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贖い主なる主 (イザヤ63:7~16)

メッセージ
2018年11月18日富里キリスト教会
「贖い主なる主」
(イザヤ書63:7~16)

1.わたしたちを背負い担ってくださる神

「わたしは心に留める、主の慈しみと主の栄誉を、主がわたしたちに賜ったすべてのことを、主がイスラエルの家に賜った多くの恵み、憐れみと豊かな慈しみを。主は言われた、彼らはわたしの民、偽りのない子らである、と。そして主は彼らの救い主となられた。彼らの苦難を常にご自分の苦難とし、御前に仕える御使いによって彼らを救い、愛と憐みをもって彼らを贖い、昔から常に、彼らを負い、彼らを担って下さった。」(63:7~9)

このみ言葉の最後の言葉に目を留めてみてください。「昔から常に、彼らを負い、彼らを担って下さった。」とあります。神様は、首尾一貫してわたしたちを背負われ、最後まで担ってくださるお方です。たとえ年を取って、独りになろうとも、病気になろうとも、主を信じ待ち望むものは力が与えられて、鷲のように天高く舞いがって行きます。皆さんも振り返ってみてください、神様が今までいなかった時、わたしを見放してしまったことがあったでしょうか。神は常に昔から、首尾一貫して、わたしたちを支え、背負い、担って来てくださいました。

しかし時には、長い信仰生活の中では、そう思えない時もあるかもしれません。なぜ、どうして私だけが、といろんな人生の荒波の中で、心くじけてしまうこともあります。そして天使を遣わして私たちを救ってくださるお方です。そして昔から一貫して、わたしたちを背負い、わたしたちを担ってくださるお方だということです。たとえわたしたちの方で、顔を向けることができなくなり、自分の心の闇と罪の中に引きずり込まれそうになっても、天使がその手をもって安全な正しい道へと導き返してくださいます。そこに「わたしたちを負い、担ってくださる」という言葉の意味があります。英語ではlift upとcarryという言葉です。

Let us read Isaiah 63:9 “In all their distress he too was distressed, and the angel of his presence saved them. In his love and mercy he redeemed them; he lifted them up and carried them all the days of old.”
The prophet Isaiah said “ In all our distress the God was distressed too with us. And the God lifted us up and carried us all the days of old.” How do you think of these words? God will suffer with us and will lift us up from sins and despair and loneliness and carry us to the heavens on his back. I have never seen the Christian who was abandoned by God so far. God will be with the believers who believes in Him and waits for the salvation of God. If we will be sick, God will be sick. If we will suffer, God will suffer too. The God will sympathize with us with deep mercy and compassion and kindness. God will accept our loneliness and disease and abandoned feeling and pain and fear and anxiety of being old. God has a feeling similar to us. So please do not give up your life. God will be within us in the midst of our sufferings and troubles and weakness.

わたしたちが悩むと神様も悩まれます。わたしたちが病気になれば、神様も病気になるほど同じ苦しみを感じてくださるのです。わたしたちの孤独、見捨てられ感、悔しさ、痛さ、恐れ、不安、それらすべてを神様ご自身も同じように受けて、感じてくださるのです。わたしは今まで牧師をしてまいりまして、主を信じている人で、悲惨な生涯を送ったとか、最後は見放された寂しい最期だったという人を聞いたことはありません。主を信じている限り、必ず主はそばにいて助けてくださいます。そして安心して主の御許に帰って行くことができます。わたしたちはこの言葉によって救われ、希望を持って復活の朝、再び兄弟と相まみえることを信じて、その日を待ち望んでいるのです。このみ言葉を信じる信仰によって、わたしたちは救われています。そして今も、いろんな苦難の中にありましても希望の御言葉を見つめて歩んでいるのです。

2.罪を贖われる神

この「彼らの苦難を常にご自分の苦難としてくださる」というこの言葉から、わたしは、それでイエス様があの十字架にお架かりになったのだということが少し分かったような気がします。なぜ神の御子が、あんなむごい形で十字架の上で死刑にされ、苦しまなければならなかったのか。裸にされ恥ずかしめと恥を全身に受けられ、痛みをその手と足とわき腹に受けられ、人々からバカにされ嘲られなければならなかったのかが。それはわたしたちが受ける一切の苦しみを、ご自分がその身に負うためだったのではないでしょうか。わたしたちの苦難をご自分の苦難として担ってくださったのが、あの十字架の姿ではないでしょうか。

そこまでご自分を低くして、わたしたちと同じようになられたのです。本来、そこまでする必要が全くないにもかかわらず、あえて肉をとられ、このように下り、しかも十字架の卑しさまでご自分を低くしてくださったのです。それは一重にわたしたちを救うためであり、わたしたちの罪を贖うためだったのです。そのために十字架の低さまで、十字架の苦しさの極みまで降りてこられたのです。先ほどの岐阜教会のご婦人の苦しみ悩み空しさを、一手にご自分の生きた肉の体に負うて下さるためだったのではないでしょうか。

わたしたち以上に、神様の方が悩み苦しんでくださると言っても過言ではありません。それはわたしたちをその苦しみから救うためだったのです。わたしたちの苦しみをご自分の体に受けてくださったのです。ですからわたしたちは、ただ子供のように、イエス様の前に行けばいいのです。何もできなくていいのです。自分の弱さや悩み苦しみを、イエス様に差し出すだけでいいのです。その私たちの苦しみをイエス様が担い、背負い、身代わりになって受けてくださったのです。

それは神様の愛以外の何物でもありません。神は愛のお方です。「わたしの目にあなたは尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)これがイザヤ書のテーマです。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(Ⅰヨハネ4:10)あの十字架の御子イエスキリストの中に、神様の愛が示されました。わたしたちを無条件で愛する愛です。何かができたからではなく、奉仕ができたからではなく、息子を失った空っぽの心、生きる意味を失ったような自分であっても、主の愛は今も注がれているのです。

わたしたちが一生懸命神を愛したのではなく、神様の方が一生懸命わたしたちを愛していてくださったのです。今もです。イザヤ63:7節には神様のご性質が述べられています。「慈しみ深い方、恵み深い方、憐れみ豊かな方、そして愛のお方なのです。」その神様の愛は半端ではありません。預言者は、この神様の愛を人々に知らせ、人々を励まし、一日も早く失望から立ち帰ること願っていました。

I have received the message that 22 worshipers will absent last Sunday. I was worried about how many people going to worship on next Sunday. We may have about 20 worshipers on every Sunday.
Then I saw the offering envelope with the bible word, “ Do not be afraid stand firm, the Lord will fight for you; you need only to be still.” (Exodus 14:14) Being encouraged by this bible word, I began to worship for God. We had 14 worshipers involving a baby at last. I could preach for a child. God blessed the last Sunday worship. We had a worship and lunch time and female union activities in the grace of God at last. When we may feel a loneliness and failure and despair feeling, God surly be with us with a deep compassion and a great mercy. And God lifts us up and carries us on to the heavens on his back. Let us pray and trust in Jesus wherever we are and whenever we are.

どんな時でも、今日はだめだと思った時でも、失敗してしまった時でも、神様がいないと思った時でも、主は必ず私たちと共にいてくださり、共に働いてくださって恵の業を成し遂げてくださいます。わたしたちの苦難をご自分の苦難として受け止めてくださり、わたしたちの病を負い、苦しみを担い、希望と力を与えて下さるお方です。ですからどんな時でも、あきらめず、失望せず、主を信じて主を見上げて祈ってゆきましょう。最後にイザヤ書の63:7~9節までを、もう一度ご一緒に読んで終わりたいと思います。(岡田 久)

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