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マルコが示したイエス・キリスト

メッセージ

マルコが示したイエス・キリスト

マルコ1章1節とマルコ16章1〜8節
「神の子イエス・キリストの福音の初め。」  マルコ1:1
「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために、香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「誰か墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げてみると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる」と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震えあがり、正気を失っていた。そして誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。    マルコ16:1〜8

 今日は皆さまとご一緒に新約聖書の福音書について、多少歴史的な視点からなぜマルコがこの福音書を書いたのかについて、考えてみたいと思っております。       なぜならば、このマルコによる福音書は4つの福音書の中で、もっとも古い福音書であると言われるからです。
 では、これら4つの福音書は何時ごろ出来上がったのでしょうか。
新約聖書の最初に出てくる、マタイによる福音書の成立年代は、西暦80年代とされております。 次のマルコによる福音書ですが、もっとも古く西暦70年までには出来たとされております。 ルカによる福音書は、マタイより多少遅く、90年代とされており、ヨハネによる福音書は、さらに遅くなり、100年前後ではないかとされております。
なぜこのような年代がわかったのでしょうか。少し判り易くご説明いたします。
 新約聖書には四つの「福音書」がありますが、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は同じ内容の記事が多く、一緒に並べて比較観察することができることから、「共観(きょうかん)福音書」と呼ばれています。
 ヨハネによる福音書は、その構成や性格がこれら三つの共観福音書とは、かなり異なりますので、別に扱われます。その理由をあとで簡単に説明致します。
「共観福音書」と呼ばれる三つの福音書が、お互いにどのような関係にあるのかについて、これまで長い間、研究と多くの議論が続けられてきましたが、現在では、次のような基本的な主張のもとに「二つの資料説」が、広く認められています。
1. 三つの福音書の中で最初に書かれたのはマルコによる福音書である。
2. マタイとルカは、「マルコによる福音書」と「ある共通の資料」を用いて、それぞれに書かれた福音書である。

 マタイとルカが用いた「ある共通の資料」とは、おもにイエスの言葉を集めたもので「語録資料」とも呼ばれています。 研究者たちは長年この資料を、ドイツ語の「Quelle(資料)」の頭文字をとって、Q資料と呼んできました。
この「Q資料」は、もっと分かりやすく言えば、マルコによる福音書には無くて、マタイとルカの両方に共通に出てくる記事のことです。
 このQ資料がなぜ重要なものであるかは、その中に「主の祈り」が含まれていることでも分かります。
 ですから、この「Q資料」の内容と性格について、これまで多くの研究がなされてきた結果、現在ではほぼ次のような事実が明らかになっています。
1. マタイとルカが用いた「Q資料」は、口頭伝承ではなく、文書による資料である。 その文書資料はギリシャ語で書かれており、マタイとルカが用いた文書資料は別々のギリシャ語訳資料と推定される。
2. 文書としての「Q資料」は一人の著作ではなく、長年にわたり、いくつかの編集段階を経て形成された、イエスの語録集である。その語録集の文書化は、イエスが世を去ってからしばらく後に始まり、ユダヤ戦争の時期(西暦七〇年前後)にまで及んだ。
3. イエスの語録の収集は、生前のイエスの教えに従って生きようとした、ガリラヤ地方のイエスの弟子達たちによって始められ、パレスチナ・シリアの地域に広がっていった。ですから、この伝道活動を広めたのはユダヤ人でした。
4. この語録集は、マルコの福音書が出来る頃(西暦70年頃)には、「福音書」としてパレスチナ・シリア地域で広く流布していた。

 もし、マタイとルカの共通の資料となったイエスの語録集Qが独立した「福音書」であったとすれば、マルコによる福音書に書かれた内容、即ち、イエスの十字架の死にいたる生涯を物語ること、とは、ずいぶん性格が違います。
 この違いにより、マルコの福音書を「物語福音書」と呼び、Q資料を「語録福音書」と呼んではっきり区別させております。
 また最近、トマス福音書のような「語録福音書」も発見されておりますので、マタイとルカの共通の資料となったイエスの語録集は「語録福音書―Q資料」と呼んで、他の「語録福音書」と区別しております。
  その理由は、この「語録福音書―Q資料」は、トマス福音書のようにどこかで発見された実在の文書(1945年にエジプトで発見された「ナグ・ハマディ写本」に含まれていた)ではなく、 あくまで共観福音書の成立を説明するために用いられた仮説上の文書です。 ですから、このQ資料が今まで実在した証拠はどこにもありません。しかし、最近の共観福音書の比較研究から、やはり「Q資料」が存在したのではないかと言われております。

 さて、新約聖書にある四つの福音書の中で、ヨハネによる福音書は他の三つの福音書とは性格が少し違うと先ほど述べました。 もちろん、ヨハネの福音書は、イエスの伝記ではなく、基本的に地上に生きたイエスを物語たり、復活者キリストを宣べ伝える福音書です。
 しかし、他の三つの福音書があくまで地上のイエスの出来事を物語るということを基本にしているのに比べて、ヨハネの福音書は、弟子たちが体験している復活者イエスが直接に、しかも大胆に語りかけている形を取っています。
 ヨハネの福音書のイエスは、第一人称の「わたし」が復活者として弟子たちやユダヤ人たちに語りかけ、イエスが語られる「わたし」を、復活者キリストとして理解してはじめて、その言葉を理解できるのです。
 ですから、ヨハネの福音書は「復活者イエスとの対話」という性格をもつ文書になっており、対話を通して「永遠のいのち」を宗教的・霊的真理として示し、対話によって復活者イエスと交わり、永遠のいのちを受けるようにと書かれました。

 少々まえがきとしての福音書の説明が長くなりましたが、ではマルコによる福音書は、どのような内容と性格が書かれているかを見てみましょう。
 1:1は「神の子イエス・キリストの福音の初め。」で始まります。
「イエス・キリストの福音」とは、イエスが復活されたキリストであると宣べ伝えることであり、「神の子」という称号を付け加えることでさらに確かな方としています。
 マルコはこの福音をヘレニズム世界(ギリシャ・ローマ文化圏)の諸国民に向けて書きました。
 当時のユダヤ人以外の人々にとっては、キリストという名はユダヤ教の終末的救済者の称号ではなく、「イエス・キリスト」という固有名詞として使用され、そのため、イエスが復活して神の右に上げられた方であることを示すためには、ヘレニズム世界の人々に理解されやすい「主〈キュリオス〉」とか「神の子」という称号を付けて、「主イエス・キリスト」とか、「神の子イエス・キリスト」、「御子イエス・キリスト」と呼ぶようになっていました。
 このことから、マルコはイエスの伝記を書こうとしたのではなく、あくまでも、当時のヘレニズム世界の人々に向けて「神の子イエス・キリストの福音」を宣べ伝えようとしたのです。 マルコはイエスの地上の生涯と教えに関する伝承を用いて「キリストの福音」を宣べ伝えたのです。
 その出だしは、洗礼者ヨハネの出現から始まります。 当時のユダヤは、ユダヤ人にある程度の宗教的、政治的な自治は与えられていましたが、基本的にはローマ総督の統治下にあるローマ帝国の属領の一つでありました。 このような属国での状況下にあったユダヤ人には、自分たちこそ主なる神に選ばれた民であると自負したユダヤ民族には耐えがたい侮辱でありました。 ですから民衆は、神が昔の預言者たちを通して約束された「来るべき方」即ち、油を注がれた王、「メシア」を送って下さり、民を解放してくれることを熱心に待ち望んでいました。
 神の最終的な救いの日を待ち望んでいたユダヤの民衆は、荒野に響くヨハネの叫びに、長らく沈黙していた預言の霊の再来を感じ、ユダヤ全土から、続々とヨハネのもとにやってきて悔い改めのバプテスマを受けました。 祭司や律法学者などユダヤ教指導者たちはヨハネを「メシア」とは信じませんでしたが、民衆はこの人こそ私達の救世主であるメシアではないかと考えました。
 しかし、マルコはイザヤ書を引用して、ヨハネの活動を終末時に主のみ業の先駆者として現れる人物として、より明確に意義づけております。
 そして、マルコは、突然のイエスの出現が旧約聖書の歴史の完成・成就であり、イエスがイスラエルの歴史全体を成就する方として、またこの福音書が告げ知らせるイエスの出来事、とくに十字架と復活が、神の最終的・決定的な救済の業であることを証ししております。
 マルコの福音書によるイエスの物語は、ヨルダン川でのバプテスマから始まる。そして、最後は、イエスを葬った墓が空であった事実を報告している。 その空の墓において、イエスが復活されたことと復活されたイエスにガリラヤでお会いできることが告知されて終わっている。

 この福音書がイエスをどのような方として舞台に登場させたかを見てみましょう。マルコはイエスの物語を、ヨルダン川におけるイエスのバプテスマから始めている(一章2〜11節)。イエスは突然ヨルダン川の水の中から舞台に登場される。
 それまでのイエスについては何も語られていない。イエスがヨルダン川の水に身を浸し、その水の中から上がると、天が裂けて神の霊が下り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえる。 この光景は、神の霊によって死の中から引き起こされ、神の子としての栄光をもって現れる復活のイエスを物語っている。
 私達キリスト者には、バプテスマ式において水に浸されることは死を象徴し、水の中から引き上げられることは復活を象徴する。 イエスを「神の霊によって、死者の中から復活した力ある神の子」という福音の宣言を、マルコはヨルダン川でのバプテスマの出来事を描くことで成し遂げている。
 イエスがヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになったことは歴史的事実であるが、マルコはそういう歴史的事実に興味を示さないで、イエスが死の中から復活された方であることを象徴的に描くことだけに集中している。
 イエスの地上の出来事を語ることによって復活のイエスを告知するという、この福音書の目的が冒頭から明かにされている。

 マルコがヨルダン川でのバプテスマをイエスの復活の象徴として描いていることは、バプテスマのヨハネがイエスについて語っている言葉からも読み取れる。
 マルコはヨハネが終末の到来や神の審判について語っているのに対して、イエスについては「その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」と語っている。
 「聖霊によってバプテスマを授ける」とは、明らかに復活された方の働きである。復活された方の働きを宣言する言葉だけを伝えることによって、マルコはヨルダン川の水の中から上がってこられるイエスを、死から復活される方として指し示しているのである。
 マルコにとってバプテスマのヨハネは、単にイスラエルに終末の接近を告知する預言者ではなく、復活のイエスを世に紹介する先駆者として紹介している。
 このことからも、マルコはこの福音書を初めから、復活して神の子とされたイエス・キリストを宣べ伝える書として書いている。 ただそれを、直接言葉によって宣言するのではなく、地上のイエスの姿を描くことによって明らかにするのである。
 その視点から見ると、マルコがイエスの物語をヨルダン川でのバプテスマから始めて、また同時に、神の霊によって死から復活する神の子と宣言してイエスを舞台に登場させることは、彼の意図であったことが見事に分かります。

 本来のマルコの福音書の最後は16章8節で終わっていたはずです。 9節以降はあとで付け加えられた箇所であることが、もっとも古いシナイ写本やバチカン写本に無いことや初期のキリスト教教父には知られていないことからもはっきりしています。
 しかし、マルコの福音書がこのような不自然は終わりかたであったとして、それは私達読者がすでに他の福音書に、イエスの復活後の記事が書かれていることを知っており、そのような記事がむしろ入っているのが、自然であると思っているからです。 多分、そのような理由から、9節以降の記事が4世紀頃までに加筆されました。

 しかし、もともとマルコが福音書を書いたときには、他の福音書はまだ書かれておらず、マルコが初めて、イエスの地上での働きと受難物語を通して、復活されたイエスを告知するということを企てたとすれば、他の福音書の存在を忘れて、一六章八節まででマルコの福音書は終わったとしても何も不自然ではなく、ガリラヤで復活されたイエスに合うという告知で終わっても全く自然な終わりかたではないでしょうか。 現に、エルサレムでイエスの逮捕と十字架刑、墓に葬られてしまった出来事に直面した弟子たちは、ガリラヤに戻り、そこで復活されたイエスにお会いすることになる。 ペテロを初めとする弟子たちが復活されたイエスにお会いした体験は、弟子たち自身によって語られ、それを信じる者たちの群れの中で語り伝えられ、聖なる伝承を形成していきました。

 ですから、マルコは、復活後に現れた出来事を空の墓に続く一連の物語として続きを書くのではなく、イエスの地上の働きの出来事を通してイエスが誰なのかを指示そうとしたのである。
 そのことによって、マルコが語るイエスの物語は、地上のナザレ人イエスの働きを語ると同時に、復活者キリストを宣べ伝えるという二重の意味を持たせているのである。
 そして、ナザレ人イエスが復活してわずか40年位しかたっていないパレスチナ・シリア地域で、この福音書を読み聞かされた人々がなぜこれだけ多くいて、イエスを自分の救い主、即ちキリスト、として受け入れているのかを判ってほしい。
 さらにイエスを復活したキリストとして受け入れる者になるよう、マルコはこの福音書を書きあげたのです。

 イエスが十字架刑で死に復活してすでに、2000年近くの時が流れておりますが、このマルコによる福音書を読む私達にとっても、イエスの物語は、単なる伝記や歴史物語では、まさに私達を罪の世から救い出さんがために来られた救い主、キリストを指し示す福音の書なのです。

                                山?元明

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