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星を見上げて (マタイ2:1~12)

メッセージ
2018年12月23日富里キリスト教会
「星を見上げて」
(マタイ2:1~12)

1.人間の不安

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。」(マタイ2:1~3)

アブラハム以来、2千年間待ち望んだメシア、救い主が来るということを、ユダヤ人は旧約聖書すなわち律法から知っていたはずでした。そして、そのメシアの来る日を待ち望んでいるはずでした。しかし神の民であるはずの肝心の彼らは、旧約聖書を持っていてメシア到来を知っていながら、何の備えも信仰も持ち合わせてはいませんでした。立派な神殿があり、そこで神を礼拝して、祭司や学者もいました。しかし肝心のイスラエルの王は、もはや真の王ではなくただ支配と権力を持った人間的な自己中心的な王になっていたのです。せっかく博士たちが良い知らせを告げに来たのですが、ユダヤの王様ヘロデの心は穏やかではありませんでした。「王が生まれたという知らせを聞いて、ヘロデは不安を抱いた。」とあります。町の人々もそうでした。

形だけの信仰者、自分中心の信仰者、自分を王様だと考えて何か大きなことをしようとしている人に取りましては、キリストの到来はどうでしょうか?ありがたいことでしょうか、楽しいでしょうか?ちょっと迷惑だなあ、自分の計画がある、まだ来てほしくないなあと思っていませんか?信仰をもって渇いた心でキリストを待ち望んでいなければ、それは迷惑になってしまいかねません。もし明日キリストが再臨するとしたらどうでしょうか。喜べますか?もしかしたらわたしたちも、喜びよりも不安を持ってしまうことはないでしょうか。いつ主が来られてもいいように、心の準備をしておく必要があります。わたしたちの心の準備は大丈夫でしょうか。

町の人々も不安を覚えました。神の民イスラエルの国民でありながら、何の備えも準備もしていない人々です。日常のことに明け暮れていました。そしてさらに恐ろしいのは、ヘロデ王でした。不安を抱くだけではなく、新しい王様を殺してしまうとさえしたのです。どんな不安ですか?自分よりも強い王様、自分よりも立派な王様、自分よりも優れた王だからです。嫉妬、恐れ、比較、自信喪失、敗北感、孤独そういう感情から来る不安です。それがこのヘロデ王を恐怖に陥れ、2歳以下の子供を皆殺しにするという恐ろしい行動へと駆り立てたのでした。彼らは、あの異常に輝く星を見ていなかったのでしょうか?

When King Herod heard the message that the King of Jews is coming, he was disturbed and the people in Jerusalem as well. Why were they disturbed and felt anxiety. King Herod feared his position as a King of the Jews, because he is the only King. He never permitted another king except himself. He compared himself with the true king as the God himself. He tried to see himself as a God. From his inferiority complex and jealousy he tried to kill the King of true God. If we compared ourselves with others, we may feel a fear and jealousy to the other and try to attack and kill the other at last. This is a pattern of some people who are not to please the coming Jesus. He is selfish man, he is a king of this world.

2.博士たちの信仰

肝心の神の民、そして律法と預言書いう旧約聖書を持っていながら、神を求め続けて行かないならば、わたしたちも同じように不安を感じてしまいます。明日キリストの再臨があるとなったらどうするでしょうか。真剣に祈ること、神を求めること、清められることをしないで、日々の生活に追われているならば、わたしたちも同じようになってしまいます。イエス様まだ来ないでください、準備ができていません。せっかくの良い知らせを聞いても不安を感じるだけです。

しかし、イスラエルの人々とは別に、旧約聖書を知らない人でも、自然現象を通して神を求めていた人々がいました。それが今日の東方から来た3人の博士です。占星術すなわち天文学と他にも黄金と乳香と没薬という専門分野に優れた当代きっての学者たちでした。この3人の博士が頭が良かったとかではなく、大事なことは自然を通してその造り主である神を探求していたことでした。彼らも普通の人間です。当時は、博士と言われる自然科学の一人者です。

比較と競争の激しい自然科学の学会で、どうしてこの3人の博士が協力して一緒になってユダヤまで来ることができたのでしょうか。彼らは途中でいろいろと議論して意見が違って別々の道に行ってしまうということはありませんでした。この3人の博士は、それぞれ天文学は共通でしたが、研究分野が違っていました。一人は黄金すなわち、鉱山学、鉱物、金属などが専門です。もう一人は乳香ですから、化粧品分野即ち化学分野が専門です。そしてもう一人は没薬ですからこれは医学薬学が専門です。これらの専門分野が違うにもかかわらず、彼らは協力して互い比較競争することなく、一致してユダヤまでやって来たのです。

どうしてそれが可能であったかと言いますと、共通の目標がありました。異常に輝く大きな星の出現です。そしてその星が何を意味しているのかということを知っていました。その星は、この世の科学の知識や技術をはるかに超えて、人間ひれ伏して礼拝するに値する方へと導いてくれるということを知っていたのです。真の神を指し示していたのです。この世界、自然も宇宙も天体もすべての根源である方がいるという信念をもって研究してきたのです。天地万物を創造された、唯一の真の神が存在するという信仰があったのです。その方を目指しその方のもとへと行く限りにおいて、この3人の博士は一致できたのです。

別な言葉で言いますと、彼ら科学者の目は横を見ていませんでした。お互いに研究成果を比較したり、賞をもらったりするというようなことはありませんでした。お互いに上を向いていました。一つの大きな異常に輝く星という共通の対象物を見ていたのです。上を見上げていました。創造主なるお方を見上げていたのです。この限りにおいて人間は一つになることができるのです。神を見上げ、このお方を礼拝する限りにおいて人間は、たとえ分野が違っているも民族が違っていても生まれが違っていても出身が違っていても一致することができるのです。みんなそれぞれに異なる宝物を持っているのです。

わたしたちもそうです。お互いに競争することも、比較することも、競い合うこともありません。賞をもらったとかもらわなかったとか、評価されたとか評価されなかったでいがみ合うこともありません。嫉妬しあうこともないのです。そしてその共通の星、すなわちイエス・キリストを目指している限りにおいて、一致協力できるのです。なぜならば、この大きな星は地上の救い主へと導いてくれるからです。この世界の創造主であるお方を、すべての民を救われるお方を、真に礼拝を捧げるべきお方へと導いてくれるのです。そしてついにこの不思議な星の導きによって、この3人の博士は馬小屋にいるキリストを見つけて礼拝をすることができました。

If we do not prepare the coming of Jesus and we do not read the Bible and not pray every day, we shall be like King Herod and the people in Jerusalem. It is no preparing Christian. We should search the truth in the Bible and pray to God like this three wise men Magi. They are following the star in the heaven for long distance and for long time overcoming many obstacles and trials. They never stopped to research the truth in nature. For them the nature was their Bible. They never compared each other having different fields. They cooperated and traveled. The reason of their coincidence was to see the common target shining a star in the night sky. Please never see the side, do not look at the person next to you, look up above and look up at heaven. If you are to see the sides, please change your sight to above. If you look up above you never stumble and disturb.

3.宝の箱を開けて

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、当方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」(マタイ2:9~12)とあります。

この3人の博士は、幼子を見てどうしたかと言いますと、「ひれ伏して拝んだ」とあります。そして自分の宝物をささげました。長い旅をしてやっと持ってきたものです。自分の宝物です。聖書には「宝の箱を開けて」とあります。皆さん方はどんな宝の箱をお持ちでしょうか。金庫にあるでしょうか、あるいは銀行に保管しているでしょうか。自分が大事にしまって管理しているものです。その大事な大事な宝の箱を開けたのです。自分が閉まっているものを開いてすべて捧げたのです。

ひれ伏して礼拝をするということは、そういうことです。自分のものはすべて神から与えられたものです。それをあなたにお返ししますという献身の表れです。これが本当の礼拝です。横を見てはいけません。それはヘロデのような、この世の王様の生き方です。他人と自分を比較してはいけません。横を見たとたんに、競争と不安の人生が始まります。悲しいことに現代人は、相手を蹴落として自分がトップになるか、そうでなければ相手を引きずり落とすか、そうでなければ自分で自分の命を絶ってしまうかです。悲しいことにこれが現実の人間の姿です。比較と競争の運命の鎖に縛られています。いつも横を見ています。罪の中にあり、もがき苦しんでいる人間の姿です。神から目が離れていることです。これを罪と言います。上を見上げましょう。目をしっかりと神に向けましょう。これが悔い改めるということです。方向転換です。視点を変えるということです。絶対に、天のひとつの星から目を離さないようにしましょう。

聖書にこうあります。「夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していなさい。」(Ⅱペテロ1:19)と。この聖書の言葉に目を注いで、救い主の来られることをひたすら待ち望みましょう。御子の誕生という初臨の時には、数名の人にしか分かりませんでしたが、今度来られる再臨の時にはすべての人に解るようにして来られます。いつ来られるか分かりませんが、今はすでに終末のとき、災いの時代、艱難の時代に入っています。それだけ主の来臨が刻一刻と近づいています。

The three wise men have been searching the King of the world and found the baby with her mother. And they bowed down and worshipped him. And then they opened their treasures and presented him with gift of gold and of incense and of myrrh. Here they never see the side and other’s present and never compared with their gifts. They bowed down and gave the different gift to Jesus. Please do not think that I do not have anything. We are the wise man having different gift. If you may have gold, give it to Jesus. And if you may have incense, fill the surrounding people with the incense of Christ. If you may have myrrh, heal the broken- hearted people with the healing myrrh. Please do not compare your gift each other, you should give your gift what God gave you and you have. You are the wise man having tremendous gifts.

そして、皆さんは一人一人あの博士です。神様がそれぞれにふさわしい宝物を授けています。いくらその貴重な宝物を持っていて、博士同士がお互いに横を見てしまったらどうなるでしょうか。すぐ比較してしまいます。落ち込んでしまいます。嫉妬に駆られて宝物の比較をしてしまいます。山ちゃんになってしまいます。笹井教授になってしまいます。横を見ないで上を見上げることです。相手の人の宝物に目を奪われないことです。あなたにはあなたにしかない貴重な宝物があるのですから。

それは神である御子イエス・キリストに捧げるものです。他の人よりいっぱいささげたとか、自分の方が少ないと横を見てしまってはいけません。そこには嫉妬と憎しみと争いがあるだけですから。常に、いつでも上を見上げましょう。天におられるお方を見上げましょう。上におられるお方を見上げてまいりましょう。人はみな違う宝物を持っています。何も持っていない人はありません。みんな心の中に最高の宝物を持っているのです。

「わたしはお金にうるさい。」という人がいたら、もしかしたらその人の宝物は黄金かもしれません。黄金を持っている人はその黄金を喜んでイエス様に捧げるでしょう。「わたしは匂いにうるさい」という人がいたら、その人は乳香を持っている人です。いつもキリストのかぐわしい香りを、人々に解き放っているかもしれません。あの人のそばに行くと、イエス様の良い匂いがすると人々を魅了する人です。人々が惹きつけられていきます。「わたしは薬に詳しい」という人は、没薬を持っている人かもしれません。没薬を持っている人は、人々の傷ついた心をいやしてあげる人です。皆さんどれかを持っているのです。人に見せる者でも、人に捧げるのでもありません。比べるものではありません。ただ御子イエス・キリストに捧げるのです。それが「宝の箱を開けて」ということです。そして自分のできることを精いっぱい、全力を尽くしてささげてゆきましょう。           (岡田 久)

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