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イエス・キリストの系図 (マタイ1:1~17)

メッセージ
2018年12月9日富里キリスト教会
「イエス・キリストの系図」
(マタイ1:1~17)
1. 罪人の家系図

ユダヤ人はイエス様の伝記を書く時に、どうしてもイエス・キリストの家系図を描かなければなりませんでした。それは神が選ばれた民族という特別な家系だったからです。絶対に異邦人や罪人や辺境の人が入ってはいけなかったのです。それが純粋な立派な信仰をもった血筋の家系図です。異教徒や異邦人の血が混じることを許しませんでした。しかしマタイは、イエス・キリストの家系図を描いた時に、そこに負の遺産と言いますが、本来は隠しておきたいような人物の名前も入れています。

特に珍しいのは、女性の名前が出ていることです。しかもみな訳ありの女性です。他にももっとふさわしい女性はいなかったのでしょうか。たとえばアブラハムの妻サラとか、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻ラケルとか、他にもふさわしい女性がいたはずです。ところがよりによってマタイは、出したくない女性、隠しておきたい女性の名前をわざわざ聖なるキリストの系図に残しているのです。

Japanese take care of family tree very much. We may proud of ourselves when a high-ranking person is in our family tree. But when we have a low-ranking person or criminals or shameful person in our family tree. We feel shameful and may hide them to the other people.
If we had a criminal in family tree, we try to conceal it. And we are controlled by him and destine to fail of life and cannot find a future. In this way the family tree may become a curse for us Japanese.

例えば、この家系図には4人の女性が出てくるのですが、タマル(3節)、ラハブ(5節)、ルツ(5節)、ウリヤの妻(6節)、マリア(16節)とあります。当時の家系図には女性の名前は入れていませんでした。いわば直系とは関係がない者でしたし、多くの側室が存在したからです。いわば男子直系の子孫を残す者としての女性でした。また女性は家の主人の財産として考えられていましたし、正式な数にも入っていませんでした。しかしこの家系図では、こともあろうに訳ありの女が堂々と描かれているのです。

1) タマル

タマルとその夫ユダのエピソードは創世記38章に出ています。いわば、この夫婦は週刊誌のネタになるような問題夫婦で、タマルは夫の父親でいわばしゅうとに当たるのです。ユダにとってはタマルは長男息子の嫁なのです。そのしゅうとと嫁がいわば売春行為をして産んだ子供がペレツなのです。それが信仰の父アブラハムからイエス・キリストの家系図にしっかりとのっているのです。

お話はこうです。ユダの長男エルとタマルは結婚をしました。ところが長男エルは神の前に罪を犯したので、神様はエルを殺しました。そこで父親はなんとしてもユダ家に跡取りが欲しいということで、次男のオナンに兄嫁のために子供を造るように命じました。ところがオナンは、生まれる子が自分の子供とならないのを知って、精液を地面に流してしまうのです。これがまた神に対して罪を犯すことになり、次男も神に殺されてしまいました。次に三男を代わりに与えるのが普通ですが、父親のユダは、もしかしたら三男も神に殺されてしまうのではと恐れ、タマルには三男を与えませんでした。

それを聞いた嫁のタマルは、神の律法通りにしない父親の仕打ちに怒って、神殿娼婦に変装して、道端で父親のユダを待ちました。ユダはちょうど妻を亡くした後でしたので、ついその娼婦を買ってしまいす。しかしタマルは顔を隠して素性が分からないようにしていましたので、お礼にユダの身分を証明する小さな品物をあずかりました。そうこうしているうちに、嫁のタマルが妊娠したという噂が立ちまして、ユダは激しく怒ります。

そして姦淫の罪を犯した息子嫁を焼き殺してしまえと命じました。その時、タマルは以前ユダから預かった品物を見せます。そしてこのお腹の子は、あなたの子供ですと言ってあの日のことを打ち明けました。ユダはそれを見てこう言いました。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女に跡取りのために三男の息子を与えなかったからだ。」(創世記38:26)と言って、彼女の行為を信仰的に正当なものと認めました。それで、ここにユダはタマルによってペレツとゼラの双子の兄弟を産んだと記してあります。ユダはあのヤコブ・イスラエルの十二部族の中の一族となるのですが、ここからダビデが生まれてきます。

2) ラハブ

5節の「サルモンはラハブによってボアズ」を産んだという言葉があります。ラハブはエリコの町の遊女でした。ヨシュアがこのエリコの町を滅ぼす時に、二人のスパイを町に偵察に出しました。二人はまず町の遊女の家に入ってそこに宿をとりました。ところが素性がばれて、遊女ラハブの家に王の兵士がやってきます。その時に、ラハブは二人を差し出さずにかくまって追っ手をやり過ごしてあげました。

その後、エリコの町が攻略されて滅ぼされた時に、ラハブとその家族だけは家の窓の赤い紐をぶら下げておくことによって、破滅から救われます。ヨシュア記6:25にこう書いています。「遊女ラハブとその一族、彼女に連なるものはすべて、ヨシュアが生かしておいたので、イスラエルの中に住んで今日に至っている。エリ子を探る斥候としてヨシュアが派遣した使者を、彼女がかくまったからである。」とあります。こうして性を生業とする女性とその家族全員が助かったのです。それは彼女が、イスラエルの神を信じてイスラエルの斥候を逃がしてあげたからです。

3)ルツ

ルツという女性は、モアブ人です。ユダヤ人から見れば全くの外国人です。神の救いから外れた人々です。しかし、このモアブの地にユダヤ人のナオミの家族が飢饉を逃れて移住しました。しかし、そこで夫が死に、残された二人の息子も死んでしまいました。あとは姑と二人の息子の嫁だけでした。そこで姑のナオミはまた故郷のベツレヘムに戻る決心をしました。

二人の嫁のうち、一人は自分の国に残ることになりましたが、もう一人の嫁ルツは、母のナオミと一緒にユダヤのベツレヘムに戻る決心をしました。ルツは自分は異邦人ではあるけれども、母親の信じている神を信じようと思って、ついて行きました。故郷に帰っても毎日貧しい生活が続きましたが、遠い親戚のボアズの目に留まって再婚を果たします。そして、そのボアズはユダの家系でありやがてルツとの間にオベドを産んで、オベドはエッサイを産みます。これがダビデの父親であり、オベドはダビデの祖父、オベドの父親はボアズでその母はモアブ人のルツとなっています。

純血を大事にするユダヤ人が、その家系の中に異邦人の女の血が混じっていたのです。ラハブもそうです。異邦人でありかつ遊女です。ルツは異邦の女であり、ユダヤから飛び出していって失敗した家族についてきた外国の女です。その家系からあのダビデが生まれたのです。そして讃美歌153番の最初の歌詞に出てくる「エッサイの根より生い出でたる」という言葉にもあるように、エッサイの祖母になったのです。ここにもちょうどクリスマスの時期に、救い主はユダヤのベツレヘムに生まれるというミカの預言の言葉が生まれたのです。

When Matthew rote the genealogy of Jesus, he put some women whom he would not like to write in this family tree. There are four women who had some scandalous backgrounds. First woman is Tamar who had a son with her father-in -law. Her father-in-law Judah rejected to give his third son to Tamar, because his first and second son died by being married with her. But she got a son by her father-in-law through disguising a prostitute. This is the true action by the law of Moses. Matthew rote her name according to her righteous and faithful behavior.

And second woman is Rahab who has been a gentile and a prostitute.
But she feared the God of Israel and she hide the spy who was sent from Israel and let them escape from the town of Jericho. So her name was written in Genealogy of Jesus in spite of a gentile and prostitute.
And Ruth also were a gentile woman. But she followed to her mother-in-law after her husband died. She came back to Bethlehem with her mother holding a faith to true God. And she got married with Boas who was a rich and faithful man and a relative of Naomi. In spite of these two women were gentiles they were put in the family tree of Jesus.

And fourth woman was a wife of Uriah. Her name was Bathsheba. Matthew dared not to write her true name and dared to write as Uriah’s wife. This shows the sin of adultery of the king David. This genealogy makes clear sins of Israel. In a sense this genealogy may be sins of genealogy. But they had a faith to God and confess their sins and repent to God and waiting for the Savior who will redeem their sins and make them whole. In that sense this genealogy is the family tree of believers.

4)ウリヤの妻

聖書にはわざわざ「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」(1:6)と書いています。なぜここにバテシバという立派な妻の名前が出ていないのでしょうか。そしてわざわざ前の夫ウリヤの名前を出しています。それはやはり、バテシバは本来ウリヤの正式な妻であった、それをダビデが情欲におぼれて、権力を傘に着て横取りし妻を奪い取りました。そして、その忠実な部下の夫さえも殺してしまったという、ダビデの悪行と言いますかおぞましいばかりの罪の現実を書き残しているのです。

そしてこの家系図は、決してダビデ王家の美談を書き残したものではないということです。むしろダビデ家の罪の現実をはっきりと後世に残したものだと言っていいのではないでしょうか。ウリヤの妻と書くことによって、マタイはウリヤの真実を記し、神の正義を貫いきました。そしてあの最高のイスラエルの王であり信仰の鏡でもあるダビデ王を、一人の罪人として際立たせているような気がしてなりません。

つまりこの家系はアブラハム、ダビデ王を中心としたイスラエルの連綿とした神の選ばれた民の家系図というよりは、むしろ罪人の家系図と言った方がいいかもしれません。しかし、そういう罪にまみれた王様、夫、女たちでありましたけれども、彼らに共通して言えることは、己れの罪を認め、それを神の前に言い表して、悔い改めて神を信じる者となったという点で、一つの血筋としてつながっているということです。まさに信仰者の系譜なのです。

そこには、アブラハムであろうが、ダビデであろうが、寡婦のタマルであろうが遊女ラハブであろうが、異邦人ルツであろうが何ら変わるところはないということです。そういう罪を持ったものとして、歴史の流れの中でも、彼らは罪を悔い改めた者としてここに名前が記されているのです。自分達の罪を最終的に贖い取って清めてくださるお方を待ち望んでいたのです。自分たちの罪が完全に贖われる日を、はるか歴史の遠くから待ち望んでいたのです。アブラハムからダビデまで約千年、ダビデからイエス・キリストまで約千年の間、彼らは救い主の来ることを信じて待ち望んでいました。自分たちの罪が贖われること、完全に赦されて神の民とされ、約束の永遠の命を得ること、まさに約束の国をはるか遠くから待ち望んで歩んできました。それがこのイエス・キリストの系図なのです。信仰の民、神に選ばれた聖なる国民の系図なのです。

2.イエス・キリストの誕生

そしてこの長い歴史の果てに、ついに処女マリアの胎を通して神の子イエス・キリストがお生まれになったのです。このマリアだけは、他の4人の女性と違って、問題を起こして子供を産んだという事件性はありませんでした。ただ、彼女は他の4人の女性と決定的に違っていたことは、夫ヨセフとの夫婦関係を通して子供を産んだというのではありませんでした。マリアにはもっと驚くべき出来事が起こったのでした。それは、結婚や夫婦関係ではなく、聖霊によって妊娠したということです。

聖霊によって身ごもったということは、人類史上マリアだけです。1:16に「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。」とあります。マリアの出産だけは全く違う次元の出来事でした。同じイエスの家系図が載っていますルカの3:23を見てみますとこう記しています。「イエスが宣教を始められたときはおよそ30歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。」とあります。

皆さん、何かひっかかりませんか。「イエスはヨセフの子と思われていた」と微妙な書き方をしています。つまり、地上では肉によればヨセフの子ではありますが、イエス様は実際は神の子です。パウロはこのイエス・キリストの誕生をこう言っています。「御子は肉によれば、ダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。」(ローマ1:4)

キリストは確かに、アブラハム、ダビデの家系から生まれた者ですが、それは今まで犯した人間の罪をご自分の肉体をもって贖い取って下さるお方として、この世に来られたのです。あの罪深い、忌まわしいイスラエルの呪われたような家系図をすべてご自分の十字架の贖いによって清めて、全き神の民として、肉のイスラエルではなく、キリストの贖いによって罪赦された霊のイスラエルとして聖めるために来られたのです。そしてイスラエルの肉の家系図の最後に、その罪ある民の家系図を最終的にご自分の贖いによって完成するために来てくださったのです。

The fifth woman is Mary who has pregnant by the Holy Spirit. In the case of Mary was quite different from other women. And the genealogy of Israel finished by Mary. From Mary the people who was born through the Holy Spirit are the brothers and sisters of Jesus. The family tree of the flesh was over at Mary. Since Jesus was born in this world the people who believed Him are all God’s son and same family in Jesus. This is the born again by the Holy Spirit not by the flesh. From the incarnation of Jesus those who repented his sin and believed in His redemption will be the member of God’s family as same as Abraham and David. All of us will be able to become the son of God through the redemption and resurrection of Jesus. Jesus became the end of the Israel of the flesh and the beginning of the Israel of the Holy Spirit. And we will be counted of a member of faithful Israel. There is no difference between nations and between races and between man and woman and between Israel and gentiles. Those who believe in Jesus are the one and same family.

イエス・キリストは、イスラエルの民が長い間二千年にもわたって待ち望んできたメシアとして来てくださったのです。このキリストの誕生と十字架と復活によって、これからは全く新しい霊のイスラエルの家系図が始まるのです。それは霊によって生まれた者の家系図です。血筋ではなく、肉ではなく霊のイスラエルの誕生です。メシアなるキリストを信じる者の家系図が始まったのです。

つまり誰でも聖霊を受けてイエスキリストを救い主と信じる者は、神の子とされるのです。イエスの子供ではなく、わたしたちは皆神の子です。そしてイエス様が長男で、私達がみなイエス様を長男とした神の兄弟姉妹なのです。ユダヤ人、異邦人、日本人、外国人の区別はありません。男と女の区別もありません。職業や身分の違いもありません。ただ罪赦された者、罪人の群れです。これが新しい霊の民イスラエルの誕生です。それがこのクリスマスの出来事なのです。全世界の人々が一つとなって、この救い主イエス・キリストのお誕生を感謝して喜びをもって迎えております。わたし達もこの救い主のお誕生を、家族に友人に団地の人々に宣べ伝えてゆきましょう。               (岡田 久)

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