ようこそ、富里キリスト教会の公式ホームページへ

日毎の糧を与えたまえ (箴言30:7~9)

メッセージ

2015年1月4日富里キリスト教会新年礼拝

「日毎の糧を与えたまえ」
(箴言30:7~9)

1.我らの日用の糧を

この「日用の糧」を漢字に変換してみますと、どうして「日曜日」の日曜が出て来ます。日曜日だけ食べる糧なのかと思われがちです。でも実際はそうではなく、「日用品」の日用です。「日用」を辞典で引いてみましたら、「毎日使うこと。普段の生活で使うこと。例として日用雑貨」と説明されておりました。つまり、「日用の糧」と言いますのは、毎日の生活で使う食べ物という意味です。毎日ごはんを食べるためには、お米を研いで焚かなければなりません。多少は冷凍して蓄えることはできますが、すぐになくなってしまうので、御飯だけは毎日焚かなくてはなりません。日本人にとりましては、このご飯が日用の糧となっています。

やはり、この主食と言いますか、しっかりとおなかに入るものをきちんきちんと規則正しく食べないと、子供も成長してゆきません。それと同じように、わたしたちも主食である聖書の御言葉を毎日毎日、規則正しく食べ続けないと霊的に成長してゆくことができません。わたしたちの主食はこの聖書です。これを毎日毎日、白いご飯を食べるようにして食べ続けることが成長にとって不可欠です。これが「日毎の糧、日用の糧」です。

ある人は、いっきに聖書を読んで、後はパタッとやめてしまうという方がおられますがいかがでしょうか。皆さんも、ご飯を一日で何膳も食べて満腹になって、後は何日も食べないで生活できるでしょうか。いくらバイキングに行って、料金以上の料理を食べても、すぐ翌日にはお腹がすきますね。それと同じように聖書は、食いだめできません。毎日毎日、お米を何合かずつ出して来てご飯を焚くようにして、聖書の御言葉を毎日毎日食べる必要があります。それによって、体が成長してゆくように、わたしたちの霊的命、信仰も成長してゆくのです。

神様は日毎に与えてくださるお方です。その日に必要なものは、その日に与えられます。出エジプト記16章に、食べ物の無い荒野で、神様が日毎の食べ物であるマナを与える記事が載っています。神様は、その家族の人数に従って、ぴったり必要な糧を、毎朝与えてくださいました。しかも、その食べ物は、朝しか集めることができません。日が上ってしまうと溶けてしまうのです。わたしたちも朝のうちに今日の分の聖書の御言葉を読みたいものです。

そして、ある人が、心配して明日の分のマナも取っておきましたら、翌日には虫が湧いて食べることができなくなってしまいました。ですからこの霊の糧は蓄えができないのです。その日の朝にとって、その日のうちに食べなければなりません。また、神様は明日は礼拝があるので、集める仕事ができない日曜日のために、前の日に二日分のマナを与えてくださいました。ですから、神様はお一人お一人に、ちゃんと必要な分を与え、また蓄えさせてくださるのです。これが日毎の糧、日用の糧という意味です。

今日1月4日の週報の聖書日課は、ヨブ記36章、第一コリント6章、ルカ3章の御言葉です。これはこの日に与えられた主の言葉です。明日ではもう食べることができなくなります。2015年1月4日に食べる分なのです。

2.人生になくてならないもの

今日、司会者に読んでいただきました箴言の御言葉に、わたしの好きな御言葉があります。「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉を、わたしから遠ざけて下さい。貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで、わたしを養って下さい。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、という恐れがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません。」
(箴言30:7~9)

アグルという賢者は、自分の生涯の中で二つの大切なことを主に願っています。
自分が息を引き取るまで、この祈りを聞き入れて下さいと言っています。いまわの願いのような祈りです。それは、長生きをさせて下さいとか、一族を繁栄させて下さい、事業に成功させて下さいとかということではありません。

信仰者の人生の最も大切な願いの一つは、「空しいものや偽りの言葉から自分を遠ざけてください」という願いです。真理の基準である聖書の御言葉以外に、人間の哲学やこの世の教えや繁栄と言ったものではなく、まず嘘偽りの言葉から自分の心を守って下さるようにということです。真理とは何か、それはイエス・キリスト様です。この方に世界の起源も目的も原理も全てが隠されているのです。このお方こそ、わたしたちが人生をかけて求めるべき最大の目標なのです。それ以外の物に目を奪われることの無いようにして下さいと祈っています。

皆さんが求めている人生の目標は何ですか、一番大切な物、それさえ見つかれば、それさえ手に入れればもう言い残すことはないというものです。先週は、イエス様に会うまでは死なないという運命をもった、シメオンという人のお話をしました。人生の究極の目的、人生の最大の喜び、それは何ですか。お金、名誉、地位、財産、長寿ですか。ある人はノーベル賞を目指すでしょう。ある人は金メダルを目指すでしょう。それがわたしたちの人生の最大の目標でしょうか。

アグルはこう言っています。「貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで、わたしを養って下さい。」これこそがわたしが生涯をかけて、追い求めている宝物であり、願いだと。わたしのために定められたパンです。つまり人はそれぞれ、自分に与えられている神様からの日用の糧、パンがあるのです。それで養って下さいと言っています。なぜその自分に定められたパンが必要なのかと言いますと、9節にその理由が述べられています。

賢者アグルは、自分の人間としての弱さ、罪深さを知っていました。いくら信仰深い生活をしていても、いざ、宝物が与えられて億万長者になれば、神なんかいない、必要ないと言ってしまいかねない自分の弱さを知っていました。また、いくら神を信じて信心深い生活をしていても、実際に食べる物が無くなれば、盗みを働いてしまうこともあるかもしれないということも知っていました。

ですから、富みすぎることの無いように、また貧しすぎることの無いように、自分に必要な糧で毎日毎日を養って下さいと言っているのです。「それがわたしの生涯をかけた願い」ですと言っています。主の祈りの「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という祈りの中には、この箴言の御言葉のような意味もあるのではないでしょうか。毎日毎日、そのことを真剣に祈り求めて行くのです。主の祈りをただお題目のようにして唱えてはいけません。その祈りに込められた深い意味を考え、意識しながら祈るのです。自分の言葉に置き換えて祈るのもいいでしょう。(例を述べる)

実に私たちは弱いです。明日への思い患いが、不安を駆り立てて、必要以上のたくわえ、自分の富を自分の倉に積み込んでしまうことはないでしょうか。ですからここでは、明日のための備えをしないで、今日のための分だけを取りなさいと言っています。これが「日用の糧」という意味です。そしてこれは、絶えず悔い改めて主に祈り求めていかないと、陥ってしまう落とし穴となるのです。口語訳聖書では「貧しくもなく、また富もせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養って下さい。」と訳しております。なくてならない食物です。それさえあれば、後は何がなくても大丈夫だという意味です。これが、日毎の糧、日用の糧ではないでしょうか。

3.今日も与えたまえ

わたしたちは弱いものですから、食べ物やお金のことで高慢になったり、逆に落ち込んでしまって罪を犯すこともあるかもしれなせん。ですから、必要なものを毎日神様に祈り求めなさいと教えています。つまり、食べる物から着る者まで、私たちの周りの日用品はすべて神様から来るということです。何一つ自分で手に入れたものはないはずです。「与えたまえ」と祈ることが大事です。

それは毎日毎日必要なものだからです。神様がちゃんとご存じなのです。そして何よりもそれらを下さったのは神様なのです。神はすべての所有者ですから、必要に応じて私たちに必要なものをきちんきちんと与えてくださいます。わたしたちの全ての日用品は、神様から与えられたものです。神に起源をもっています。食べる物も、着る者も、住むところもです。子供も家族もです。そして最愛の妻ですら神様からの賜物だと言っています(箴言31:10~30)。日用雑貨の細部にわたるまで神様の手の届かないところはありません。

この第四の「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」というこの祈りは、ただ単に霊的な食べ物だけではなく、日毎に私たちを養い生活を支えてくれる日用品から食事に至るまでの物質的なものまでも含んでいると思います。与え主である神様をいつも意識し、謙虚に願い求める祈りです。そして最も大切な霊の糧である御言葉を求める祈りでもあります。「わたしのために定められたパンで、わたしを養って下さい。」「なくてならぬ食物でわたしを養って下さい。」と賢者は祈っています。

この命の言葉もまた日毎の必要もすべて、与え主である神から来ます。神様はいつもこの恵みの命の言葉をもって、待っていて下さるお方です。皆さんがいつ求めるのか、いつ下さいというのかを待っておられるのです。その恵みと命の言葉を、絶えず祈り求めて行く年になりたいと願っております。

powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional