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時間通り食事を与える忠実な僕 (マタイ25:45~51)

メッセージ

2015年10月18日富里キリスト教会

「時間通り食事を与える忠実な僕」
(マタイ25:45~51)

1.再臨の主を待つわたしたちの生き方

マタイ25章の最初にあります「十人の乙女のたとえ話」は、花婿であるキリストが来るのを目を覚まして待っていなさいという戒めです。心の中に聖霊の油を蓄えて、いつも目を覚まして祈っていることを勧めています。「祈ること」の大切さです。二番目のタラントンのたとえは、霊の賜物を用いて伝道をして救われる人々を獲得しなさいという戒めです。決して地面の中に伝道の賜物を隠しておかないように、自分の持っている賜物を大いに用いて儲けなさいという戒めです。「伝道」することの大切さです。そして三番目は、飢えている人、裸の人、病気の人に対する愛の働きを怠ってはいけないということです。「愛の業」です。

そうすると、今日の忠実で賢い僕のたとえ話は何を言わんとしているでしょうか。「祈り」「伝道」「愛の業」ときましたら、後は「御言葉」ですね。マスターライフの十字架のちょうど四つの働きについて述べています。ですから、この終末の時代に生きているわたしたちは、「御言葉の働き」「祈りの働き」「伝道の働き」「愛の働き」についての四つの点において日々励みながら、主の再臨を待つことの大切さを教えております。

またこのたとえ話は、いくらイエス様を信じて信仰をいただいても、主の再臨はまだ来ないと安心して、悪いことばかりしているものに対する警告もあります。主人の言いつけも守らず、安心して怠惰な生活をしていると、突然主人が帰って来て、そのような人を天国から締め出してしまうという警告でもあります。だから、目を覚まして待っていなさい。いつ家の主人が帰って来てもいいように、言いつけられた仕事を忠実に一生懸命していなさいと主はおおせられました。今朝は、その一番目の「忠実で賢い僕」についてのたとえ話についてみてみたいと思います。

もう一度今日の聖書箇所を読んでみます。「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たときに、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
(マタイ24:45~51)

2.主人は何を命じられたか、また何を見るか?

さて今朝はこのたとえ話から、少し変わった宣教題になってしまいましたが、「時間通りに食事を与える忠実な僕」という題をつけさせていただきました。と言いますのは、ここを読みまして、天に帰られたイエス様が、その家の僕に何を命じられたのかということに目が留まったからです。イエス様は、十字架と復活という救いの業をなし終えてから、天に帰って行かれ、また再び地上に来て最後の審判をなさるとおっしゃいました。そして弟子たちに御自分が帰ってくるまでに、命じたことをきちんと実行しなさいと言いました。どんなことを命じたかと言いますと、「時間通りに家の使用人たちに食事を与えさせるようにした」ということです。

また同じ聖書箇所のルカ12:42にはこうあります。「主人が召使たちの上に立てて、時間通り食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人」とあります。ルカの方は管理人となっています。どちらも共通しているのは、「時間通りに食べ物を与える」ようにしなさいということです。これはよく読んでみますと、主人から直接命じられた僕が、その下に数人の使用人を従えていて、その使用人や召使たちに対して、彼らが他の召使いに対して食べ物を分配するように命じたというふうに読むことができるのではないでしょうか。つまり僕が使用人たちに食事を与えるだけではなく、使用人たちがその下にいる者に食事を与えさせるようにというふうにわたしは読みましたが・・・。

つまりもう少し解りやすく言いますと、例えば私もこの家の使用人でしたが、その中から選ばれて僕という使用人のまとめ役と言いますか、リーダーの務めを授かったとします。イエス様は、僕であるこの私に、毎日毎日決まった時間になったら御言葉の食べ物を与えなさいと言って天に帰りました。そしてわたしは、言われたとおりに、日曜日11時から決まった時間に説教をして使用人の方々に御言葉の食事、霊の糧を時間通りに与えています。これが一つです。忠実に時間通りに、きちんきちんと与えることです。

そしてもう一つ考えられることは、「彼らに食事を与えさせることにした」とありますから、その使用人の方々が、それぞれまた自分の配下の別の使用人に、食事を与えるように命じたというふうにも読むことができました。ルカの方では「主人が召使たちの上に立てて、時間通りに食べ物を分配させるようにした管理人」となっています。つまり、管理人がただ単にその召使たちにだけ食べ物を与えるのではなく、その召使たちが更に他の自分の担当の召使いたちにも食べ物を分け与えるように管理したというふうに理解しました。

つまり具体的に言いますと、牧師が一人一人に御言葉を与えるだけではなく、牧師の与える御言葉を、他のリーダーたちが自分のクラスやグループの他のメンバーに更に時間通りにきちんきちんと分配できるようにしたということではないかと考えました。そして天から帰ってきたイエスが、それぞれの使用人が更に自分の下で働く使用人たちに食事を時間通りに与えている様子を御覧になるのです。そのようにしなさいと、イエス様は命じて行かれたのではないでしょうか。

そしてそのとおりにするのが、忠実で賢い僕なのです。突然帰って来られた主人は、そのようにして言われたとおりに食事を与えている僕を御覧になって、その人には自分の全財産を管理させようと言われました。これがわたしたちに残され、そしてわたしたちに託されたイエス様の御命令だったのです。「時間通りに彼ら使用人たちに食事を与えるようにさせなさい」と。つまり時間通りに食事を与えるように、使用人たちに教え管理しなさいということだったのではないでしょうか。わたしたちがそのようにしている姿を、再臨のイエス様がご覧になられるのです。

ただ黙って待ちなさいというのではなく、主人の気持ちを汲んで、その願いどおりに働いて待つことが大事なのです。ちゃんと「祈っているか」「伝道しているか」「愛の業に励んでいるか」そして「御言葉を語っているのか」を主はご覧になられるのです。特にリーダーに対しては、時間通りにきちんきちんと自分のメンバーに御言葉の食事を与えているかを御覧になられるのです。キリストが天から来られた時に、そういう姿を、そういう働きをしているのを見られる人は幸いです。主人が見ていようが見ていまいが、そこに居ようがいまいが、忠実のその働きを担っている人は幸いです。

3.忠実さの証明

イエス・キリストが天に帰られて、すでに2015年経ちました。やがて天から帰って来られて、この世を裁かれるといっても誰も信じようとしないし、クリスチャンの中でも信じていない人さえいるのです。神の姿が見えない、主人が見えないという時こそ、そしていつ来るかもわからないという時にこそ、その人の信仰というものがはっきりと見えてくるのです。目に見えない神様が、その姿を隠し、再臨の時を秘密にしているということは、一人一人のクリスチャンの信仰が本当かどうかを試しているのではないでしょうか。

人は主人の目の届くところでは一生懸命奉仕するかもしれません。しかし、主人が目を離したり、留守にしたりしていつ帰って来るかもわからないという時に、その人の本心が出て来ます。神様が目に見えないからこそ、そこで信仰が試されるのです。神様が見ている時(実際はどこに居ても神様はご覧になっておられますが・・・)だけ忠実さと熱心さを示す人はいませんか。牧師が見ている時だけ、一生懸命働いているふりをしている人はいないでしょうか。誰も見ていなければ、自分の好きなことをしてしまっている人はいませんか。教会に居る時だけクリスチャン、家に帰ったらただの人、職場に行ったらもっと世俗の人になってしまうように、態度を使い分けていることはないでしょうか。

48節にそういう偽クリスチャンの姿が述べられています。「しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。もしそうなら、その僕の主人は予想しない日に、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするであろう。」(24:48~51)

この悪い僕は、時間通りに召使たちに食べ物を分配しないで、彼らを逆に殴ったりして虐待し、酒を飲んで酔っ払ってしまい、好き放題をしていました。当然、主人は突然帰って来て、この不忠実な僕を厳罰に処すわけです。このように主人の命令を無視し、主人の思いを知っていながら、再臨の時の準備もせず、その命令に従わなかった僕は、悪い僕として罰せられるとあります。しかしその時にあって、いくら泣きわめいても歯ぎしりしてももう手遅れです。マタイ24:44にこう主は警告しています。「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」と。

この終わりの時代に生きているわたしたちは、主の再臨を控えて、いたずらに浮き足立って生活するのではなく、かといって再臨を無視するような不信仰な歩みをせず、主が命じられたことをしっかりと守っていれば、そしてそのことを忠実に喜びをもって実行することが大事ではないでしょうか。御言葉をきちんきちんと定められた時に語りましょう。牧師ももちろんそうですが、皆さん方も主に委ねられているメンバーの魂の養いのために時間通りに食事をさせて下さい。そしてさらにメンバーが、次の人に食事を与えることができるように育てて下さい。

そして聖霊様によって絶えず祈りましょう。聖霊の油を絶やさないようにしましょう。また自分に与えられている1タラントンを用いて伝道しましょう。地面に掘って隠して置いてはいけません。賜物を用いることです。そして兄弟姉妹に対する愛の業に励んで行きたいものです。やがて主は必ず、天から降って来られます。その時に、言われたとおりのことに励んでいる姿を見てもらいたいものです。    

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