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上に立つ権威に従いなさい (ローマ13:1~7)

メッセージ

2014年9月21日富里キリスト教会

「上に立つ権威に従いなさい」
(ローマ13:1~7)

1.すべての権威は神に由来する

「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。したがって、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背くものは自分の身に裁きを招くでしょう。」(ローマ13:1~2)

なぜわたしたちが、時の社会制度や権力者に服従しなければならないのかということですが、それは、どんな権威でも今ある権威はすべて神に由来しているからだとパウロは言っています。今は自民党政権で、そのような自由主義体制の中にいます。またもしこれが、共産党政権になったなら、共産主義体制のもとで生活しなければなりません。ここでパウロは、自由主義や共産主義が神から由来していると言っているのではありません。人間の社会制度の法秩序の権威が神に由来していると言っているのです。裁判官、警察官といった司法制度や行政制度が神から来ていると言っているのではないでしょうか。「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」(1)と言っています。

でも私はこの箇所をよくよく読んでみると、必ずしも支配者や権威者に盲従しなければならないということをパウロは言っていないような気がします。よく見て下さい。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」(1)とあります。つまりどんな権威も、神の権威に由来しているということです。すべてのこの世の支配や権威のその上に、神の権威があるということです。このことが前提となっているが故に、どんな人でもこの神の権威に従わなければならないということではないでしょうか。

ですから、国会や裁判所や政府が天皇陛下の権威に従おうとするならば、その前にまず天皇陛下がまず、真の神の権威を認めてこれに従う心をもつことが求められているのではないでしょうか。なぜならば、すべての権威の頂点に神がいるのですから、いくら天皇や首相が、自分は権威があると言っても、その上にある神の権威にまず従うべきではないかと思います。天皇も首相も裁判所長官も、自分を神としないで、まずこの上にある神の権威を認めることを、パウロはここで言っているのではないかと思いました。

そうでなければ、天皇であろうが首相であろうが、神の定めに背くことになり自分の身に裁きを招くと警告しています。最後の審判の時にすべてが明らかになります。ですから、上に立つ人であればあるほど、自分のその上に、最高の権威者でおられる方がいるということを認めなければなりません。自分を最高の権威者、神とするところには神の容赦ない裁きが降るのではないでしょうか。

2.権威者は善を行わせるために神に仕えている

そしてこの神の権威によって立てられた支配者に対しては、国民はこれに対して善を行うことが勧められています。
「実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。権威者はあなたに善を行わせるために神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにもこれに従うべきです。」(13:3~5)

パウロは、たとえイスラエルを支配しているのがローマ皇帝でありましても、支配者がその統治権をもって外国を統治していた場合でも、その外国の統治権に従うべきであると言っています。なぜならば、それは先ほど申しました通りに、すべての権威は神に由来しているが故に、クリスチャンはその国の支配者、そして権威をもってその国を納めている権威者に従うことを勧めています。なぜなら、4節「権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者だから」です。ですから、わたしたちは自分の良心に従って、権威を恐れ、悪を行うことを止め、むしろ善を行うことに精進すべきだと言っています。

何故かといいますと、キリスト教はその信仰が過激になって来ますと、国の支配とか権威を無視して、地上での自分たちの神の国の権威を認めてそれを信奉し、国の支配者に対して反旗を翻す反体制運動になりやすいという傾向をもっていたからではないでしょうか。実際、イエス様の弟子の中にも、「熱心党員のシモン」という弟子が入っていました。ですから、宗教的な団体の中には、どうしても武器を取って反体制、反支配者に対する戦いを挑む者が起こって来やすいのです。しかし、パウロは、どんな支配者、権威者であれすべて神から立てられたものであるから、あなたがたは神を畏れるように権威者を恐れ、これを尊敬しなさいと言っています。

私達も警察や権威者に対してあまりいい思いを持っていません。「交通違反の切符を切られた。」「税金の滞納をして督促状が来た。」とか、好意をもっている人は少ないでしょう。でもパウロは、「警察から褒められるようなことをしなさい」と言っているような気がします。悪を行って警察を恐がるよりは、善を行って警察を喜ばせなさいと言っています。

もし、教会で反体制の何か秘密の集会をしていたり、武器等を隠していればおそらく警察官を恐れるでしょう。でも教会が地域の民生委員をしていたり、防犯協会の働きをしているならば、警察からほめられるでしょう。そこまでしなくても、彼らは日夜私たちの生活の安全のために身を粉にして命がけで働いていて下さるのですから、感謝すべきだと思います。

昨年の爆弾低気圧で、教会の看板が飛んで、三人の警察官が嵐の中、国道から教会まで、飛んではがれた大きなトタン板の看板を運んで来て下さったことがありました。これなんかは、感謝しても感謝しきれない出来事でした。4節に「権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。」とありますとおり、彼らはわたしたちが善を行うために、神に仕えているものだとみてもいいのではないでしょうか。

しかし、問題は権威者が、自分たちの上にある最高の権威である神を忘れて、自らを神として立ててしまう時に悲劇が起こるのではないでしょうか。歴史的に見ても、西洋でも日本でもそういう時代がありました。でも、パウロはそういう迫害の時代にあっても、あなたがたは反権力、反体制のために武器を手にしてはいけないと言っているような気がします。

「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。・・・悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(12:17~21)これがパウロの勧めているクリスチャンの生き方ではないかと思います。

3.権威者のために納税義務を果たしなさい

最後に、クリスチャンの納税義務についてお話したいと思います。またこの秋にも消費税が上がりそうなニュースが流れています。でもパウロは、神の御心を行う権威者のために、納税の義務を果たしなさいと言っています。「あなたがたが貢ぎを納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を治める人には貢を納め、税を治める人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。」(13:6~7)

ここでもパウロは、「権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです」(6)と言っています。権威者は朝晩、神に仕えるようにして仕事に励んでいるのですから、各自は自分の納税義務を果たしなさいと言っています。確かに、役人の方々は、仕事に励んでいますので、わたしたちも税を納めるのは当然だというのです。確かに、不正や無駄な部分はあるかもしれませんが、全体としては、神に仕える者として自分の利得を求めずに忠実に職務に励んでいる人が大半だと言っていいでしょう。

このように全ての制度や権威は、神にその起源を発し、公務員や警察官は神に仕える者であるということです。ですから私たちも、彼らが積極的に神に仕えているかどうかをチェックする必要があるような気がします。先日来、マスコミに取り上げられておりました県会議員の不正な政務活動費事件です。でもそういう不正なことをしたものは、警察権によって厳しく裁かれるべきであり、今そのような捜査が続いているようです。

また、権威者がちゃんと上にある神の権威に仕えているべきかどうかをも、監視しなければなりません。天にある最高の権威者である神様を認めずに、偶像である戦争犯罪者や乃木将軍とか天皇陛下を神として仕えることは、この聖書のパウロの教えに反することではないでしょうか。そのことも、神の裁判権で正しい判断がされることが必要だと思います。神社仏閣に対して、税金である公費を支払うということは違憲だという判決が出ています。これが国の司法の権威者の判断です。

最後にペテロの言葉を述べて終わりたいと思います。「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、あるいは悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。善を行って愚かな者の発言を封じることが、神の御心だからです。自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手立てとせず、神の僕として行動しなさい。すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。」(Ⅰペテロ2:13~15) 

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