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後ろを振り返るな、山へ逃げなさい (創世記19:15~29)

メッセージ
2018年7月22日富里キリスト教会
「後ろを振り返るな、山へ逃げなさい」
(創世記19:15~29)

1. ソドムの罪

「二人の御使いが夕方ソドムについたとき、ロトはソドムの門のところに座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して、言った。『皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊りください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。』彼らは言った。『いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。』しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトのところに立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。『今夜、お前のところに来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。』」(創世記19:1~5)

ロトがソドムの門のところに座っていたと言いますのは、彼はソドムの町でも高い位について、人の出入りを監視していたのでしょうか。ソドムの町で成功して、町の長老の一人になっていたようです。ロトもかつてアブラハムと一緒に行動していましたので、この客人が神の使いであることを知って、自分の家に招き入れました。しかし、この二人の御使いは最初、ロトの家に入ることを拒みました。アブラハムの時には、三人の神様が来訪しましたが、ロトの時には二人の御使いが身を隠して来ました。彼らは偵察に来たのです。そして野宿して町の様子を探ろうとしたのではないかと思います。最初ロトの歓迎には答えませんでしたが、ロトは強いて彼らを家に招いてもてなしをしました。

ところが夜も更けないうちから、町のならず者たちが、ロトの家に押しかけてきて、その二人の旅人を出せと言ってきたのです。なぶりものにしてやるというのです。二人は天使ですから、その容姿が美しかったのでしょうか。男たちの格好の獲物になってしまいました。ソドムという町の名前から、忌まわしい言葉ができました。英語で「ソドミー」と言いますと、男色という意味です。それだけ、この町は性的にも道徳的にも堕落を極めていたということです。これで神様の判定ははっきりしました。もはや滅ぼす以外にはありませんでした。

その結果、ソドムの町にはロトの家族のたった4人しか義人はいなかったのです。10人もいませんでした。でも神様は、アブラハムの祈りを覚えていてくださって、ロトの家族だけは滅びから救おうと決心されたのでした。ロトはこの後、御使いを守るために、自分の二人の娘を客人の代わりに差し出すから、この客人だけには手を出さないでほしいと願い出ます。このロトの決断もいかがなものでしょうか。天使を守るという意味では正しいかもしれませんが、その身代わりに自分の娘を差し出すというのは、信仰者としては少し考えられない決断のような気がします。

これを見ますとロトという人は、後先考えずにその時の目先の判断で、ことを決めてしまう人ではなかったかと思います。かつては信仰はあったかもしれませんが、じっと忍耐して辛抱強く神の助けを待つというのではなく、目先のことに当たってきた人のように思えます。神様に祈って助けを待つというようなことはなかったようです。19章には、ロトが祈ったとか、神に尋ねたという言葉は一切ありません。もしかしたら、すでにロトは祈ることさえない生活をしていたのではないかと思われます。

The two angels arrived at Sodom in the evening, Lot saw them and urged them to come into his house. First they rejected the Lot’s proposal but Lot insisted strongly for them to stay at his house. At night all the men in Sodom surrounded his house and said “Where are the men who came tonight to you? Bring them out to us so that we can have sex with them.” English word “sodomy” means male homosexuality. This is a clear evidence that Sodom is a corrupted and profane city. The Lord decided to punish Sodom and Gomorrah. And the Lord said to Lot to destroy these cities and ordered him to take his wife and daughters and flee from Sodom as soon as possible.

2.後ろを振り返らず、命がけで逃げよ

「夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。『さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。』ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手を取らせて町の外へ避難するようにされた。彼らがロトたちを町外れへ連れ出した時、主は言われた。『命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。』」(創世記19:15~17)

御使いはロトに言いました。「さあ早く、妻と二人の娘と共にこの町から出て行きなさい。」と。しかし、その時ロトはためらっていました。ロトの心の中にも迷いがありました。葛藤がありました。本当だろうか、冗談ではないだろうかと。そのように迷うロトを主は憐れんで、御使いに無理やり町の外へ出るようにさせました。そして町外れまで来たときに、更に主は彼らに言われました。「命がけで逃げよ、後ろを振り返ってはいけない。」と。

新約聖書に、このソドムの滅亡を引用して、現代のわたし達に警告を発している箇所があります。「ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。」(ルカ17:28~33・P143)

自分の家や財産や貯金や家財道具を惜しんで、後ろを振り返ってはいけないと警告しています。わたし達の信仰生活は、この世の富や知識や名誉やお金との戦いのような気がします。せっかく信仰をいただきながら、この世のことに心が奪われて後ろ髪をひかれ、この世の生活に舞い戻ってしまうことがあります。この後のロトの妻がそうでした。せっかく御使いに励まされ、手を引いてもらいながら、やっとの思いで途中まで逃げて来たのに、自分の家や財産や、家財道具、洋服、宝石のことが気になって、つい後ろを見てしまったのです。後ろを振り返れば、心がすぐにそこに飛んで行ってしまいます。心が神様から離れてしまいます。彼女はたちまちにして、塩の柱になってしまいました。死海のあたりは湖の中も岸辺もいたるところ岩塩でできています。塩は貴重なものではなく土のようなものです。塩の土です。ですから塩の柱になったということは、本来の塩の味を失って、何の役にも立たずに捨てられてしまったということです。

When Lot hesitated to flee from his residence, angels grasped his hand and said to them. “Flee for your lives! Don’t look back, and don’t stop anywhere in the plain! Flee to the mountains or you will be swept away!” Can you decide to follow the Lord’s word at once leaving behind your money, furniture, car, new house, and jewelry and the others. The angel said “Flee for your lives! Don’t look back!” we had a great flood before two weeks. Many people hesitated to flee from their house and staying in it and waiting the water withdraw. But the water is getting more and more increasing. And in other case such as Tsumami many victims returned to their house to bring back important things. There the second and third wave attacked. Just like that case when they freed from Sodom the wife of Lot looked back, then she became a pillow of salt at the moment. Please don’t look back, look forward straightly. Do not look back to the property in this world, look forward to God.

3.低地にとどまらず、山へ逃げなさい

ではいったい私たちは、どこへ逃げたらいいのでしょうか。主は「山へ逃げなさい」と言いました。そして低地にとどまってはいけないというのです。ロトは主が山に逃げなさいと言ったにもかかわらず、「山までは逃げられません、できません。」(19:18)と答えました。「ロトは言った。『主よ、できません。あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、わたしは山まで逃げ延びることはできません。おそらく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。ご覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。あれはほんの小さな町です。どうか、そこで私の命を救ってください。』」(19:18~20)

ロトは山まで逃げなさいと言ったにもかかわらず、それを断りました。「主よ、できません。」と。でもできるかどうかは、自分が判断することではなく、神様の判断することです。ロトはどこまでも自分の目で、自分の考えで自己中心的な判断をしてしまう人間でした。小さい町ですから、今度はいいでしょう。あんなソドムのような大都会ではありませんから、そこの町の文化や習慣に染まってしまうことはないと弁解しました。このようなロトのわがままにも、主は寛容を持って受け入れてくださいました。そしてそこの町は「ツォアル(小さい)」と名付けられました。

ペテロは、ロトのことを義人、正しい人と書いていますが、別の注解書には「堕落した信仰者」ロトとありました。確かに彼は、アブラハムとは違って、同じ信仰はもっていましたが、どこかしらこの世的に成功を求めるような肉的な信仰者のような気もします。山へ逃げなさいと言ったにもかかわらず、それを断って、近くの小さな町に逃がしてくださいと願いました。どこまでも自分中心です。自分中心の信徒、肉的な信徒と言ってもいいのではないでしょうか。でも、このロトの生き方を見る時に、わたしも自分自身の生き方と似ているような気もします。誰でも自分を見る時、「できません」と言ってしまいます。でも祈りは、「わたしはできません。でも神様にはできないことはありません。」と告白するのが、真の祈りではないでしょうか。

つまり、山へ逃げなさいということは、何もないところに行きなさいということです。伝道者でしたら、開拓伝道、風前の灯火のような小さな教会、どこからも生活の支援がない場所です。まさに砂漠のような生活です。そういう何もない山のような場所、砂漠のような荒れ地に自分を置きなさいということです。誰もそんなところへ行きたくないですよ。でも実際は、そこへ逃げ込む時に、神様の祝福が待っているのです。イエス様も言いました。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門は何と狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」(マタイ7:13~14)

まさに十字架の道です。重荷を背負う人生です。でもそこにこそ本当の意味での神の平安と祝福があるのです。いや祝福が待っているのです。孤立無援、お先真っ暗の場所です。逆にそこは、神の御言葉にしか頼ることができない場所です。神と一対一で向き合って、いつも助けを求める場所です。自分の力の限界を感じる場所です。それが山なのです。神様は山へ向かうように命令しました。ロトはそれを断りましたが、アブラハムはどうしたでしょうか。彼は、主の山に向かいました。自分の一人息子イサクを背負って、その一番大事な物を捨てるために、山に出かけました。いわば自分を捨てる場所です。そして自分という一番大事な物を捨てた時に、神様から大きな恵みが与えられました。「主の山に備えあり」です。これが「山へ逃げなさい」ということの真の意味ではないでしょうか。
山は自分を捨てる場所でもあり、そしてそこで神と出会う場所でもあります。

Where do we flee to? Where is the mountains that the angel indicated . The mountain is the place for us to live very hard, because nothing is there.
There is nothing in the mountains, there we have to give up to live by myself. We have to live to ask and to trust in God only. Don’t trust in this world prosperity, this is the true meaning of “Don’t stop anywhere in the plain”. The place where we should stay is the mountain that made us pray trusting in invisible God. Later of this story Abraham went to the mountain to sacrifice his beloved only son. There he abandoned himself and submitted himself to God, this is the true self-sacrificed altar on the mountain. God ordered us to give up ourselves and died for ourselves and submit ourselves to the word of God. This is the mountain where God ordered to us.

4.神はアブラハムの執り成しの祈りをきかれた

結局、ソドムにはロト夫婦と二人の娘の4人しか正しい人がいなかったことになります。ロトとその家族が救われたのは、彼が信仰深かったからでしょうか。ロトが義しい人だったからでしょうか。そうではないような気がします。ロトの家族が救い出されたのは、ひとえにあのアブラハムのしつこい祈り、6回も食い下がった祈りがあったからでした。聖書には「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。」(創世記19:29)とあります。

ロトの家族が救い出されたのは、ただ一重に、アブラハムのあの6回の執り成しの祈りがあったからです。神様と取引をするような、少しずるがしこいような祈りです。それでもいいと思います。神様ともっと取引をしていいのではないでしょうか。ただ一方的にあれしてください、これしてくださいだけではなく、こうして下さったら、わたしはこうします。神様に食いついてゆく祈りです。神様の道に立ち塞がるような熱心な祈りです。

「ま、実現してもしなくてもいいや、とりあえず祈っていこう、かなえられたら儲けもの、もしダメであっても、もともとそんなに期待していないし・・・。」という中途半端な祈りは聞かれるでしょうか。この執り成しの祈りによって、そんなに信仰があったと思われなかったような人でも、神の裁きから救われました。その人の救いは、その人本人よりも、わたし達の執り成しの祈りにかかっていると言っても過言ではありません。命がけの祈りです。

Let us pray for the people toward the punishment of God, especially for the salvation of our family and friends. God ordered to us flee to the mountains where is the alter of interception prayer. God granted our small prayer and never passed away our prayer with confession of weakness and crushed humble heart.

わたし達も祈りましょう。友のためにまた家族のために、また滅びに向かっているソドムとゴモラの人々のために執り成しの祈りをささげましょう。主の山へ行って祈りましょう。自分の願いや自分の希望を述べるだけではなく、むしろ自分というものを捨てて、自分の限界を告白して、主にゆだねて祈りましょう。心貧しきもの、弱い者の祈りを主は軽んじられることはありません。へりくだって、自分の失敗と弱さと罪を告白して、ただ主の助けを求めつつ、主の御顔を仰いで祈ってまいりましょう。

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