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霊の交わりと一致

メッセージ

2009年9月20日富里教会
         「霊の交わりと一致
       (ヨハネによる福音書17:20〜26)

1.はじめに
「交わり」という言葉は、教会独特の言い方かもしれません。でも、教会ではよく、「礼拝の後、お交わりがありますので、残って行って下さい」とか、「茶菓の用意がありますので、お交わりをしていって下さい」と言ったりします。「交わり」とは、日本語ではあの人と交流がある、お付き合いがあるという意味で使いますが、英語では「フェローシップ」と言います。これは、ただ単にお菓子を食べたりするだけではなく、日頃の出来事や人生の経験をいろいろ分かち合い、助け合ったり、励まし合ったりすると言うような意味を持っています。

教会と言うのは、このようにして、また人間同士の「交わり」を大切にする集まりと言っても過言ではありません。また私達が、お茶を飲みながら話する時も、あるいは座って悩みを聞いてあげている時も、全て神様が共にいて下さって、聖霊様を通してお互いに交わっているわけです。ある方が、私の心のうちにいるイエス様が、あなたの心のうちにいるイエス様に挨拶を送ります、ということをおっしゃっていました。神様を媒介にした交流、これが教会の私達の交わりです。

2.私たちの愛の交わりの根拠
どうして教会は、交わりを大切にするのかと申しますと。神様御自身が、最初から単独のお方ではなく、交わりを持った方であるからであり、共におられて、私たちをそのような愛の交わりの中へと招いておられるからです。ヨハネ第一の手紙1:3(P.441)を読んでみましょう。

「わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは。あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」とあります。つまり、教会の共通項、交わりの根拠は、父なる神様とイエス・キリスト様との親しい交わりの中にあるのです。そしてこの父と子の交わりに私たちも招かれているのです。その招きの働きをして下さるのが、聖霊なる神様です。

私達は、普通神様といいますと、雲の上に立って、白いひげを生やして杖を持って立っている一人の人というイメージをもっていますが、聖書の語っている、そしてわたしたちが信じている神様といいますのは、天地万物の初めから、父と子と聖霊として三人おられたのです。そしてこの三人の神様が、愛と形で一つであり唯一のお方として存在しておられるのです。それぞれ違いはありますが、互いを認め支えあい、違う働きを担っていますが、愛の故に一つのお方なのです。一つの家族のようなものです。父と母と子、名前は違いますが、愛という苗字において一つなのです。神様は、単独ではなく、もともと交わりを持ちこの交わりの中に御自身を表わされようとしています。これが神様の形であり、神様は教会を通して御自身を形を現そうとされておられるのです。

今日の聖書の箇所ヨハネ17:20〜21を読んでみましょう。「また彼ら(弟子たち)のためだけではなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを、信じるようになります。」(ヨハネ17:20〜21)

これはイエス様が、亡くなる前に弟子達のために祈られた祈りです。そして弟子たちのためだけではなく、これから弟子たちの伝道によって、救われようとしている人々のためにも祈られました。実にきめ細かい配慮をされておられます。イエス様と御父様が相互に内におられるような、親しい交わり、このような交わりに、弟子たちを招き、御言葉を通して守ってきて下さいました。そしてこれから弟子たちの伝道によって信じようとしている人たちをも、この愛の一致の内へと招いてくださるようにと祈っています。このかけがえのない一致は、愛による一致であり、これは三位一体の神様が世のできる前からもっておられたものです。そしてその愛の一致を、教会に託されたのです。

3.愛によるひとつのからだとしての教会

22節から読んでみましょう。「あなたがくださった栄光を、私は彼ら(教会)に与えました。わたしたち(父と子)が一つであるように、彼ら(教会)も一つになるためです。わたし(キリスト)が彼ら(教会)の内におり、あなた(父)がわたし(キリスト)の内におられるのは、彼ら(教会)が完全に一つになるためです。こうしてあなたが私をお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼ら(教会)をも愛しておられたことを、世が知るようになります。」(17:22〜23)

少しややこしい文章ですが、イエス様が教会の交わりの中にいて下さることによって、天のお父様も教会と共にいると言うことです。そして、天の父なる神様とイエス様が一体であるように、教会の信徒も一致を保ち、そのことによってこの世に神の愛を証し、伝道して欲しいと祈っています。この聖霊様による教会の一致、神様の愛による教会の一致を保って欲しいとイエス様は、最後の最後まで祈られました。この教会の一致が一番気がかりだったのです。

今日始めて礼拝に来られた方もおられますが、あまり声を大きくしては言えないのですが、実は教会ほど一致がない場所はないのです。バラバラだとは言いませんがそれに近いものがある教会もあります。教会は、子供から大人まで、年代がバラバラです。育った環境も生まれも、ものの考え方も皆違います。自分の気に合う友達だけではありません。うまが合わない人、そりが合わない人の集まりです。何か問題があれば、簡単にバラバラになってしまう要素を多分に含んでいます。イエス様もそのことが一番心配だったのではないでしょうか。天のお父様に、最後の最後までお願いしております。「私と父が一つであるように、教会も一つになって欲しい」と。 

そして私たちには今、何よりも主にあるすばらしい交わりがあります。この礼拝もそうですが、最初の教会学校の時間に、皆さん集まって来て一緒に賛美し、御言葉を聞いて、それぞれのクラスに分かれます。そこで、御言葉を通して、お互いのことをいろいろ語り合います。古い方も初めての方も、心を開いて自分のことを語る場所があります。他にも教会では、水曜日の祈り会の時間に一緒に集まって、話したり祈ったりします。また、グループでのテキストを使った信仰訓練の学びの時間もあります。そこでもいろいろ分かち合いや証の時を持っています。自分の人生経験や、苦しみや試練を互いに出し合って知り合い、祈りあい、語り合うことができます。

それは表面的な交わりではありません。心の通い合った、腹を割った分かち合いです。一人一人が自分自身について、また自分の人生に起こっていることについて正直になれる時間と場所があります。自分の本来居るべき場所、居場所があります。それは自分の弱さを認め、自分の傷や失敗や疑いを明らかにして、他の人の助けと祈りのサポートを求めることのできる場所です。自分が理解されている、受入れられていることをお互いに実感し、共に御言葉によって成長して行こうとする場です。それが私達の教会の交わりです。今まではつい奉仕奉仕の連続で、お互いに知り合うこともできませんでした。また、聖書の学びだけで、自分自身を語ることがあまりありませんでした。でも今は違います。お互いに心を開いて真実を語り合うことができます。そういう場所と時間が与えられていることを感謝します。

4.教会の一致が伝道する
このようにして、私達が互いに争ったり、反目したりせずに、聖霊の一致を保っている時に、そこに神様の愛が満ちあふれて世の人々に対して、神様の愛を証して行くことができるのです。21節に「父よ、あなたが私のうちにおられ、私があなたの内におられるように、すべての人を一つにして下さい。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを、信じるようになります。」とあります。これが私達の伝道の第一線ではないでしょうか。

私達は、そういう交わりを常に、心を合わせて祈り求めてゆく必要があります。ちょっと油断すると、お互いに高慢になり、高ぶったり、競争したりしてしまう私たちです。でも、今神様の恵みをいただいて、こうして主にあるすばらしい愛の交わりへと、神様が私たちを召して下さっていることを本当に心から感謝する次第です。今日も、聖霊様が私達の愛の交わりへと新しい魂を招いて下さったことを感謝します。また、この教会の愛の交わりに招かれ、一つとされていることを心から感謝申し上げます。
                                        (岡田 久)

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