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必要なことは唯一つ (ルカ10:38~42)

メッセージ

2016年6月5日富里キリスト教会

「必要なことは唯一つ」
(ルカ10:38~42)

1.忙しくして心を乱している姉マルタ

「一行が歩いて行くうちに、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。『主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようおっしゃってください。』主はお答えになった。『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことは唯一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。』」(ルカ10:38~42)

マルタとマリアという二人の姉妹がいました。姉のマルタは、主の一行が来られるということで、さっそく自分の家に一行を迎え入れました。ところが妹のマリアは、イエス様が中に入ってお話を始めるや否や、イエス様の前にちょこんと座って、熱心にその話に耳を傾けているではありませんか。お姉さんはこの忙しいのに、マリアは一体何様のつもりで、話を聞いているのかと思ったのでしょう。妹に面と向かって言えばいいのに、本人に言えないで、イエス様に注意してもらおうとしました。

現代訳聖書ではこう言っています。「主イエス様、わたしはあなたのためにこんなに心を配って御馳走を作っておりますのに、この妹は、わたしだけにやらせて、自分はちゃっかりと座り込んで、御言葉に聴き入っておりますの。それを何ともお思いにならないのですか。何とか妹におっしゃってくださいませ。」と。姉のマルタの様子が目に浮かぶようですね。いつの時代でもどこでもよくありがちな場面です。マルタの気持ちもわかります。この忙しいのに一体妹は何をしているのだろうというイライラと焦る気持ちです。そして自分だけがしているという不公平感です。いかがですか、皆さんはこのマルタの態度と言葉をどう思いますか。彼女は本当に、心底イエス様をお迎えし、イエス様に仕えるという信仰と気持ちがあったでしょうか。

これに対してイエス様はこう言われました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことは唯一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(10:41~42)
マルタは、お客様を迎えて、心がもうパニックになっていました。「多くのことで心が思い悩んでいる」と言いました。確かにそうです。いろんなことを同時にしなければと思うと、心がパニックになってしまいます。

今日もそうです。第一の主日はいろんなことがあります。日曜日の礼拝に説教に集中したいのですが、あれもあるこれもあると思うと、もうなにが何だか分からなくなってしまいます。説教以外に、主の晩餐式があります。6月のお誕生日のお祝いもあります。午後からは役員会があってその奨励の準備と案件の準備、5月分の教会活動の報告など、パニックになってしまう時があります。段取りが悪いと言えばそれまでですが・・・。

どうしてクリスチャン生活、教会生活がそうなってしまったのでしょうか。何もしないでただ集まって御言葉を分かち合い体験談を分かち合って、ゆったりとする時間を過ごすことはできないものでしょうか。それはやはり、このお話の前の良きサマリヤ人のたとえ話から来ていることにも原因があるのではないかと思います。10:27と37にこう言う御言葉があります。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」「行って、あなたも隣人に同じようにしなさい。」と言いました。

つまりこの最後の37節の御言葉から、クリスチャンは隣人愛を第一としなさいという誤った戒めが来てしまったからではないでしょうか。キリスト教信仰の中心は、まず隣人愛の実践、他者に仕えること、奉仕をすること、弱者救済を第一とすべきではないかという誤解があったのではないでしょうか。ですからまず、奉仕が先になってしまっていたのです。それが信仰生活だと誤解していることはないでしょうか。そしてその前に、何よりも神を愛すること、御言葉に耳を傾け祈ること、これが第一とされなければならなったのです。

わたしも正直言いまして、入信した時にはそう考えていました。救われたら、何か人に良いことをする、あの良きサマリヤ人のように助けを求めている人がいたら、親身になって助けてあげるのがクリスチャンのモットーではないかと考えて来ました。でもこの隣人愛の真の意味は、隣人愛を行う前に、まず「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし思いを尽くして神を愛すること」を教えています。それから「自分を愛するように隣人を愛せよ」なのです。この第一の戒めを飛び越えて、いきなり第二の戒めである隣人愛を実践しようとするところに、クリスチャンの誤解があったような気がしてなりません。マルタの苛立ちがあったのではないでしょうか。

もしわたしたちが第一のものを第一としないで、隣人愛に走るとどういうことがおこるかと言いますと、そうしない人を非難、攻撃してしまうのです。マルタが、何もしないで話ばかり聞いている妹に対して文句を言ったようになってしまいます。クリスチャンなのに何もしない、聖書には隣人愛の実践を説いているのに、隣人愛、弱者救済、差別撤廃の働きを何もしていないではないかという非難です。しかもそれの非難は知らないうちに、神であるイエス様をも非難するまでになっているのです。いつのまにか神をさえ、自分の意のままになる代弁者、自分を助けてくれるサポーターとみてしまっています。

大事なことは自分の内にある罪の存在です。イエス様はそのために命のみ言葉を携えて来たのです。マルタも忙しく立ち回るのではなく、じっと静まって主の前に自分の罪について深く反省すべき時なのです。それがこのマリアの家での集会だったのです。飲み食いや接待ではないのです。皆さんのスモールグループもそうではないでしょうか。飲み食いや接待ではなく、みんなが共にテーブルを囲んで自分のことを静かに語り合って慰め合い助け合うのが、最高の御馳走ではないですか。パウロも言っています。「神の国は、飲み食いではなく聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」(ローマ14:17)と。(先月の男性SGの証し)

2.主の足もとに座って聴いていたマリア

さて妹マリアの方はどうしていたでしょうか。マリアはお姉さんに反発するわけでもなく、また姉に言われたからと言って、しぶしぶ席を立って台所の方に行ったというわけでもありません。マリアについては、「主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。」(10:39)とだけ書かれています。そしてイエス様はマリアに対して、「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」と言いました。

マリアは良い方を選んだのです。それは主の足もとに座って話に聞き入るということです。この座るという言葉のもとのギリシャ語は「パラカシゾマイ」という言葉ですが、「パラ」は「そば」とか「傍ら」という意味です。しかも足もとのそばに座って聞くということです。(場面を想像してみてください)姉のマルタが、座っているイエス様の頭の上からしゃべっているのと違い、妹マリアはイエス様の足もとに座って、そばに居て真剣に聞いているのです。同じクリスチャンでも、また同じ奉仕をしていても、イエス様に対してこんなにもはっきりと態度に違いが出て来るのでしょうか。

「主の足もとに座って聞く」ということは、三つの意味があります。まず第一は、「いつも生活の中心を主の御言葉におく」ということです。第二は、足もとですから、「へりくだって聞く」ということです。そして第三は、「十字架のもとで」という意味があります。つまり、「常に主の十字架のもとに座って、十字架を見上げることです。常に自分の罪の告白と悔い改めを持って祈る」ということではないでしょうか。

イエス様はそういうマルタに対して、現代訳聖書ではこう言っています。「マルタ、マルタ。あなたはあれもこれもと、いろいろなことに気を配って、思い煩っていますね。しかし、本当に必要なものは、そんなにあるものではありません。いや、一つしかないのです。人に奉仕するよりも、神様に奉仕することが大切です。マリアはそれを選んだのです。わたしの言葉を聞くこと、これ以上大切なことはありません。」(10:41~42・現代訳)

人に奉仕するよりも、神様に奉仕をすることが大切だということです。同じクリスチャンでもいつの間にか、イエス様に奉仕するつもりが人間に対する奉仕になってしまって、神様に対する奉仕でなくなる時があります。困っている人の中に、イエス様の姿を見るならば、決して不平不満は出ないはずです。でも、困っている人だけを見るならば、そこには神様に奉仕しているという感謝の思いではなく、させられているという重荷の方が出て来るのではないでしょうか。

イエス様は、何も知らずにイエス様に文句を言い続けている姉のマルタを、優しく諭しています。決してお前が悪いとか、お前が間違っているとは言いませんでした。ただ、「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはいけない。」と優しく諭されました。おそらくその後に、「あなたも良い方を選びなさい。そして一生懸命喜んで接待しなさい。」と言われたのではないでしょうか。皆さんはどちらを選ばれますか。なくてならぬもの、わたしたちの人生で必要なことは唯一つだけです。       

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