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人間をとる漁師 (マルコ1:16~20)

メッセージ

2011年4月3日富里キリスト教会
「人間をとる漁師」
(マルコ1:16~20)
1.わたしについて来なさい

イエス様がお一人で、田舎のガリラヤで伝道を始められたその最初の場面を今日は取り上げさせていただきました。マルコ1:16から読んでみましょう
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟が、船の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残して、イエスの後についていった。」(マルコ1:16~20)

A.主の御言葉に従う

イエス様は、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけられました。すると二人はすぐに網を捨てて、イエスの後に従ったのです。大切なことは、「人間をとる漁師」になる資格は、私たちの側には何もありません。「人間をとる漁師」というのは、霊的な意味ではこの世の中から救われるべき魂を救い上げるという大切な働きです。でも、「人間をとる漁師」は、魚ではなく人間の魂を救い上げる働きです。その条件は、唯一つ、イエス様についてゆくことです。もう少し、具体的に言いますと、イエスの御言葉、聖書の言葉に従うことです。御言葉に従う時、私たちは初めて人間をすなどることができます。

実はルカの福音書の同じ箇所(ルカ5:1~11)を見てみますと、イエス様が、シモン・ペテロに「沖に漕ぎ出して網を降ろしてみなさい」と言いました。二人はしかたなく沖に行ってもう一度網を降ろしてみましたら、たくさんの魚が取れたのです。それで、シモン・ペテロは驚いてイエス様に従って行く決心をしました。これが、イエス様についてゆくイエス様に従うということです。自分の漁師としての経験や感にではなく、イエス様の御言葉に聴き、この方のみ言葉に従う時、驚くべき奇跡が起こり大漁になるのです。かれらは、こういう経験があったので、イエス様に従って行く決心ができたのではないでしょうか。

B.イエス様が御覧になった

「いや、私はそんな人をとる漁師なんかにはなれません。」とか、あるいは「クリスチャンになったけど、今まで一度も人を救いに導いたことがないんですが・・。どうしたら、人間をとる漁師になれるのでしょうか。」と思われる方もあるかもしれません。でも、大丈夫です。私たちが、「人間をとる漁師」になることのできる根拠は、イエス様の御自身の中にあるのです。イエス様が、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられて、シモンとアンデレ兄弟が網を打っているのを御覧になって、ただ一言「わたしについて来なさい」と言ったのです。イエス様が、二人を人間の漁師として、キリストの弟子としてお選びになったのです。

ここに、私たちが人間の漁師になる根拠があるのです。イエス様の側にあるのです。イエス・キリストが私たちに目を止められて、私たちを人間の漁師となるようにお選びくださったのです。イエス様のほうに責任があります。イエス様が、そうして下さると言うのです。ですから、私たちはこのイエス様の御言葉を信じていいのです。イエス様が「人間をとる漁師にしよう」とおっしゃってくださったのです。あとは黙ってイエス様についてゆけばいいのです。

2.伝道の仲間づくり

ではどのようにして、伝道を開始したのでしょうか。それは、まず一緒に伝道してくれる仲間、伝道スタッフを選ぶことから始めました。リーダーである伝道者が、自分の心中を打明け、共に伝道の働きを担ってくれる仲間を見つけることを最初にしたのです。そして、誰がいいか、誰が自分と一緒にこの働きを担ってくれるのかを見つけるのが、第一の仕事でした。

イエス様は、身をもって伝道のやり方を教えたのだと思います。自分と一緒に祈ったり伝道したり、チラシを蒔いたり、机をかたずけたりしてくれる仲間を探しました。そして、目にとまったのが、シモンとアンデレの兄弟でした。ですから、最初はこの3人です。それから、ヤコブとヨハネの兄弟が加わり5人になりました。

この5人が一つの伝道グループの単位となると考えても良いでしょう。この5人で、会堂で教えて、汚れた霊を追い出したり、ペテロの家に行って、義理のお母さんの熱病をいやしたりしました。そして、ガリラヤ中の町々村々を巡回して伝道し、会堂では宣教をして悪霊を追い出しました。これが、イエス様の伝道の第一歩です。一人のリーダーと一緒にやってくれる、あと二人のスタッフが必要です。そして一緒に相談しながら、祈ったり、友達を誘ったり、互いに分かち合いをしたり語り合える仲間が必要です。

4.網を打つ人、網の手入れをする人

このようにして、伝道は一人でするのではなく、仲間、スタッフが必要だということです。それは皆さんも十分、解っています。そして魚をとるためには、網が必要です。前にも言いましたが、網にはいろんな網があります。仕掛け網、投網、底引き網、地引網。この内、ペテロ兄弟やヤコブ兄弟が使っていたのは、投網です。そして魚をとる際に、一本釣りではなく、網を使ってとるということはとても重要な意味があります。イエス様は、一人岸辺で糸をたらして魚を釣っている釣り人に、声をかけたのではありません。二人で網を打っている漁師を選んだのです。

実はこの投網で漁をするというのは、私たちの交わりを通して伝道するということを意味していると思います。ですから、網を打っているペテロとは、あちこちの町々村々に、この網という交わり、即ちグループを建て上げてゆく働きがをしながら伝道していったのです。あっちの町に行って網を打ち、こっちの村で網を打ち、あちこちにスモール・グループを造って行きました。いわば開拓伝道者です。教会のない町や村に出かけて行って網を打つ開拓伝道の働きです。

一方、網の手入れをしていたヤコブとヨハネは何の働きかと言いますと、(皆さんもうお解りですね。)網が破れないようにする働きです。つまり、私たちの交わりに破れが出て、網に穴があいて、そこからせっかくとった魚が逃げていかないようにする働きのことを言っています。それは、牧会の働きです。教会員同士がけんかしたり、いがみ合ったり、競争したりすることのないように、人間関係を修復する働きです。カウンセリングの働きです。私たちの交わりを神様の愛と和解と赦しによって、しっかりと繋ぎ合わせる働きです。これが、「網の手入れをしていた」ヤコブとヨハネ兄弟でした。

教会にはこの二つの働きが必要です。端的に言うと、「伝道」と「牧会」の二つの働きを示しています。イエス様は、この兄弟たちの網を打つ勇ましい姿、そして岸辺でのんびりと網を繕っている姿を見て、彼らをその生業にふさわしい働きへと召し出されたのではないでしょうか。

今はまだ、人間をとることはできずとも、やがてそうなる時が来ます。イエス様は、ペテロに対して他にもこう言っています。「あなたはペテロ。わたしはこの岩の上に教会を立てる」(マタイ16:18)と。また、最後には「わたしの子羊とわたしの羊を飼いなさい。また、その世話をしなさい。」(ヨハネ21:15~19)と言いました。ペテロがまだ何も解らず、信仰も弱く、主を何度も裏切ってしまいました。非常にこころもとない人物でありましても、イエス様はペテロに、「私はあなたを人間をとる漁師にしよう」とおっしゃって下さいました。

本当に長い時間がかかりましたが、皆さんが知っている通り、ペテロはやがて教会のリーダーとして、多くの人々を救いに導くすばらしい働きをすることになります。主が目を留めて下さり、主が選び、主が声をかけてくださったからです。主は必ず、不信仰で何の賜物もない私たちですが、人をすなどる働き人として養い育ててくださることを信じます。

彼らは、主に呼ばれたらすぐに答えました。仕事、家族、親、財産いろいろ未練はあったでしょう。迷いはあったと思います。でも人生には、一度は大事な決断をしなければならない時があります。イエス様の召しは、もっと大きな仕事、もっと大きな財産のために声をかけられたのです。そして何よりも、イエス様が、まず最初に目を留めてくださったということを、常に思い出したいと思います。そして近づいて来て、「わたしに従いなさい。あなたを人をとる漁師にしてあげよう」とおっしゃったのです。今日、あなたは、この主の召しに何と答えますか。                     (岡田 久)

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