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主の心を尋ねる (列王記下22:14~20)

メッセージ

2011年3月13日富里キリスト教会
「主の心を尋ねる」
(列王記下22:14~20)
1. はじめに

主の御名を賛美します。
先週、11日金曜日、観測史上最大の大地震が、東北、関東を襲いました。日本人が今まで経験したことのないほどの甚大な災害が起こりました。八戸や大船渡は私たちの育った港町ですので、テレビのニュースを見て本当に心が痛みました。特に、釜石市の堤防を乗り越えて津波が押し寄せて来たのには驚きました。以前のチリ地震津波を教訓にして建てた巨大な堤防です。ですから、正式には堤防と言わないで、防潮堤と言っています。何メートルもあるビルのような堤防で、それを閉めれば津波が町に侵入してこないと言うほどの高さなのです。

それを、今回の津波は乗り越えて押し寄せてきましたから、いかに津波の規模が大きいかと言うことがわかります。土曜日の朝の御言葉に「深淵は深淵に呼ばわり、砕け散るあなたの波はわたしを超えて行く。」(詩編42:8)という言葉がありました。本当に地の深いところで地層が互いに呼応し合って、地震を引き起こし、それによって生じた津波が私たちの頭上高く押し寄せて呑み込んでゆくと言うことがよく解りました。

2.女預言者フルダ

私たちは、何かありますと、やはり神様にその理由を尋ねたいと思うような気持ちになります。例えば、今回の地震でも、神様の御心がいったいどこにあるのか尋ねたくなります。「どうして、神様はこんなにもひどいことをむごいことをされるのですか?」と。

ヨシヤ王もそうでした、自分では、律法の書を読んで自分の衣を裂いて涙を流しました。それは、「自分たちがこんなに、今、外敵に国が踏みにじられるのは、御言葉に耳を傾けなかったからではないのか。」と思いました。しかし、彼は更に、神の御心を求めるために女預言者フルダのもとに、自分の忠実な側近5名を遣わしました。

旧約聖書に、女性の預言者が出てくることは珍しいことです。ないことはないですが、まれなことです。このフルダという女性預言者は、今までにみてまいりましたエリヤとかエリシャと違いまして、ごく普通の主婦でした。しかも、御主人は、宮廷に仕える衣装係の仕事をしており、彼女はその夫シャルムの妻であり、エルサレムの市内に住んでおりました。ですから極々普通の主婦だったのです。

たとえ、女性でも、主婦でも、普通に生活しておりましても神様のみ心を語る働きはできるのです。わたしは女だから、主婦だからと思わないで下さい。どなたでも預言者の働きはできるのです。パウロ先生もこう言っております。「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。」(Ⅰコリント14:1)と。私は皆さんが残らず、この賜物をいただけたらいいなあと思っています。神様は、誰でも分け隔てなく、自由に預言の賜物をお与えくださるお方です。

3.主のみ心を尋ねる

いかがでしょうか、私たちは祈る時に、神様の御心を尋ね求めているでしょうか。もしかしたら、神様に自分の願い事のみを祈っていることはないでしょうか。ヨシヤ王は、確かに自分が律法の書を読んで悔い改めました。これもすばらしい読み方です。でも彼は更に進んでわざわざ、女預言者に神様がこの自分に、そしてこの国の民に求めていることは何なのかを尋ねました。「神様は自分に何をすることを求めておられるのか。」と。自分の思い、自分の願い、自分の思いを神様に訴えるのではなく、神様が今自分に何を求めているのだろうかと尋ねることです。これが「主の心を尋ねる」ということです。

詩編27:8節を見てください。「心よ、主はお前に言われる。『わたしの顔を尋ね求めよと』と。主よ、わたしはみ顔を尋ね求めます。」ここでは、主がわたしの心に、神様の顔を尋ね求めよと言われるというのです。神様が私たちに何を求めているかです。そして、神様が願っているようにして祈り求めなさいと言っています。私たちの祈りではなく、私たちの願いではなく、神様が願われるようにして祈ることです。神様をまず第一として、神様の願うとおりに祈ってみることです。

このヨシヤの祈りに対して神様は、フルダを通して次のように答えました。 
16節からですが「主はこう言われる。見よ、私はユダの王が読んだこの書のすべての言葉のとおりに、このところとその住民に災いをくだす。彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向って燃え上がり、消えることはない。主の心を尋ねるためにあなたたちを遣わしたユダの王にこう言いなさい。あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。わたしがこの所とその住民につき、それが荒れ果てのろわれたものとなると言ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。」
                  (列王記下22:16~19)

なぜイスラエルは敵国に蹂躙され、滅ぼされようとしているのかと言いますと、真の神を離れ、偶像に心を寄せて離れ去ったためであるといいました。ユダの罪をはっきりと王の目の前に示しました。そして王はその言葉を聞いて、心を痛め主の前にへりくだり、悔い改めて涙を流してないたのであります。自分たちの先祖の犯した諸々の罪、そして自分自身の罪をも悔い改め涙を流しました。

ヨシヤ王の願いは、もしかしたら敵国アッシリヤやバビロンに打ち勝つこと、自分の王としての地位を保つこと、寿命を延ばしてもらうことにあったのではないでしょうか。でも、神様の御心はどこにあったのかと申しますと、それは悔い改めでした。王だけではなく、民も共に自分の罪を告白すること、ここに主の御心がありました。そして、王はその主の御心を実行に移したのでした。

4.御言葉に従った王

ヨシヤ王に見習うべきことは、彼はフルダの言葉を神の言葉として受け止め、それに徹底的に聞き従ったということです。神の御心をたずねるということは、それが神の御言葉でありますから、それにどこまでも徹底して従うことです。私たちはともすると、神様の御言葉を読み、御心を尋ねますが、それを実行し、適用することにおいて躊躇してしまうことがあります。あるいは、聞くだけで神様の御心を行なわない時があります。しかし、ヨシヤ王はそのとおりに実行に移しました。

ヨシヤの宗教改革は徹底しておりました。23:3を読んでみましょう。
「それから王は柱のかたわらに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓った。民も皆、この契約に加わった。」とあります。

ヨシヤは主に誓ったとおりに、エルサレムだけではなく、イスラエルの北の国に対しても徹底的な偶像礼拝を排除しました。23章にその働きがずっと述べられておりますが、いかに多くの偶像がヤダトイスラエルの両国にはびこっていたかがわかります。

どんな神々があったか名前をあげてみましょう。バアルの神、アシェラ、太陽、月、星座、天の万象を拝むこと、聖なる高台、トフェトの神、モレクの神、馬崇拝、太陽の戦車、シドンの神アシュトレト、モアブの神ケモシュ、アンモン人の神ミルコム、その他に、口寄せ、霊媒、テラフィム、その他諸々のありとあらゆる偶像が国中にはびこっていました。日本の国に負けず劣らずの神々の数です。そして、ヨシヤはユダとイスラエルの国あったありとあらゆる偶像を破壊しました。モーセの律法の書に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち返ったのでした。

神の御心を求め、その御心を忠実に実践し実行するところに、ヨシヤの宗教改革の基本がありました。もし自分の内に、神様が偶像や罪を示してくださったなら、それを取り除くことが大切です。罪を認め、罪を憎み、罪から離れることができるように祈りもとめてゆくことが大事です。まず神のみ心を求めつつ、それを忠実に実行するようにしたいものです。主はやがて来られます。それまで信仰を持って目を覚ましつつ一歩一歩、歩んで行きましょう。一気にしなくてもいいです。少しづつ、毎日毎日とこつこつと一つのことを積み重ねてゆくところに、私たちの心の宗教改革の第一歩があるのではないでしょうか。
(岡田 久)

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