ようこそ、富里キリスト教会の公式ホームページへ

サムソンの死と復活 (士師記16:15~31)

メッセージ
2018年9月23日富里キリスト教会
「サムソンの死と復活」
(士師記16:15~31)
1.罪の誘惑

サムソンは生まれながらにしてナジル人、聖別された人という運命を背負わされた人物です。ただ一つ彼には欠点がありました。それは無二の女好きだったということです。今日のお話の個所でも、16:1に「サムソンはガザに行き、一人の遊女がいるのを見て、彼女のもとに入った。」とあります。また16:4には「その後、彼はソレクの谷にいるデリラという女を愛するようになった。」とあります。合計3人の女性が登場してきます。女性との関係を通して、彼はトラブルに巻き込まれ、またそのトラブルを通して神様が介入されて、ペリシテ人に反撃を加えていたようです。すべて神様の御計画でした。

イスラエルの民は、ペリシテ人の支配に対抗して戦うことを忘れ、異教の民との共存と妥協の道を取っていました。しかし、主は何とかして敵に対立して、土地を戦いとる道を探っていました。聖書には、「主がペリシテ人に手がかりを求めていた」(14:4)とあります。わたしたちも異教の世界に妥協しているのではなく、この世に切り込んでゆくためにも、何かの手がかりが求められているでしょうか。神様は、サムソンと言う弱い人間を通して、彼に力と同時に異邦の女性に弱いという性格を通して、異教世界に切り込んでいこうとされていたのです。わたしたちはそして教会は、この異教世界を主のものにするためにいったいどんな手がかりを求めているでしょうか。

「来る日も来る日も彼女がこういってしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐えきれず死にそうになり、ついに心の中を一切打ち明けた。・・・もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう。」(16:16~17)ついに本音を言って、自分の弱点を打ち明けてしまいました。神様の掟を破ってしまいました。つまり自分の髪の毛にかみそりを入れて髪の毛を切ったり、整えてはいけないということです。髪の毛は神の力の象徴ですから、それには手を付けない、神様のなさるままにしておきなさいということです。

何度も何度も、そして来る日も来る日もしつこく、自分の力の秘密を聞き出そうとする美しいデリラの魅力と誘惑のもとに、ついにサムソンも真実を言ってしまいました。「髪の毛をそられたら、自分は弱くなってしまう。」と。どうして彼が弱点を言ってしまったのでしょうか。デリラの魅力もさることながら、彼は今までの自分の力を過信してしまっていたのではないでしょうか。そして眠っている間に、彼の髪の毛は切られてしまいました。

「彼女が『サムソン、ペリシテ人があなたに』と言うと、サムソンは眠りから覚め、『いつものように出て行って暴れてくる』と言ったが、主が彼を離れられたことには気づいていなかった。ペリシテ人は彼を捕らえ、目をえぐりだしてガザに連れて下り、青銅の足枷をはめ、牢屋で粉をひかせた。しかし、彼の髪の毛はそられた後、また伸び始めていた。」(16:20~22)

皆さんの力の源は何ですか。サムソンのように、髪の毛だという方はいませんか。力の源は、どこにありますか。ある人は、毎週の礼拝だという人がいるかもしれません。またある人は朝の静聴の時間がわたしの力の源だと答えるかもしれません。またある人は聖書だという人、またある人は密室の祈りだという人がいるでしょう。またある人は自分の妻、あるいは夫だという人もいるかもしれません。それぞれに力の源があるのです。皆さんはどこにあるでしょうか。

もし日曜日の礼拝が自分の毎日の力の源だという人には、サタンは何とかその日曜日の礼拝に行かせないように策略をめぐらすでしょう。信仰深い奥さんが力の源だという人は、サタンは何とか奥さんと仲たがいをさせて夫婦を引き離そうとするかもしれません。サタンは常に私たちの力の源を狙っているのです。あのデリラのように、毎日毎日しつこく、隙さえあればそれを聞き出そうとしているのです。そしてそこを攻撃してきます。

Samson fell in love with a woman named Delilah who is a beautiful and attractive woman. She asked Samson to tell the secret of his power many times to persist. She asked him day after day until he was tired to death. At last he told her his secret of power that was in his head not to use razor on it. Delilah called a man to shave off his hair. He had not the power because the Lord left him.

What is your resource of God’s power. Someone say I have a power in the worship, and other say in the devotion time every morning, other say I have a power in my wife or husband. Satan may attack your resource of power to cut off the relationship with God. So we should pay attention on myself not to hinder the relation with God. Please be careful to sweet temptation. Watch your resource of God’s power. And keep watching it day by day.

2.闇の中の光

しかし、聖書には22節「しかし、彼の髪の毛はそられた後、また伸び始めていた。」とあります。神様から離され、力が抜け、光を失い、一人孤独な人生を歩んでいたサムソンでした。誰もがもはやイスラエルの栄光は去ったとあきらめていました。再びペリシテ人がイスラエルに攻めてきて、圧迫されていました。しかし、聖書は、たとえ光を失い、暗闇の中に一人孤独の中に突き落とされた人でも、神様はあきらめていませんでした。髪の毛が再び伸び始めていたのです。しかも、ペリシテ人は誰もそのことに気が付いていません。サムソンの力の源は、髪の毛にあるのですから、伸びてきたら危険を察知してまたそらなければならなかったのですが、誰もそのことに気が付きませんでした。神様が守ってくれていました。

おそらくサムソン自身も、また自分に以前のような力が与えられているかどうか知らなかったのではないでしょうか。神様が自分に、再び力を返してくださっているだろうかと言う恐れはありました。目をえぐられ、何も見えない中で、彼は何を考えていたでしょうか。おそらく今までの自分の傲慢さ、軽率さを反省し、そのことを主の前に悔い改めていたのではないでしょうか。神様は、愛する者を時には人生の暗闇の中に、苦しみの中へと突き落とされることがあります。しかし、その時こそ、罪人が真に神に立ち帰るときなのです。罪人が主の前に、自分の罪を悔い改めて立ち帰るときに、主は大きな憐れみをもって迎えてくださり、受け入れてくださいます。聖書はそういう人々の記録だと言っても過言ではありません。

預言者のヨナも魚の腹の中に飲み込まれ、三日三晩暗闇の中から神に向かって叫び続けました。「わたしは山々の基まで、地の底まで沈み、地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ、あなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。息絶えようとするとき、わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き、聖なる神殿に達した。偽りの神々に従う者たちが、忠節を捨て去ろうとも、わたしは感謝の声をあげ、いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」(ヨナ2:7~10)

たとえ光が失われ、地の底に下り、天が閉ざされ、神が自分を見捨ててしまったようでも、また一人孤独な人生を送っていても、主の力、主の救い、主の不思議はわたしたちが知らない間にも着々と進んでいるのです。サムソンが絶望し、光を失って暗闇の日々を送っていた時でも、神の救いの力の象徴である髪の毛は少しづつ伸びていました。たとえ闇の中にいるように見えても、神の救いは前進しているのです。たとえ見捨てられたような気持ちに襲われて、自暴自棄になってしまっているような時でも、神の力は少しずつ蓄えられているのです。

神は決して見捨てられるお方ではありません。主は離れてしまったように思えても、離れてはいない、そばにいるのです。髪の毛が伸びてくるように。神の力は、むしろ私たちの弱いところに働かれるのです。パウロに対して主はこう言われました。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリント12:9)

主がいったんサムソンから離れたように見えましたが、それは彼にとっても必要な訓練の時でした。敗北と苦しみと恥と暗闇の中で、彼は主の前に心からへりくだり、立ち帰ったのです。自分は力がないものである。ただ神の憐れみによってのみ、自分は生かされ、力が与えられているのだということを悟ったのではないでしょうか。自分の罪を認め、自分を明け渡して主の前にへりくだったのです。そこに救いの希望があり、光があるのです。暗闇の中にこそ光が射しこむのです。死んだと思った瞬間に行かされるのです。わたしの人生が終わったという所から、また新たな人生が始まるのです。サムソンの物語は、どこかイエス・キリストの十字架の死と復活を予告しているような気がしてなりません。

Samson was seized by Philistine and gouged out his eyes, being bind with bronze shackles and being in prison. He lost his eyes and lost the light in his sight. He was in the darkness and loneliness. His holy life of Nazirite was over. Every body would think that this is the consequence of the life of Samson. But the hair on his head began to grow again after his being in prison (16:22). The God never abandon the Israelite and righteousness.
Even if we are in the darkness and misery and feeling in the end of life. The bud of salvation and the God’s power began to sprout. Those who are in the darkness and loneliness and failure never forget your God’s existence and power around you. Look around yourselves and seek the bud of God’s power. Meanwhile we are in the darkness and the valley of our life. The God should provide the resource of power, please wait for the light of hope in the darkness.

3.主に祈ったサムソン

盲目のまま甦ったサムソンは、ペリシテ人の見世物にされるために、タゴンの神殿で公衆の目前に引き出されました。何千人もの人々が、イスラエルの神よりも、我々の神タゴンの方が強いと勝ち誇りました。目をえぐられて力を失ったサムソンが、弱いイスラエルの神の象徴だったのです。しかし、サムソンは髪の毛が伸びてきて、密かに自分の中に主の力が戻って来ていることを感じ始めていました。手を引いてくれた若者に、この神殿の中心の柱がどこにあるかを尋ねました。

「サムソンは彼の手をつかんでいた若者に、この建物を支えている柱に触らせてくれ。寄りかかりたい。」と頼んだ。建物の中は男女でいっぱいであり、ペリシテの領主たちも皆これに加わっていた。屋上にも3千人もの男女がいて、見世物にされたサムソンを見ていた。サムソンは主に祈っていった。『わたしの主なる神よ。わたしを思い起こしてください。神よ、いま一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。』」
(16:26~28)

こう言って、彼は最後の力を振り絞って、二本の柱を押し倒しました。そのとたん、神殿は二本の大黒柱を失って一気に崩れ落ちてしまいました。中にいた会衆はもちろんのこと、屋上にいた3千人の人々まで真っ逆さまに瓦礫と共に落ちてきたのです。そして多くの人々が犠牲になってしまったのです。その時の数は、サムソンが捕まる前に殺した数よりもはるかに多かったと伝えています。彼の死をかけた戦いによって、再びイスラエルの平和がやって来たのです。ペリシテ人の圧迫から守られました。

サムソンの生涯の目的はここにあったのではないでしょうか。自分の死を通して多くの人々を裁くということです。彼が異邦の女を好きになったのも、神が異邦人への裁きを告げるためではなかったでしょうか。たった一人の人の死を通して、異邦人への裁きが下され、イスラエルの民は救われました。彼の自己犠牲の死は、イエス・キリストの十字架の苦しみと死にも匹敵するほどの大きな意味があったのではないでしょうか。誘惑に負け、罪を犯して、神から見捨てられたような男を通して、罪の裁きとイスラエルの救いがなされたのです。

28節のサムソンの最後の祈りに注目したいと思います。「サムソンは主に祈っていった。『わたしの神なる主よ、わたしを思い起こしてください。』」彼は最後に、「Oh Sovereign Lord, remember me!」「神様、わたしを思い出してください!」と言って息を引き取りました。神の掟を破って罪を犯し、神から見捨てられたも同然の自分ですが、このような罪深いわたしも思い出してくださいと祈りの声をあげています。最後に自分に力を与えて、イスラエルを救わせてくださいと祈りました。彼は本当に、この牢屋の暗闇を通して謙虚にされ、へりくだらされました。強いサムソンではなく、弱いサムソンですが、神の力によって強くされたサムソンに代わりました。その時の成果は、生きていたときよりも多いとあります。死んでしまったようなサムソンの力が、大きな成果をもたらしたのです。

Before being seized Samson depended on his own power. He said
“I ‘ll go out as before and shake myself free.” He did not pray for God’s help. But after being blind he prayed to the Lord. “oh, sovereign Lord, remember me, Oh God, please strengthen me just once more.” Despite his hair has grown fully, Samson asked the Lord’s power. He repented and was born again through the darkness and loneliness and weakness in his life. God never oversee the broken hearted and humble man and being crashed spirit. If we repent our sins and turn our way to the God and bow down before the God with humble heart. The God recovers our power and first calling. Even if we are still in the darkness and in the weakness, the bud of salvation is beginning to grow. Wait for the hair of salvation is growing and see your hair on your head in the darkness. Salvation is near and the God is near not far from us.

どんな暗闇の状況でも、既に神の力は芽生えてきています。暗闇の時があったからこそ、孤独の時があったからこそ、最後に自分の力ではなく、神の力によって勝利をすることができたのです。「また髪の毛は伸び始めていた」と言う言葉がそのことを教えています。わたしたちの教会もたとえ弱くとも、またいくら伝道してもなかなか成果が見られなくても、神の力は既に芽生えてきています。(2017年度からの不思議な出来事)

わたしたちも自分の罪を悔い改めて、主の前にへりくだりましょう。そして主の力にのみより頼んで祈りましょう。罪を告白して、悔い改め、心を主に明け渡して祈りましょう。わたしたちはすでに死んだも同然の人間です。弱い人間です。力のない群です。でもそこにこそ神様の不思議な力が働くのではないでしょうか。神の不思議が今、わたし達の中に起こっているような気がします。(岡田 久)

powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional