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命の言の交わり (Ⅰヨハネ1:1~4)

メッセージ

2013年4月14日富里キリスト教会

「命の言の交わり」
(Ⅰヨハネ1:1~4)

1.父と御子の愛の交わりの教会

今朝、与えられた聖書の御言葉を読んでみましょう。
「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言葉について。-この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。-」(Ⅰヨハネ1:1~2)

「命の言が現れた。」とヨハネは言っています。この手紙を書いたヨハネは、あの福音書を書いた人物です。ヨハネ福音書の1:1の「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と言うあの言葉の流れで、語っていますから、この「言」と言うのはイエス・キリストのことです。先週も申しましたが、このキリストは父なる神と共におられました。しかも天地創造の初めから、世界が造られる前から存在していたお方です。そしてこの言は、命の言であり、人生に生きがいを与え、永遠の命への希望も与える方としてこの世に来て下さいました。これが、ヨハネの「言は肉となって、私たちの間に宿られた。」(ヨハネ1:14)と言う言葉だと思います。

この命の言は、天地万物の初めから「父と共にあった」と記されております。先週もお話しましたが、キリストは父なる神と聖霊様と共におられました。神様は、たった一人の単独者ではなく、父と子と聖霊の三人の神が、唯一の神として存在していたのです。ですから、神様の本性として、共におられるお方であるということです。しかもその結びつきは、切っても切れないほどに固い絆、愛の交わりというものをもっておられました。独り子なるイエス・キリストが肉を取ってこの地上に来られ、十字架の上で父から見捨てられたと思えるような時でも、決して交わりが途切れるということはありませんでした。

Ⅰヨハネ4:10に「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」と言う大切な御言葉があります。自分の命よりも大切なものを、罪人のために与える神の愛です。ここに神御自身の愛の交わりの本質を見る思いです。そういう神の愛に救われ、生かされているのが教会の交わりではないでしょうか。これがいつも私たちと共にいる神です。たとえ病になり生死の間をさ迷っている時にも、必ず主はそこにいてくださいます。そして、イエス様は「世の終わりまで、永遠にあなたがたと共にいる」とおっしゃって下さいました。

2.命の言との交わり

教会の場所や建物の宣伝も大事ですが、もっと大事なことはキリストの愛と命を証するものは、建物ではなくプログラムでもなく、皆さん方お一人お一人との交わりではないかと思います。「ああ、来てよかった。自分も必要とされている。自分の居場所がようやく見つかった。話拝手がいる。相談に乗ってもらえる。悩みを聞いてもらえる。安心だ。信徒の皆さん方の交わりを見ているといやされる。自分もあのようになりたい。」教会に来て、礼拝の中で、教会学校の中で、食事会の中で私たちの交わりの中にキリストの愛がかもし出されるならば、それが一番の宣伝効果だと私は思います。

先日、前のバプテスト連盟の宣教研究所長の浜野先生が書いた「信徒と牧師で見つける伝道方針」という論文を読んでおりましたら、こう書いておりました。「教会の伝道には三つの基本的な要素がある。一つは『宣教(ミッション)』、次は『交わり(コイノニア)』、三番目は『奉仕(ディアコニア)』であり、このどれか一つを欠いてもいけないし、これらは密接に結び合っている。」と。

御言葉の宣教、愛の交わり、奉仕の働き、これらは大切な要素だと私も思います。そしてこれらが、バランスよく行われているのが、スモール・グループではないかと私は思います。本当に素晴らしい集会だ、仲間たちだ、真にここに神がおられると思って、また参加しようと思わないでしょうか。わたしは富里教会に対して、それくらいの自負を持っています。皆様方には本当に良いものがあります。ヨハネが言っているように、父と御子の愛の交わりがそこにはあると言っても過言ではないと思います。実際の生活の中に生きた交わりです。

3.キリストを見たり触れたりできる交わり

ヨハネはこの手紙の冒頭でこう言っています。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。」(1:1)つまり、この命の言葉であるキリストは、実際に聞いたり、見たり、手で触ったりすることができると言っています。この手紙は、紀元100年ころ書かれたと言われていますが、福音がある程度広まって行った後に、教会の中に異端的な教えが入ってきたりした時代に書かれました。観念的なキリスト教、神秘的なキリスト教、瞑想的なキリスト教というものではないのです。キリストはもっと、私たちの現実の生活の中で体験できるものであり、そこから命と光と愛の中に生きて行こうという意図を持った書かれた手紙です。

ですから、キリストは命として、実際に聞いたり見たり手で触ったりして、自分たちの生活の中で生きて働かれる方だということです。つまり信仰と言うのは、どこかにこもったりしてこの世から離れて体験するのではなく、あるいは教会の中だけでの奉仕の働きだけではなく、現実の人間社会、家族、親せき、職場、団地の中で体験できるものであるということなのです。

今日ほど、現代人は孤独の中に置かれている時代はないと思います。人々は皆人間のぬくもりや愛の関係を求めて生きています。人はその感じの形が示すように、他者を必要とするのです。そして命の言葉であるキリストは、この人間関係の中に肉を取って来て下さったのです。関係を持つ言葉として来て下さいました。ヨハネ1:14に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」とあります。あえて、ヨハネは私たちの間、即ち人間関係、人間同士の交わりの中に宿ったと言っています。

そして教会こそ、この人間関係の集まり、人と人との交わりを大切にする群れではないでしょうか。みんなそういう信仰の友を求めているのです。なぜなら、その仲間やグループの交わりを通して、生ける神を体験して行くことができるからです。目に見えない神を、仲間を通して、実際に聞いたり、見たり、話したり、手で触れたりすることができるのです。それは、もともと神様ご自身が父、子、御霊の三位一体の神であり、神御自身の中に愛の交わりを持っているからなのです。そして私たちは、伝道する時にも、この父と御子との愛の交わりを、世の人に対して証しをし、分かち合うところに教会の伝道の使命があるのではないでしょうか。それは伝道、伝道と言わなくても、交わりの中から自然に出てくるものです。

4.交わりを通して命の言を証する

私たちは教会に来て下さい。礼拝に来て下さいと言って人々を誘いますが、教会に来たら何があるのでしょうか。カトリック教会でしたら、荘厳な建物を見て何時間もそこにいるかもしれません。さっきも言いましたが、会堂もそんなに新しい会堂でもありません。牧師も大したことはなさそうです。これでは一回来ればもう来なくていいのではないでしょうか。一体何を見せたくて、教会に誘いますか。何が魅力ですか。建物ですか、牧師ですか、庭ですか。

わたしたちが見せるのは、イエス・キリスト以外にありません。しかもその方は目には見えませんし、どこにもその痕跡をたどるものはありません。イエス様は、命として、光として、愛として私たちの間に、兄弟姉妹の交わりの中に存在されるのです。わたしは、自画自賛するわけではありませんが、富里教会の交わりはすばらしいものがあると思います。コリント教会みたいに、分裂して派閥ごとに集まって、バラバラになってはいません。みんなキリスト中心の集まりをしております。

ですから、先ほどの方のように、教会まではまだ足が向かなくてもいいです。まだ教会と言う全体の交わりに関心がなくても、小さな交わりの中で、生きたキリストの愛と命を体験して行くならば、自然と礼拝にも出たいと言う気持ちになって来るのではないでしょうか。確かに教会のなかには、内側からわきあふれる命の泉のような喜びと、下手をするとそれを押し殺してしまう罪の力も働きます。ですから、まず第一に、この命の泉の部分で十分に命を受けて養われ、喜びに満たされてゆくならば、きっと教会の全体の集まりや礼拝にも参加したくなると思います。

ですから、イエス様もパウロもヨハネも、まず行って福音を宣べ伝えなさい。出て行って命の言を伝えなさいと言っています。命はいつも湧き出るものです。あの湧水のようにあふれ出て来るものです。これが命の言葉です。そしてそこには喜びが満ち溢れます。どこへ出て行っても、そこで誰か信仰の仲間と集まるならば、そこに復活の主が現れて、喜びが満ち溢れて来ます。そして、またそこから押し出されて行きます。そして皆さん自身が、共に集まる時、その交わりを通して命の水の湧き出る泉なって行くのです。

私たちが、イエス・キリストの生きた命の看板です。一緒に集まることです。そこで御言葉が語られ、分かち合いがされ、互いを建て上げる奉仕がされ、その交わりを通して命の言葉であるイエス・キリストが、現実に体験され証されて行きます。ここに教会の命の源があります。この集まりを止めないで、世の終わりまで、そして地の果てまで、主の愛と命を兄弟姉妹の交わりを通して、世に向かって証して行きましょう。             (岡田 久)

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