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預言の賜物を求めなさい (Ⅰコリント14:1~12)

メッセージ

2014年3月23日富里キリスト教会

「預言の賜物を求めなさい」
(Ⅰコリント14:1~12)

1.コリント教会の異言問題

コリント教会の中で、やはり一番問題となっていたのが、今朝取り上げます異言問題ではなかったかと思います。特にこの異言の賜物は、奇妙な声で祈り出す現象を伴いますので、周囲を驚かせたりすることがありました。そして、この派手な賜物のゆえに、異言を語ることのできない信徒を軽視したりして、自分がまるで教会の一番のリーダーにでもなったような錯覚を持って、周囲の人を巻き込んで、分裂分派活動に走って行ってしまう傾向がありました。

コリント教会は、問題のデパートと言われていますが、おそらくこの異言問題が一番の大きな問題だったのではないでしょうか。特に女性の中に多かったようで、パウロは14:34節で「婦人たちは教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。」と釘を刺しています。これは女性の教職者、女性牧師を否定する御言葉ではなく、また女性役員や女性リーダーを否定する言葉ではありません。この聖書の流れで言いますと、女性の異言活動をいさめた言葉ではないかと思うのです。

おそらくコリント教会では、そういう女性信徒の方が、集会中に突然、髪を振り乱して異言で祈り出したりして、集会が無秩序状態になったりしたのではないでしょうか。そして、異言を注意したり制止したりする人を批判し、異言を語らない人を軽視して、自分が特別な賜物を持っているとうぬぼれていたかもしれません。そして、異言で祈る人だけで仲間を作って分派活動をしたり、教会員全員に異言で祈らせるように強要したりしていたのではないでしょうか。そういう実情を嘆いたコリント教会の心ある役員の方が、パウロに手紙を書いて何とかしてくれるようお願いしたのでしょう。この問題が一番大きな問題だったような気がします。

2.預言の賜物を熱心に求めなさい

14:1から読んでみましょう。
「 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それは誰にも解りません。彼は霊によって神秘を語っているのです。しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。あなたがた皆が異言を語れることにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。」
                     (Ⅰコリント14:1~5)
パウロは、愛を追い求めなさいと言いました。「ま、いただけるならいただこう。受け取ってやろう。」では与えられません。必死に求めればいいのです。単純に「求めよ、さらば、与えられん。」です。そしてさらに、「預言の賜物を熱心に求めなさい。」と言っています。ただ求めるだけではなく、熱心に求めなければなりません。コリント教会に起こっていました異言問題に関して、パウロは、異言の賜物を求めるよりは、預言の賜物の方を熱心に求めなさい。なぜならば、預言の賜物の方が、愛を動機としているゆえに、教会にとっては大事な賜物だからだというのです。(12:8に「知恵の言葉、知識の言葉」が一番、最初に述べられて、異言は最下位に置かれています。)

どうしてかと言いますと、14章では異言と預言の賜物の比較を行っております。異言の方は、「神に向かって語り、誰にも解らないし、異言は霊によって神秘を語っているので誰にも解らないからです。空に向かって語っているようなものです。」と言っています。一方、「預言の方は、人に向かって語り、人を造り上げ、励まし、慰めます。そして教会を造り上げるのです。」(14:3~4)と言っています。

教会は、我が我がと言うところではなく、むしろ教会の中で弱い部分、見劣りがする部分をカバーして、全体がよく見えるようにするのが教会の真の姿だということを学びました。ところが、異言を語るのを得意とする人は、相手が誰であろうがところ構わず、自分中心に行動するので、教会がいつまでたって無秩序状態で、バラバラみんなが好き勝手なことをしているのです。一人一人がまだ、大人の成熟したクリスチャンになって行かないのです。そして、賜物や奉仕や働きの比較と競争がそこにはありました。

そういう幼子のようなクリスチャンを抱えていたのがコリント教会だったのです。もういい加減に大人になろうではないですか。いつまでも、奉仕を取った、取られたとか、勝った、負けたと言ってクリスチャン同士が競争して争っているようでは、子供の教会ではないですか。もっと、自分のことばかり考えないで、相手のこと、他の人が成長することを考えなさいと言っております。それが本当の霊の賜物です。

別な言葉で言いますと14:3を見て下さい。「しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が、自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げるのです。」人が霊的に整えられて造り上げられ、教会が出来上がって行くためには、この預言の働きをする者が多く出てくることが大事なことです。御言葉によってお互いに励まし合い、慰め合い、時にはお互いに戒め合うこともできる教会、そしてそういう働き人がたくさんいる教会、これが教会を造り上げるための基本であると言って過言ではありません。

幸い、わたしたちの教会でも、日曜日の教会学校のショートメッセージを語る人が与えられています。成人科クラスの各リーダーの方々がおります。そしてスモールグループのリーダーの方々が与えられています。最初は小さな働きでしたが、何年間か一緒にこの御言葉の預言の働きを続けてくることによって、一人一人が少しずつ、霊的に成長してきているような気がします。預言の働き、即ちメッセージを語るためには、苦しみます。そのために祈ります。調べます。聖霊の力なくしては語れません。これが預言の働きです。この賜物を熱心に求めなさいとパウロは言っております。

3.教会を造り上げるために

今までは、「そんな預言の働きは牧師先生の専売特許で私たち信徒がすることではないと思っていました。私たちは、礼拝や集会の準備など細々したことをするのが仕事で、御言葉を語る預言の働きと伝道は牧師先生の働きと思っていました。」と言うかもしれません。また、富里教会ではそう考えておられたようですし、そうであったと思います。皆さん遠慮しておられたかもしれません。預言の賜物は、特別な人だけだと考えていたのではないでしょうか。私たちは聞くだけ、奉仕だけと考えていなかったでしょうか。そうではありません。全員が預言できるのです。いや、しなければならないのです。

来週の聖書箇所になってしまいますが、14:31を見て下さい。「皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。」とパウロ先生は言っています。パウロは、「教会を造り上げるために」それぞれの賜物を求めなさいと言っています。自分を主張するのではなく、自分を誇るのではなく、相手を建て上げることです。そのためには、分かる言葉、知恵と知識の言葉と愛を持って、相手を励まし、慰め、相手の益を図り、相手の霊的向上を図って行く言葉を語ることです。悪口や批判やそしる言葉は、口から出さないようにしましょう。これは教会を破壊する言葉です。預言も、信仰も、献金も、癒しの賜物も愛を動機として、あくまでも相手のために用いて行く時、キリストのからだである富里教会が建ち上がって行くのではないでしょうか。

今日から、求めましょう。預言の賜物を、神様の愛と共に、聖霊様によってこの貧しき者にも与えてくださるように。主は必ず与えてくださいます。聖書にそう書いてありますから。そして富里教会がこの預言の賜物を持ったクリスチャンでいっぱいになり、愛の内に御言葉によって教会形成がされて行くことを願ってやみません。                    (岡田 久)

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