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伝道者の喜び (ルカ10:1~12、17~21)

メッセージ
2019年2月10日富里キリスト教会
「伝道者の喜び」
(ルカ10:1~12、17~21)
1.収穫のために祈る

イエス様は、この72名の弟子たちを、これからご自分が行こうとしておられる町や村に、先に先遣隊のようにして遣わしました。「その後、主は他に72人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたを遣わす。それは、狼の群れに子羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もしいなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」(ルカ10:1~6)

イエス様は「収穫は多い」と言われました。果たしてそうでしょうか。この日本の地で、この新勝寺の成田の地で、収穫は多いでしょうか。わたしたちの目には、なかなか救われる魂が起こらない、救われても次々と脱落してゆく、この世に引き戻されてしまう、そして教会では高齢化が進んでいる、これが日本の伝道の現状だと思いがちです。でもイエス様は、収穫は多いと言っています。そして72人の弟子たちを二組ずつ組みにして町々村々に遣わさしました。やはり、二人ずつ組みにしてというのは解かると思います。皆さんの地域のスモールグループも、やはりリーダーが二人から三人が必要です。一人では正直大変です。二人いると励まし合うことができます。そして三人になると安定してきます。誰も来なくても三人で集って祈ったり集会ができるからです。

確かに収穫は多いような気がします。それはどうしてかといいますと、わたしたちがイエス様から派遣されて出かけて行く限りにおいて収穫は多いのです。黙って教会にとどまっている限りは収穫はありません。わたしたちが、自分のスモールグループから二人組になって出かけて行く限りにおいて収穫が与えられるからです。イエス様は最後にこう言われました。マルコ伝では「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16:15) マタイでは「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。」(マタイ28:19)と言いました。

ヨハネ伝でも、もう人々の心は色づいて熟して、刈り取られるのを持っていると言っています。早く刈り取らなければ鳥が来て食べて行ってしまいます。あるいは地面に落ちてしまいます。刈り取りが必要です。そしてそのための刈り入れをする働き人が必要です。今わたしの頭の中にも、「愛の便り」の個人伝道を待っている人が、成田市、銚子市、多古町、印西市、八街市や他にもいます。誰かが行って福音を語り、魂の刈り入れをしなければなりません。子供達や子供たちのお母さん方もいっぱい福音を待っています。

SGのリーダーの他にも、神様にもっと働き人を送ってください、出て行って福音を宣べ伝える人を起こしてくださるようにと祈っています。そのようにして教会が弟子を二人ずつこの町々村々に遣わさないから、教会は衰退の一途をたどるのではないでしょうか。この弟子の派遣の原則を守っていないからです。何でもかんでもこの場所で完結しようとしているからです。この教会はイエス様と共に生活して、イエス様から派遣してもらう場所です。遣わされる人を主が訓練する場です。

Jesus appointed 72 workers and told them “The harvest is plentiful, but the workers are few. Ask the Lord of the harvest, therefore, to send out workers into his harvest field. Go! I am sending you out lambs among wolves.” (Luke 10:2-3)
Jesus said that the harvest is plentiful, but the workers are few. But I don’t see like what Jesus said. In a Buddhist society like Japan I feel that there are very few people who can be saved. The harvest is not plentiful. The harvest is very few. But Jesus said us ask the Lord of harvest to send out workers for the harvest. First of all we should pray for God to send out the workers. I am praying to raise up the workers to proclaim the Gospels. Let us pray for the Lord of harvest. The Lord surely send us workers to harvest field.

2.伝道者の使命と心構え

そしてイエス様は、「狼の群れという危険な場所に無防備な子羊を送るようなものだから、財布も袋も履物も持って行くな」と言っています。おかしいです。そういう危険な場所に送り込まれるのなら、余計、万が一のためにお金や着替えや靴やバックを持ってゆくべきではないでしょうか。でもそうではなく、むしろ何も持って行くなと言っています。なぜでしょうか。それはすべてのことにおいて、派遣者であり同伴者であるお方、イエス・キリスト様にだけ頼って行きなさいということです。モーセがイスラエルの民を導くために、杖を一本手に取ったように、わたしたちもイエス・キリストという一本の杖を持って出かけて行くことが大事です。それ以外のものは、必要ないし、行った先で与えられるからというのです。

そしてどっかの家に入ったら、そこの家に「平和があるように(これはシャロームですから平安の方がいいかもしれません。)」と祈りなさいと指示しています。それだけです。そういう平和のある家はどこですか?どうして見つけ出すのですか?何もありません。ただ「どこかの家に入ったら」とだけあります。これはまさにその通りです。必ずどこへ行っても神様が備えてくださる神の家があります。あらかじめ備えられていますから心配はありません。神様が備えて下さった家に入り、そこで生活の糧を得て、そこにとどまり、そこの家の者の病をいやし、神の国の到来を告げるのです。もしその家に平和の子がいなければ、わたしたちが祈った平安はまた戻ってくると記されています。平和の子がいれば、その家に平和がとどまるのです。心配しないでいいのです。祈りとみ言葉だけを身に着けて行けばいいのです。

そして、そこにとどまり、そこで祈り、そこでみ言葉を説いてあげることです。「その家に泊まって、そこで出されるものを食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出されるものを食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」(10:6~9)あなたがたが行く先々には、平和の子を持った家があるから、心配しないで、出て行って神の国の到来を告げ知らせなさいと言っています。決して家々を渡り歩いてはいけない。必ず主が備えていてくださる人や家があるから、そこにとどまって福音を伝えなさいと言っています。ヨハネ伝では「目を上げて畑を見なさい。はや色づいて刈り入れを持っている。」(ヨハネ4:35)これは本当にそのとおりです。(杉原さんの証)

そしてわたしたちはイエスの権威もいただいていますから、堂々と語ればいいのです。16節に「あなたがたに耳を傾けるものは、わたしに耳を傾け、あなたがたがを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」(10:16)わたしたちいつもイエス様と共にいますから、イエス・キリスト様の権威をいただいているのもですから、神の国が近づいていることを明確に語ることです。そしてこの福音を受け入れないものには、最後に裁きがあるということもまた事実です。わたしたちを拒む者は、イエス・キリストを拒み、神をも拒んだことになるからです。

Jesus said to them “Go! I am sending you out like lambs among wolves. Do not take a purse or bag or sandals, and do not greet anyone on the road. When you enter a house, first say “Peace to this house,” if a man of peace is there, your peace will rest on him; if not, it will return to you.”(10:3-6)
Jesus said to them “Go!”. This is a very strong order. First of all we should go to the world. Other Gospel say “Go into all the world and preach the good news to all creation.” (Mark 16:15) and Jesus said do not take a purse or bag or sandals. Why did He say like that even if sending them to among wolves. It should be need to have a purse and money and other preparation. They have nothing without to pray with Jesus’s name. Our weapon of evangelist is only a pray in Jesus’s name. Jesus said to us to pray that peace be unto this house. If a man of peace is there, our peace will be rest on that house, if not peace will return to us. There are two important things for evangelist, the first is to pray in Jesus’s name and second is to preach “the kingdom of God is near” If the people accepted the workers, worker should stay in that house and eat and drink whatever they give and not to move around from house to house.

3.伝道者の喜び

さて出て行って伝道した72人の弟子たちはどうだったでしょうか。「72人は喜んで帰ってきて、こう言った。『主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。』」(10:17)と帰ってきて報告しました。するとイエス様が、「わたしはサタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからと言って、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(10:17~20)

弟子たちの伝道報告の第一声は素晴らしいものでした。イエス・キリストいう名前を使うと、悪霊でさえも従うというのです。人々の心と体を支配していた悪霊が、イエス・キリストの名によってその人から出て行ったのです。つまり、イエス・キリストの福音によって、その人が主を信じて自分の罪を悔い改めて生まれ変わったのです。そのたびに空中に支配権を持っていた悪霊が、稲妻のように天から落ちて来たのです。その霊的な現象をイエスは遠くから見ていました。

魂が救われるたびに悪霊が天から、バリバリという稲妻のように落下してゆくのです。イエスの勝利です。福音の勝利です。それを主は遠くから眺めていて、知っていたのです。イエスの弟子たちには、悪霊を従わせるイエスの権威を与えられていたのです。蛇やサソリのような悪霊を追い出し、どんな敵の力にも打ち勝つ権威が与えられていたのです。あちこちで、福音が勝利し、魂の刈り取りがなされていたのです。

弟子たちは意気揚々と引き上げてきて、イエスに報告しました。でもイエスは、有頂天になっている弟子たちに、こう警告しました。「しかし、聖霊があなたがたに服従するからと言って、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と。伝道で多くの成果を上げることも大事でしょう。でも一番大事なことは、わたしたちの名前が天に記されていることなのです。

何人魂を救った、何人教会に導いた、悪霊を追い出すことができた、教会を沢山作った、地の果てまで遠くに行って伝道したという伝道成果よりも、一番大事なことは、まずわたしたちが救われていること、そして名前が天に記されていることです。伝道の成果で、お互いに比較したり、競争したりするならば、その人は最も大切なことを忘れている人です。

わたしたちが救われたのは、伝道ができたとか、沢山の人をキリストに導いたとかということではなく、こんなとるに足らないものにも、イエス様がご覧になってくださり、声をかけて下さったからなのです。社会的にも漁師や取税人という低い身分、軽蔑されていた者にもかかわらず、キリストの弟子という最高の召命を恵みとしていただいたものです。すべては神の恵みなのです。自分の力や努力ではありません。

そのことを忘れないでほしいのです。たとえ生涯一人も導けなくても、大事なことは自分の名前が天に記されていることなのです。わたしたちが救われたのは、伝道成果を誇るためではなく、子供のように主により頼むようなものになるためです。だから尊い救いにあずかったのです。そのことを忘れないようにと主は、わたしたちを戒めていますし、励ましています。

What was the result of their return from the evangelical journey? They said to Jesus joyfully. “Lord even the demons submit to us in your name.” Jesus replied “I saw Satan fall like lighting from the heaven.・・however do not rejoice that spirits submit to you, but rejoice that your name are written in heaven.” Jesus warns them no to proud the evangelical result but rejoice that their names are written in heaven. It is very important that our names are written in the heaven than the result of workings. We will compare the result and be proud of our result, the proudest thing is already our name are in the heaven. The most important thing is not the result of evangelism. Even if we are a child and small and no ability and sick man and sinner, the most rejoicing thing is our name are in the heaven. We are the son of God. We already have an eternal life through our faith in Jesus.

伝道させてもらっている、説教させてもらっている、そういうへりくだった幼子のような心で伝道すること、そして成果よりも、本当にとるに足らないような自分、罪人の自分の名前が天に記されている、そのことを一番の喜びとし誇りとしなさい。それが真のキリストの弟子であり、人とる漁師としての誇りだということです。そのような小さな者でも、主の御用のために立たせていただいている、伝道の働きにつかせてもらっている、これこそが最高の喜びでないでしょうか。何よりもイエス様が、こんなわたしに目を留めて下さったということ、そしてキリストの福音を宣べ伝えるために遣わしてくださったということを、心から喜んで伝道してゆこうではありませんか。(岡田 久)

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