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ルツの求婚 (ルツ3:1~18)

メッセージ
2019年9月22日富里キリスト教会
「ルツの求婚」
(ルツ記3:1~18)

1. ナオミの提案

「しゅうとめのナオミが言った。『わたしの娘よ、わたしはあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました。あなたが一緒に働いて来た雇い主のボアズはわたしたちの親戚です。あの人は今晩、麦打ち場で大麦をふるい分けるそうです。体を洗って香油を塗り、肩掛けを羽織って麦打ち場に下って行きなさい。ただあの人が食事を済ませ、飲み終わるまでは気づかれないようにしなさい。あの人が休むとき、その場所を見届けておいて、後でそばへ行き、あの人の衣の裾で身を覆って横になりなさい。その後すべきことは、あの人が教えてくれるでしょう。』」(ルツ3:1~4)

ナオミはルツのために再婚話を探していました。もちろん、ルツと同じくらいの若い人もいたでしょう。そうすれば、ルツも幸せな結婚生活ができたと思います。しかし、ナオミの家の財産は、後継ぎがないために他人の手に渡ってしまいます。
そこでナオミは、何とか夫エリメレクの名を残したい、そのためにはルツに親戚のものと結婚して子供を産んでもらい、エリメレクの家を継がせたいと思いました。そのようにできるのは、同じ親戚のもので、エリメレクの家の土地と未亡人のルツを一緒に買い上げて、ルツに子供を授け、やがてはその子がエリメレクの家を継ぐという掟がありました。一家の名前を残すために、近親のものはそのような義務と責任を負っていたわけです。

でもいかがですか?結局は、自分の土地にならないで、ルツの産んだ子供の土地になるわけですから、ある意味では損をしてしまいかねません。エリメレクのためにそこまでして、子供を作ってあげる必要があるのかということです。ですから、ある意味ではそのような、責任を果たして他人の家名を守ってあげるという義人はそうあるものではありませんでした。ですから皆さん嫌がりました。そういう人は、責任を果たさないものとして、靴を脱がされて顔に唾を吐きかけられなければならないと規定されていました。(申命記25:5~10)

そういうことのないように、ナオミは用意周到の準備をして、ルツを夜中に、しかもボアズが一杯飲んで機嫌のいいころを見計らって、ルツをこっそりと、ボアズの足もとへと送り込んだのでした。「体を洗って香油を塗り、肩掛けを羽織って行きなさい。」と指示をしています。当時、ボアズは独身ではありましたが、年を取っていたと言われています。ボアズにとりましても、いまさら若い女性と結婚しても、子供ができるかどうかわかりません。また、ルツは異邦人です。しかも未亡人です。そうでなくても軽蔑されたり差別されたりしている女性を、あえて自分の妻にするということはすんなりとはいかなかったと思います。

それでもナオミは、異邦人の女に「体を洗って香油を塗りなさい。そして肩掛けを羽織りなさい。」と指示しました。これは、どんな人間でありましても、自分の罪や汚れを洗い落とすならば、神様は必ず顧みていて下さるということです。
別な言葉で言いますと、罪の汚れをキリストの十字架の血潮で洗い流し、聖霊の油注ぎを受け、純血の白い衣を着るならば、主はどんな異邦人でも、罪人でもその人の罪を贖い赦して、神のイスラエルの民の内に加えて下さるということを示しています。

「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。」(詩編32:1~2)「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。」(詩編51:9)ルツは姑の言葉を信じて従順に従う、信仰の人でした。ナオミの言うとおり、体を洗い、香油を塗って、美しく着飾って主人の前に出たのです。ボアズは、ルツにとってもナオミにとっても、まさしく救い主のような人物でした。エリメレクの家名のために、その罪を贖い取って再びイスラエルの民の中にその名を残すための贖い人の働きをしたのです。

あのヤコブとイサクのように、ヤコブは自分は長子の特権を持たない次男坊ではありましたが、何とか神の祝福を得ようとして、兄に変装して父を欺きました。
土地や財産や名誉よりも、神の民の中に加えていただくこと、その名を失うことなく、最後まで自分の名前を覚えていて下さって、最後には神様の御前に名前を呼び出されるという祝福の方を選んだのです。次男坊であって、腕に山羊の毛皮を巻いて兄のように毛深くし、兄の香りのする上着をつけて神の前に出るならば、神はその人をご自分の子として受け入れて下さり祝福して下さるのです。父イサクは、変装した次男ヤコブに、一つしかない長子の特権を与えてしまいました。

現代の私達にとりまして神の民とされていることの証拠は、キリストの十字架の血潮によって罪が洗い流されていることです。そして聖霊の油注ぎを受けていることです。そしてキリストを着ていることです。罪を認められないということです。そのためにもキリストの十字架の血潮で罪を洗っていただき、聖霊の油で化粧することです。そうするならば、どんなに罪深い者でも、その罪が赦されて神様の祝福のもとにおいてもらえるのです。皆さん、キリストの血潮によって体を洗っていただきましたか?聖霊の油を慕い求めて、日々に聖霊に満たされた生活をしていますか?祈りとみ言葉を通して、罪の告白と悔い改めを行っていますか?日々の祈りの中で、礼拝の中で、主の晩餐式の中で、絶えず主の前に悔い改めの祈りをささげているでしょうか。

2.衣の裾を広げて

「ボアズは食事をし、飲み終わると心地よくなって、山と積まれた麦束の端に身を横たえた。ルツは忍び寄り、彼の衣の裾で身を覆って横になった。夜半になってボアズは寒気がし、手探りで覆いを探した。見ると、一人の女が足もとに寝ていた。『お前は誰だ。』とボアズが言うと、ルツは答えた。『わたしはあなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です。』」(ルツ3:7~9)

ボアズは大麦の収穫を喜んで、宴会を開き、お酒を飲んで酔って麦束の端で寝込んでしまいました。ルツは時を見計らって、こっそりとボアズの衣の裾に入り込みました。夜中になって寒くなったので、覆いをかけようとしたボアズは、自分の足もとに一人の女性がいることにびっくりしました。「誰だ!」と声を掛けますと、「わたしは僕のルツです。あなたの衣の裾を広げてわたしを覆ってください。あなたはエリメレクの家を絶やさない責任を持っているお方です。」と言いました。これはルツのボアズに対する求婚の言葉です。

しかし、彼女は他にも若い年頃の男性が他にもいたにもかかわらず、姑ナオミの計画に従順に従いました。エリメレクの名前を絶やさないように、自分を贖い取って、買い戻して、妻として迎え、その男子を産んで名を継がせてほしいとボアズに頼んだのでした。普通の再婚ではなく、エリメレクの名を残すために、親戚のもので家名を贖い、残す義務のある一族の者であるボアズに結婚を申し込んだのです。

そのために夜中にこっそりと、ボアズの足もとに行って横になり、その衣の裾に身を置いたのです。たとえ異邦人の妻でありましても、また未亡人でありましても、へりくだってイスラエルの掟に従う時、憐れみ深い主は、どんなに神から遠く離れていたものでありましても、その御翼の蔭にかくまってくださいます。

「神はあなたを救い出してくださる。仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。神のまことは大楯、小楯。・・・あなたは主を避けどころとし、いと高き神を宿るところとした。あなたには災難もふりかかることがなく、天幕には疫病も触れることがない。主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。」(詩編91:3~4、9~11)

今朝もお話したように、主の御翼は、わたしたちをどんな時にでも守ってくださいます。わたしたちはその主の翼のもとに逃れるだけです。親鳥が、自分の雛を自分が犠牲になってでも、自分の翼の下に隠して燃え落ちる炎から守って下さるのです。たとえご自分が犠牲になっても、わたしたちのために、自分の命さえ惜しまずに、守っていてくださるお方なのです。

ルツとナオミは、この親戚の中で最も有力な、このボアズに子供を産んでもらい、自分たちの家名を残そうとしました。エリメレク、神は王であるというこの名を絶やしてはならないと願ったのでした。このルツの信仰的な態度に心を打たれたボアズは、ルツに結婚の約束をしました。ルツが願っていたのは、ボアズがお金持ちだからというのではなく、信仰の人であったからです。自分身代を犠牲にしてまでも、ナオミのためにエリメレクの家に男子を産んで与え、その名を継がせて下さるのはこのお方しかいないと信じたのでした。

やはり夫を失った未亡人にとりましては、誰と再婚するかということが自分にとって人生の幸せのカギを握る決断であると言って過言ではないと思います。
ルツの3:10に「あなたは、若者なら、富のあるなしにかかわらず追いかけるというようなことをしなかった。」とボアズがルツを誉めています。やはり結婚は大事なことです。相手は若ければ誰でもいいというようなことではありません。女性はたとえ独り身ではありましても、社会的に立派な女性だという評価を受ける必要があるのではないでしょうか。

お互いに目先の結婚とか再婚ということを願っていたのではなく、目に見えない神様の祝福を信じていたからこそ、何とかエリメレクの名を起こしたかったのです。ヤコブが、父イサクの財産を目当てにしていたのではなく、神様の祝福を受けたいという目に見えない神の賜物を願っていたからこそ、変装してまでもそれを手に入れたいと近づいたのでした。目先の幸せではなく、目に見えない神の民としての特権を失いたくなかったのです。ボアズがお金持ちだからと言って近づいたわけではありません。

信仰的にどうなのか、社会的にどうなのかということを聖書の教えに従って、判断することが大事ではないでしょうか。ルツとナオミは名を残す人を探し、その人にお願いして自分たちの名前を贖ってもらう必要があったのです。いったん失ってしまった名前を買い戻す必要があったのです。そのためにナオミもルツも知恵を絞って、夜中に化粧を施してボアズに近づき、神様の憐れみを求めたのでした。いくら親戚でも、ルツと再婚して子供ができたら、その子が自分の名前を継ぐのではなく、前の夫の名前と財産を受け継ぐのですから、親戚の者から敬遠されました。土地だけを買うならいいけれど、それに嫁もついていて、産んだ自分の子供は他人の名前を継ぐとなると、二の足を踏んでしまいます。

ボアズは、婚約を受け入れたことのしるしとして、ルツに羽織ってきた肩掛けに大麦を6杯も入れて、こっそりと帰してやりました。結婚の承諾を察知した姑のナオミは、後はボアズのやり方に任せて、事の成り行きを見ました。自分たちでできるだけのことはやって、後は主の導きに委ねるという信仰です。御心ならば主が、万事を益として導いてくださるからです。そういうゆだねる信仰もナオミは持っていました。

今朝は、ルツの求婚から、神の霊的な祝福の方を選び取るということ。自分たちでできる限りのことを尽くして、へりくだって主のみ翼の蔭に隠れるということ、そして後は、主に結果を委ねて待つというわたしたちの生き方を学ぶことができたのではないでしょうか。(岡田 久)

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