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和解の宣教者ヨセフ (創世記41:1~36)

メッセージ
2019年8月4日富里キリスト教会
「和解の宣教者ヨセフ」
(創世記41:1~36)
1. 2年の忘却の時

さて今日の聖書箇所の41:1の前の40:23から読んでみましょう。「ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。2年の後、ファラオは夢を見た。」とあります。ヨセフが給仕長に、自分の無罪と釈放をお願いしたにもかかわらず、彼は2年間ヨセフのことをすっかり忘れていました。どうしてこのとき2年という月日が必要だったのでしょう。よくも2年間も命の恩人を忘れていられるものだと思います。

そしてヨセフに取りましても、2年間は神様の時を待つ時でもありました。彼はひたすら、牢屋の中で、毎日毎日単調な日々を過ごしていたと思います。2年間も音沙汰がなければ、自暴自棄になってしまうこともあったのではないでしょうか。神は自分を見捨ててしまったのではないだろうかと疑う心も起こってきます。イエス様があの十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしを見捨てられたのですか?」との叫び声をあげたように、自分が完全に神から見捨てられたというどん底を経験しない限り、神様はそこから引き上げて下さらなかったのではないでしょうか。

主イエスも、十字架に架かって死なれ、黄泉の世界まで下られ、どん底に落ちて、そこから三日目に復活されました。死んでから二日後です。ですからヨセフに取りましては2年間というのは、例えば2019年、2020年、2021年の足かけ三年ということです。イエス様も金曜日に死なれ、土曜日おいて、日曜の朝に復活しました。足かけ三日ということになります。ですからこの「2年の後」ということは、主の十字架と復活の間の期間を示していることになります。完全に主が死んで黄泉に下ったように、ヨセフも完全に夢が断たれて死んでしまったということではないでしょうか。しかし、そこから神の時が働きだすのです。
それは復活の時です。

コヘレトの言葉に次のような言葉があります。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、殺す時、癒す時、破壊する時、建てる時・・・神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を初めから終わりまで見極めることは許されない。」(コヘレト3:1~3、11)

わたしたちはすべてこの神の時の中に生きているのです。ですから2年間の待つ時間、2年間の空白の時間、これもすべては神様の備えの時だと言うことです。ヨセフに忍耐を与え、それによって彼の傲慢な心が砕かれました。給仕長に取りましても、彼が順調に用いられて、王のそばに行って進言をしたり相談役になったりするまでに、2年の歳月が必要だったのではないでしょうか。神様のなさることには、無駄がありません。皆その時にかなって美しく調和しているのです。
わたしたちにできることは、ヨセフのようにただ信じて祈って待つということではないでしょうか。

Joseph had been left in the jail after he interpreted the dream of the cupbearer. The cupbearer forgot Joseph’s request for two full years. But the time has come that Joseph interpreted a dream of Pharaoh. And then he was delivered from jail and became a minister of the land of Egypt. The time of resurrection has begun. It has been two years as Joseph was delivered. Joseph’s patience has been tested for two years. He might have thought that God abandoned him, cupbearer has forgotten but God never forgot. Even if he has been in jail for two years, it may be the time that God provide the best timing. Ecclesiastes said that there is a time for everything. There is a time of God for everything, so we should wait for the time of God.

2. 人間の記憶と心を通して世界を支配される主

この後、ファラオは7頭の雌牛の夢を見ます。そしてまた7つの穂の夢をも見ます。この夢の意味を解き明かしてもらうために給仕長の進言によってヨセフを召し出すことになります。
「その時、例の給仕役の長がファラオに申し出た。『わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄にわたしと料理役の長を入れられたとき、同じ夜に、わたしたちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、わたしたちの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。そしてまさしく、解き明かした通りになって、わたしは元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました。』」(41:9~13)

ここで給仕長は「自分の過ちを思い出した。」と言っています。神様は王がちょうど不思議な夢を見た時に、この給仕長にかつての約束を思い出させてくれたのではないでしょうか。夢つながりで、ヨセフのことも思い起こさせてくれました。そしてちょうどよい時に、王様の夢を解き明かすことのできる若者がいると進言したのです。このファラオが夢を見る時まで、神様は給仕長の記憶からヨセフのことを忘れさせていたのです。もし王様の夢の時でなかったとしたら、ヨセフはここまで重用されることはなかったでしょう。まさにすべてに時があったのです。

神様はわたしたちの記憶もご支配しておられると言うのです。忘れることも神様の御心ですし、また思い出すことも神様の御心です。神様は自由にわたしたちの記憶もコントロールされるということです。そしてまた人間の心も神様がご支配されるのです。

王様がヨセフを牢獄から呼び出して、問いただした時、彼は王にこう答えました。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」(41:16)と答えています。この言葉の中にヨセフの心がいかに練り清められたかが分かるのではないでしょうか。子供の時には、わら束の夢や星の夢を兄たちの前で得意げに語りましたが、今はそうではありません。「王様の幸い、幸福について神様が告げているのです。」と言いました。昔でしたら、「王様、わたしがその夢の意味を解き明かして見せます。」と言って得意げにその夢の意味を解き明かしたのではないでしょうか。でも今は相手のこともよく解るようになりました。

もしヨセフが得意げに解釈をしたのであれば、もしかしたらファラオはヨセフを大臣にはしていなかったかもしれません。「ヨセフには神の霊が宿っている」(41:38)とファラオをして言わしめたのは、まさしくヨセフのヘリ下りと謙遜という人間的な成長のゆえだったのではないでしょうか。あのヨセフが、ここまで作り変えられるためには、兄弟に裏切られ、のけ者にされ、無実の罪で牢獄に入るという様々な試練を通されなければ彼はへりくだらなかったのではないかと思います。全てに神の時がありました。

記憶を思い出したり、夢を見させることは神様にはできますが、人間が本当にへりくだって謙遜になるためには、本人の悔い改めがなければ起こりえなかったのです。それほどに人間の傲慢さとか自己中心の心というものはなかなか変えられないのです。でも、神様はこの高慢な若者を、様々な試練を通して新しく造りかえてくださいました。

そしてこのヨセフのヘリ下りと誠実な態度が、エジプト王ファラオの心を動かしたのです。ヨセフの霊的な成長、すなわちへりくだった態度によって、エジプトの王までもが感心して、感化されました。ヨセフの中に神の働きを見たのです。そしてこのヘブライ人の名もない一人の若者に、エジプト全土の統制権を与えたのです。更に自分の娘も与えて、王に次ぐものとしました。ヨセフは異邦人の王とその王宮にも大きな影響を与えたのです。ヨセフはイスラエルの長になっただけではなく、このファラオを通してエジプトの宰相にもなり、世界を支配するほどの力を持つようになったのです。

God wants treat our stubborn heart, but our stubborn heart never be broken. When he was a child, Joseph boasted his dreams. That’s why Joseph bought his brother’s envy and hatred. But his saying is different in this time. It showed his broken and humble heart. He said “I cannot do it but God will give Pharaoh the answer he desires” (41:16) through many trials and temptations his heart was broken and cultivated and changed. And through his humble speaking Pharaoh inspired, and pharaoh said “can we find anyone like this man, one in whom is the spirit of God?” (41:38) Pharaoh saw the God in his heart.
He gave Joseph the control of all land of Egypt. The wisdom and humble heart of Joseph moved the heart of Pharaoh and changed the world.

3. 教会の和解による一致と使命

最後にヨセフの夢の解釈は、ただ単に夢を解釈して説明しただけではなく、その夢の預言している緊急事態に対しての対応策をも促しています。ヨセフは次のように夢を解釈しました。
「ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことをすでに決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を納めさせ、また、国中に監督官をお建てになり、豊作の7年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。」(41:32~34)

ヨセフはまさか自分が王から大臣に任命されて、エジプトの国の飢饉対策特任大臣に任命されるとは思ってもいなかったでしょう。しかし、ファラオはヨセフのうちには神の霊が宿っていると見抜きました。そしてヨセフを大臣に任命しました。このように今回の王の夢に対して、ヨセフは直ちにこの飢饉に備えて対策を練るように指示しています。夢に対する実践です。いかがでしょうか。わたしたちは夢を見てそれに対して対策を講じているでしょうか。夢の話ですから、正直言いましてどうなるか分かりません。台風が来ますと言う予告でしたら、進路に当たっている人々は、台風に備えて準備するでしょう。

将来起こることに対する備えです。今、わたしたちは夢ではありませんが、夢よりももっとはっきりした形で、将来に起こることが予告されています。聖書の約束のことばとして、やがてイエス・キリストが再臨するとはっきりと記されています。夢よりも確かな情報です。その聖書の預言と警告に対する備えをしているでしょうか。また科学的にも、これから異常気象が続いて、地球が温暖化して海水面が上昇すると警告されています。そしてそれに対する対策は講じられているのでしょうか。人々はその警告を知りつつも、かえって自国の利益のために、世界的な温暖化対策は後手に回しています。

Joseph interpreted the dream and applied it for hunger. Today we cannot avoid global disasters, but we will be able to prepare the second coming of Jesus. The Bible is prophetic that Jesus will come soon and we have to stand in the face of Jesus. What shall we say at that 11:50:19 Now we should prepare the second coming of Jesus, being one in Christ and loving each other in the love of God. We like to encourage with each other and do good works so that the Lord can come in anytime.

自然現象については、私たち自身ではどうしようもできないことかもしれません。でも最後には主が天から降って来られて、新しい天と地が完成すると予告されています。ただその時を待つだけではなく、その新しい天と地の完成に向かって、自分に今できることをしようではありませんか。それはわたしたちにとりましては、愛にあって一つとなることです。そしてこの教会の一致をもって世に向かってあかしをしてゆくことです。

この後ヨセフの家族が来て、憎み合っていた者同士が再会を果たして和解をします。その家族の喜びと一致をもって、ファラオを始めエジプト中の人々も喜びに湧きたちます。一つの家族との一致と和解が、全世界の救いへと広がって行くのです。こうして大いなる神の救いの御業が、全世界に宣べ伝えられるのです。そして今までのヨセフの苦労もすべては、神の救いの目的であり神の栄光の為であることが分かるのです。

このたった一人の若者の悔い改めとへりくだりによって、そしてその愛の赦しを通して一つの家族が和解しました。そしてそのことによって、一つの家族、一つの民族が救われ、そのことによってエジプトの国も救われ、異邦の国にも神の下さる喜びと幸福が与えられたのです。このようにして、イスラエルの神の救いがヘブライ人だけではなく異邦の国々にも広まり、全世界の救いと平和へと繋がっていったのです。これが神の救いの御計画であり奥義なのです。ですから私たちも悔い改めましょう、そしてお互いに赦しと和解を通して一つになって行きましょう。その時、あの異常気象も飢饉も神の栄光の表れるためであったと気が付くのではないでしょうか。

皆さん、この神の大いなる救いと栄光のために、わたしたちはまず自分の罪を告白し合い、互いに自分の非を認めあい、へりくだって神の家族(教会)の和解と一致を追求しようではありませんか。自分で世界を変えることはできません。でも悔い改めと信仰をもって自分自身を変えることはできます。この悔い改めと和解と一致のために、わたしたちはこの教会へと召されているのです。そこに教会の救いだけではなく、この世の救いが完成されるのです。  (岡田 久)

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