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右側に網を打ちなさい

メッセージ

2009年4月19日富里教会
     「右側に網を打ちなさい」
                 (ヨハネ21:1〜14)
                              
1.「わたしの」伝道ではなく

今日の聖書箇所を読んでみましょう。
「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちにご自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペテロ、デイドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、他の二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペテロが、『わたしは漁に行く』と言うと、彼らは『わたしたちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、船に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」(ヨハネ21:1〜3)

はじめ7人の弟子たちは、一晩中漁をしましたが、その夜は一匹もとれませんでした。どうしてでしょうか、あんなにベテランの漁師たちです。どこに網を下ろせば魚がかかるかということを、十分に知り尽くしているはずです。それなのにとれませんでした。疲れと消耗感だけが後に残りました。なぜ、魚がとれなかったのでしょうか。もちろん、とれない時もあるでしょう。でも一匹くらいとれるものですが、「その夜は何もとれなかった」とあります。ここで教えていることは、ペテロも他の弟子たちも「私がやる」「自分たちが伝道する」という気持ちが強すぎたのではないかということです。

私も牧師になる前の公務員時代に、自分で一人で、自給の独立伝道者として伝道するんだ。誰の助けもいらない、自分で行ってチラシをまき、人を集めて集会をすれば、それで教会の一つや二つは建つんじゃないか、と思ったことがありました。そこで、自腹を切ってポスターを作り、自分で公民館を借りて伝道集会をしました。しかし、その結果は惨めなものでした。一人も集まりませんでした。ガックリと肩を落として家に帰って行ったのを覚えております。何もとれなかったのです。なぜか。それは自分の力、自分の努力で自分の費用で伝道したからです。「私が漁をする」という傲慢な思いが、あったからではないでしょうか。

2. 舟の右側に網を打ちなさい

少し聖書を読んでみましょう。
「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べ物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」(21:4〜6)

イエス様がここで、あえて右側に打ちなさいと言われたのはなぜでしょうか。今朝は、この「右側」という言葉に焦点をしぼって、お話してみたいと思います。右側と言いますのは、イエス様が天に帰られてお父様の右側に座った権威ある場所です(ローマ8:34、ヘブライ1:3)。また最期の審判の時に、祝福を受ける羊の座る席です。反対に、左側が裁きを受ける山羊の席と言われています(マタイ25:31〜46)。確かに、漁の仕方では舟の右でも左でも水の中に入れば、あまり大きな違いはないように見えます。しかし、聖書的に見るならば、大きな違いがあります。つまり、右側は神の権威と祝福の場所です。そして、左側は人間の意志や人間の力の場所であり、神様の裁きの場所でもあるわけです。

でも、ここでイエス様がわざわざ「右側」を指示したと言うことは、一つは弟子達が一晩中、舟の「左側」で漁をしていたのではないでしょうか。つまり弟子達が一晩中漁をしていたのは、自分たちの力、自分たちの能力、自分たちの経験や感で漁をしていたのです。その際のリーダーは誰ですか。それは「私」であり、ペテロなのです。「私」が漁をするのです。「私」がたくさん魚をとるのです。「私、私、私・・・」これが、一晩中網を打っていた左側の漁なのです。彼らは知らないうちに、一晩中、「私がする」という左側伝道をしていました。

そうではなく、イエス様は「右側に網を打ちなさい」と言いました。右側は、神様の場所です。イエス様はちょっと視点を変えて、右側でしなさいとアドバイスしたのです。右側のリーダーはペテロではありません、イエス様です。イエス様が魚をとるのです。イエス様が伝道するのです。イエス様が主人であり、船長であり、網元の親方なのです。漁の成果と結果を出すのはイエス様なのです。このお方が賞賛されるのです。ペテロではありません。これが舟の右側に網を打つという伝道ではないでしょうか。私たちも、いつもこの右側伝道を意識して行きたいものです。

この「右側伝道」をまとめてみますと、
?「左側」、すなわち自分の側に、自分の力に頼らないこと。
?「右側」、すなわちイエス様を第一とし、イエス様の御言葉に従うこと。
?そのために、「祈ること」です。イエス様より先に行かない。
?「私」ではなく「みんな」で取り組むことです。
ペテロはどこまでも熱心のあまり、自分中心でした。一人で服を着たまま海に飛び込んで、岸辺のイエス様のところへ泳いで行きました。後で、「魚を持ってきなさい」と言われ、舟に戻って仲間と一緒に魚をイエス様のもとに持って行きました。

このように、右側伝道はいつも、イエス様に先頭に立ってとってもらうことです。祈りが必要です。「イエス様、どうぞ、救って下さい。あなたなしでは何も起こりません。誰も救われません。イエス様、助けて下さい。この町の人々を憐れんで救って下さい。あなたが先頭に立って進んで下さい。あなただけが救い主です。」と主に助けを求めて行きたいものです。

3. 天国の食事

この一連の出来事は、多くの人々の魂を刈り取った弟子たちとイエス様が、やがて天国でその収穫物を分け合って、食事を共にして、喜びあう宴の様子が先取りされて描かれています。魚の数が153匹と詳しく述べられているのは、いろんな説がありますが、実際に魚の全種類の数だと言う人もあります。ですから、全世界の救われるすべてのクリスチャンが、網という教会に入れられたまま、引いてこられることを意味しています。これは、私たちは救われてはいるが、まだこの世の中に住んでいて、海の中に入っている。でも教会という網に囲まれていると言うことを意味します。

地上でも天国でもイエス様は、いつもすばらしい宴の席を用意して下さっています。イエス様が、先に岸辺に行って、既に炭火をおこし、その上に魚を置いて焼いて待っていて下さるのです。炭火焼の最高級の魚です。そしてパンも備えて、宴会の楽しい時と場所を用意していて下さるのです。このように、天国では、私たちのために、右側の祝福の席をとって置いてくださるのです。ですから、天国に行った時だけでなく、今のこの世にあっても、右側の席を第一にして行きたいものです。右側の席に招かれている者として、今から、右側伝道、右側奉仕に励んで参りましょう。         
                                                   (岡田 久)
 

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