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魂を守る者はその道を守る (箴言16:17~25)

メッセージ

2012年5月27日富里キリスト教会
「魂を守る者はその道を守る」
(箴言16:17~25)

1.道を求めて

今日、取り上げました箴言の16章には、一見自分の行くべき道のように見えていてもそうではないことがあるということが述べられています。例えば、
16:2に「人間の道は自分の目には清く見えるが、主はその精神を調べられる。」とあります。自分では聖い道だと思いながら、本音のところでは自分の欲望に従っている場合があるというのです。

このように私たちは自分で、自分の人生の道を定め計画して、これこそ正しい道だと思ってもそこに神の御手が働かなければ間違った道へと突き進んでいるかもしれません。つまり、私たちが人生の道を定める場合にも、自分の心と関わっているということです。私達が行くべき道は、まず自分の心の中にあるということです。

ですから私たちはよく、「道を誤らないように気をつけなさい」という言葉を耳にしますが、その前にまず大事なことは自分の心、魂、内面的なものを大切にしなければならないのではないでしょうか。自分の内側、心を清め、魂を守るならば、神様がそこに私たちが行くべき道を示して下さるというのです。ですから自分が行くべき道はすでに、私たちの心の中に備えられていると言っても過言ではありません。それは自分で選ぶと言うよりも、与えられる道だと言っていいのではないでしょうか。

2.道を見失う原因

じゃあ、どうして私たちが道を失ってしまうことがあるのでしょうか。家族の中でいつも問題を抱えている。将来どのような生活をしていったらいいかわからない。悪い習慣から抜け出ることができない、お先真っ暗、生活のめどが立たないなど、まるで人生の迷路に迷い込んでしまったかのように感じる時があるのではないでしょうか。誰も道を失いたくて失う人はいないと思います。知らず知らずのうちに、行くべき道を見失ってしまうようなことがあるのではないでしょうか。その原因は何か、なぜそうなってしまうのか、その答えが、今日の箴言の御言葉の中にあるような気がします。

箴言16:17~18を読んでみましょう。「正しい人の道は悪を避けて通っている。魂を守る者はその道を守る。痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。」とあります。つまり、当たり前のようなことですが、正しい心を持つことによって、悪の道を避けることができるのです。そして、私たちがもし道を失って、苦しみに出会う、あるいは道にあってつまづいたりするその原因は、私達の外側にあるのではなく、私達の内側にあるというのです。つまり、自分の内側のおごる心、あるいは高慢な霊が、私たちをつまづかせ、時には道から外れたり、道を見失ったりするのではないでしょうか。人生につまずいたり、痛い目に遭う前に、自分の心に神に対して驕り高ぶる心、自分をいつの間にか神としてしまっていることがあるのではないでしょうか。「すべて高慢な心を主はいとわれる。」(16:5a)ともあります。

自分がこんな状態になったのは、親の育て方が悪かったからだ、夫のせいだ妻のせいだという人を多く見かけますが、決してあの人のせいとか、時代や社会のせいではないような気がします。むしろ、自分の心の中に、傲慢な驕り高ぶる心があって、それが自分の心を支配し、人を支配しようとしたり、我がままになったりするのです。その結果、自分の歩む道においてつまづいたり、道を見失ったりすることになるのではないでしょうか。ですから、20節に「何事にも目覚めている人は恵みを得る。主により頼むことが彼の幸い。」と言う言葉が続いています。

私たちの進むべき道は、私たちの内側に、心の中にあるということです。まず自分の内側を、自分の魂を神様の前に正しく保つことです。そのためにはおごり高ぶる心ではなく、へりくだって自分の心の中に主をお迎えすることから始まるのではないでしょうか。内なるものを大事にする者が、行くべき道を見出すのではないでしょうか。ルカ11:35に「あなたの中にある光が消えていないかどうか調べなさい。」とイエス様も言っておられます。

3.わたしの道ではなくあなたの道を

イエス様はこう言いました。「わたしは道であり、真理であり、命です。誰も私によらないでは父の御許に行くことができません。」(ヨハネ14:6)と。イエス様ご自身が道なのです。そしてこの方を受け入れて信じることによって、私たちの生きる道が決まって来るのではないでしょうか。道そのものであられるお方が、わたしの心の中にいて下さるのです。

イスラエルの民がエジプトを脱出した時の記事を書いたのが、「出エジプト記」ですが、これはエジプトから出るという意味です。しかし、脱出しただけでは、いつまでもかつての自分を支配していたこの世の力であるエジプトの軍隊が後を追ってきます。その力から逃げるだけでは、逃げ切れません。イスラエルの民は、やがて紅海と言う大きな海のほとりまで追い詰められてしまいました。自分たちの行くべき道を見失ってしまったのです。

目の前は海、後ろはエジプト軍、絶体絶命の状況です。その時、モーセはこう言いました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。・・・主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:13~14)

道を見失った時、大事なことはあわてたり、動揺したり、誰かを非難したりすることではなく、静まって神が指し示す道を見上げつつ待つことです。必ず主が、海の中でも道を造ってくださいます。神への信頼、神の御言葉への従順、これがイスラエルの新しい道だったのです。出エジプトは、人生を自分の道から神の道へと切り替える戦いだったのです。そのために人々は40年間、荒野をさ迷い続けました。わたしが道であるとおっしゃった方の、真理と命と光の道を求めて歩み続けました。

4.魂を守るために

最後に、ではどうしたら私達は自分の魂を守ることができるでしょうか。自分の消えかかっているともし火を、自分で気づくのはなかなか難しいかも知れません。でも、信仰が解らなくなった、信仰生活が苦しくなってきたと思う時に、まず自分の心の光を点検してみる必要があります。そしてもし、消えかかっているのに気付いたならば、もう一度聖書を読み、祈る時間を一日の中に持っていただきたいと思います。

そして祈ることです。信仰生活もそうです。一生懸命奉仕したり伝道していても、肝心の自分の魂、心が研がれていなければ、すぐに疲れを覚えたり不平や不満が出てきます。まず、自分自身の心を見守り、自分の魂を磨くことです。そのためにもまず、一日のうち最低一回は、聖書を読み祈る静聴の時間をリセットしましょう。失敗したらまた始める、休んでしまったら今日から始める。今日が再スタートの日です。

時間を決めて、忠実に、几帳面に静聴の時間を取る。それ以外に私たちの心を守る術はありません。主に自分の心を明け渡して、主の御言葉にしっかりと心を研いでもらうならば、主が道を開いて下さり、自分がしようとすることは必ず成し遂げられるとあります。「あなたの業を主にゆだねれば、計らうことは固く立つ。」(16:3)のです。               (岡田 久)

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