。そのためには、いかにして有能な妻を見つけるかということに尽きるわけです。この有能で賢い妻さえ見つければ、女や酒で身を滅ぼすことはないというのです。31章10節に「有能な妻を見出すのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。」とあります。有能な妻とは、「有能で徳があり、しっかりとした強い性格を持った信仰深い妻」ということになります。

この有能な妻は、31章の13節と24節をみますと、羊毛と亜麻布を仕入れてきて、それで織物や帯を造って卸していました。女性ですから自分で洋裁の仕事をして、家計の足しにして儲けがあったようです。かといって、家事をおろそかにするのではなく、14,15節にありますとおり、食材もわざわざ遠くまで行って、安くて良い材料を見つけ出して来て調理していました。しかも夜明け前から起き出し、家族の弁当も作り、一日の仕事の段取りを済ませて、雇い人に仕事の指示を与えています。

更に驚いたことには、自分の内職で得た儲けで、畑も買いました。そしてそこにぶどうを植えて、ぶどう畑を開いたのです。18節には「商売がうまくいっているかどうか、景気の動向をみながらいつも財産のチェックをしていました。夜遅くまで帳簿調べをしていた」とあります。こういう妻はたいていはお金にうるさく、けちではないかという印象を持ちますが、20節ではちゃんと「貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる」とあります。愛の慈善活動にも励んでおりました。

さらに、21節に「雪が降っても一族に憂いはない。」とありますように、突然の天候の変化、あるいは今日のように不況が襲ってきても、この一族だけは立派な服を着て、不況の影響を受けないということです。普段から、いざという時に備えて、蓄えもちゃんとしていたということです。女性の社会的立場が弱く、夫の働きに全面的に頼らなければならない時代であっても、妻としての働きが今述べたようなことであるということは、本当に大きな驚きです。昨今のテレビ、新聞のニュースを見てみますと、あまりにも悲惨な親子の事件があります。子供への母親の虐待、あるいは逆に、子供が母親を手にかけるといった事が後をたちません。親子関係、家庭、夫婦といった基本的な関係がどこかで崩れてしまっているような気がしてなりません。それだけに、家庭におけるこの母の愛と知恵、その教えが今日いっそう、求められているような気がしてなりません。

3. 祭司としての妻
箴言の31:25節からをみてみますと、「力と気品をまとい、未来にほほえみかける。口を開いて知恵の言葉を語り、慈しみの教えをその舌にのせる。一族の様子によく目を配り、怠惰のパンを食べることはない。」とあります。そして、30節に「あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を恐れる女こそたたえられる。」とあります。

彼女の内側からは、力と気品がみちあふれ、将来に対して何も心配せずに、自信を持って生活をしています。それはただ単に、働いて蓄えがあるから老後を心配していないというだけではなく、彼女の気品と美しさは、神を信頼し、神を畏れ敬う信仰から来るものであるという事です。そして彼女は、その信仰の故に、知恵の言葉、慈しみの教えを語ることができるのです。すなわち御言葉を語ることができる預言者の働きもするということです。更に、常に群れの様子に目を配っています。これは牧会の働きをするということです。

ですから有能な妻は生活面だけではなく、霊的信仰的な面においても家族を御言葉を持って養い、知恵と慈しみをもって群れの世話しています。まさに祭司としての働きを担っています。これが有能な妻の姿です。そして何よりもその妻の賢さ有能さの源は、主を畏れる信仰の持ち主であるということです。「主を畏れることは知恵の初め」(箴言9:10)とありますとおり、この主を畏れる信仰こそこの箴言のテーマでもあるわけです。お母さんの目がまず第一に、神様に向き、神様を意識して、毎日毎日、神様に目を注ぎ続けるならば、神様からの力と知恵と美しさをいただきます。そして希望を持って、平安の内に子育てや家事に励んで行くことができるのではないでしょうか。

4. 妻をほめたたえよ
最後に、この有能な妻に対して、夫や息子がどうしたかが書かれてあります。
「息子らは立って彼女を幸いな人と呼び、夫は彼女をたたえて言う。『有能な女は多いが、あなたはなお、そのすべてにまさる』と。あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。」(31:28〜31)

人生の格言として、教えられていることは、息子も夫も立ち上がってこう言うことです。「お母さんはすばらしい、最高の幸せな人だ。仕事ができるキャリアウーマンはこの世には多いが、妻として家事を支えて家を守りながら、商売もして一族を養えるのは世界中探してもあなたしかいない!」と。お母さんをほめたたえ賛美することです。これがいわば夫の役目みたいなものです。妻をほめたたえること、しかも町の真ん中で、みんなの前でほめたたえることです。

今日、私たちもこの母の日を覚え、お母さん方を心からほめたたえたいと思います。「有能な女は多いが、あなたはなおそのすべてにまさる」と。私に、そして私たちの教会にすばらしい賢い有能な妻を与えて下さった神様に感謝します。妻よありがとう、そしてお母さんあなたはすばらしい、どんな宝石よりも優れてすばらしいと、お互いに心からほめたたえたいと思います。   (岡田 久)

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