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御国が来ますように (マタイ6・5~13)

メッセージ

2009年5月17日富里教会
      「御国が来ますように」
           (マタイによる福音書6:5〜13)
                   
1. 御名が崇められますように
神学者のマーカス・ドッジ博士は主の祈りについてこう言っています。「主の祈りは、母の膝の上で学んだものですが、その意味を十分に知るためには一生かかるかもしれません。また、その祈りが全部答えられるには、永遠に時間がかかるかもしれません」と。私も、私たちの祈りの生活は、主の祈りに始まって主の祈りに終るといっても過言ではないと思います。それだけ深い意味のある祈りではないかと思います。ルカによる福音書11:1では、弟子の一人がイエス様に「主よ、私たちにも祈りを教えてください」(Lord, Teach us to pray.)と言っています。私はこの英語の言葉のニュアンスと響きが好きです。そして自分もイエス様に素直に、このように尋ねることができたらと思います。またこの祈りは、弟子が尋ねていますので、キリストの弟子としての祈りでもあります。そしてイエス様はこの祈りを、密室で祈るように教えてくださいました。

まず最初に、私たちは「天のお父様!」といつでもどこでも呼びかけることができるのです。天におられる真のお父様を知っています。また持っているということです。私たちを神の子として選び、罪を贖い、天の国に招いて下さった方がおられるのです。そのようなすばらしい神の子としての身分を与えて下さった神様を覚えて、その方のお名前をほめたたえ、賛美するようにさせて下さいというのが第一の祈りです。祈る資格も賛美する資格もないこのような罪人にも、どうかあなたを崇めさせて下さいと、呼びかけること。これが第1の祈りです。

私がこの神様の御名、とりわけ三位一体の神様の御名を崇めるために用いている、とても良い聖書の箇所があります。それは、エフェソ1:3〜14の御言葉です。ここには、天地万物の創造主にして、私たちをあらかじめ救いに選び定めて下さった父なる神様(4〜5)。そして十字架の上で私たちの罪をあがなって下さった子なる神様のイエス・キリスト様(7〜11)、そして、救いの保障を与えて下さった聖霊様(13〜14)の三位一体の神様の働きが述べられています。そして、私たちが救われたのは、一重に私たちが、「神の栄光をほめたたえるためなのです。」(1:6,12,14)という言葉が、それぞれの神様の働きについて記した段落の後に述べられています。

このエフェソ書1章の御言葉を用いて、何故私たちは「神を崇めるのか」を取り上げながら第1の祈りをしますと、5分〜10分くらいかかってしまうことがあります。ですから、主の祈りと言うのは、とても15秒で終る祈りではないことが解かります。

また、主の祈りは個人的にも短く祈られます。手術の直前の祈りや誘惑にあった時の祈り、お寺の法事で和尚さんの読経の間の祈り、交通事故に会いそうになった時の祈りなど、このとっさの主の祈りは大きな力を発揮します。でも、密室で祈る時にはもう少し時間をかけて、神様のお名前を崇め賛美してもいいのではないでしょうか。他にもヨハネ3:16の「神はその独り子を賜ったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」という有名な御言葉がございます。いずれにしても、「御名を崇めさせたまえ」という祈りは、神様の本質、ご性質、その働きを覚えて、真の神として崇められ、礼拝されますようにという弟子の祈りです。

2. 御国を来たらせたまえ

次に「御国が来ますように」という祈りですが、「御国」あるいは「神の国」、「天国」どれもギリシャ語では「バシレイヤー」という言葉で、「権威」という意味です。ですから、「御国が来ますように」という祈りは、神の権威の及ぶ領域が広がりますように、神の支配が来ますようにという意味になります。まず、自分の心の扉が開かれ、私が心を明け渡して、神様の御支配の中に歩むことができますようにという祈りです。神の国が、どこか自分を離れて、自分とは別のところで、どこかの地域や町に実現するということではなく、あくまでも第一のことは、私が完全に神様の御支配の中に置かれますようにという祈りなのです。

まず、私の心の中に神様の御支配が実現し、私を通して、神様の御支配がさらに広まって行きますようにという祈りです。ですから私の心の中を見ないで、自分を括弧に入れて、御国の実現を祈っても何も変りません。よく「神様、うちの主人を救って下さい。このままでは、私が天国、あの人は地獄へ行きます。『信じなければあなた地獄行きよ』、と何度主人に警告しても教会に来ません。私はもう疲れました。」と言われる方があります。自分を括弧に入れて、相手だけを何とか変えようとしているのです。ご主人の救いの前に、まず、自分の心の中に神の国、神様の御支配が来ているでしょうか。

ですから、肉的なクリスチャンが、日毎に新しく生まれ変わり、霊的なクリスチャンに、すなわち「霊の人」になってゆくようにと、パウロは熱心にとりなしの祈りを捧げています。それがエフェソ3:14〜21のパウロの祈りです。(他にも同じような祈りが、フェリピ1:9〜11、コロサイ1:9〜12などにもあります。)私たちの内なる人が強められ、心が清められて、キリストが私たちの心の内に宿って下さり、キリスト様の御支配が、私を通してますます拡大し広がって行くようにという祈りです。これが「御国」の祈りです。最も大切な祈りです。

「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、誰にでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。」(ヤコブ1:5)「求めなさい。そうすれば、与えられます。」(マタイ7:7)遠慮しないで、根気強く求めてみませんか。なかなか祈れない人、語れない人、不十分な人ほど神様の祝福を受けるにふさわしい人です。そして神様は、皆さんの心を支配し、次に皆さんの体や言葉や態度、口、手、足を通して、奉仕や伝道を通して、御心をこの地上で行なおうとされているのです。

3. 御心が行なわれますように

それが「御心が行なわれますように、天におけるように地の上にも」という第3の祈りなのです。この「御心が行われますように」という祈りは、私を抜きにしてではなく、私の心を通して、私の体を通して、私の手足を通して行われますようにという祈りです。この上から来て、私を通って流れて行く霊の流れが大事です。私の内側に宿り、私を満たし、作り変え、私という器を通してこの世に、神様の御心を実現しようとしておられるのです。

それにはこの礼拝の時、祈祷会の時、一人一人の密室でのデボーションの時が必要なのです。そして常に、上を向いて神様を崇め賛美し、神様のみ言葉を信じ、聖霊様を通して自分の内側を新しく作り変えていただき、この私を通して、神様の愛が家庭に職場に社会に広がって行くこと。これが「御心が行なわれますように」という祈りです。既に天においては神様の御心がなされ、イエス・キリスト様を中心にしてすべての被造物が礼拝を捧げています。そのような天上の礼拝がこの地上でもなされ、すべての被造物が御前にひれ伏し礼拝しますように、というのがこの第3の祈りなのです。

今朝は「御名を崇めさせたまえ、御国を来たらせたまえ、御心を地にもなしたまえ」という主の祈りの霊的な流れと意味を知って、私たちを通して、また教会を通して神の国が力強く、前進し拡大してゆくことを願って語らせていただきました。この主が教えて下さった祈りに少しでも近づいて、御心にかなった祈りができるようになりたいと願っております。最後にもう一度、一人の弟子が尋ねた「主よ、私たちにも祈ることを教えてください」というこのへりくだった信仰を持って、主に祈ってゆきたいと思います。                                  (岡田 久)

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