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若者は幻、老人は夢を見る (使徒言行録2:14~21)

メッセージ

2011年6月12日ペンテコステ礼拝(召天者記念)
「若者は幻、老人は夢を見る」
(使徒言行録2:14~21)
1.終わりの時には

今日のみ言葉を読んで見ましょう。
「すると、ペテロは十二人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。』」
                     (使徒言行録2:14~18)

イエス様が復活されてから50日目に、大音響と共に激しい風が吹いてきて、弟子たちの上に聖霊が降りました。これをペンテコステと言います。この日以来、聖霊様が働いて弟子たち、とりわけペテロが聖霊に満たされて、人々に向って説教をしました。それが、この使徒言行録の第2章です。

A)聖霊に満たされる

聖霊に満たされた弟子たちは、今まで自分が語ったこともない外国の言葉を語り始めました。人々から見ると、まるで酒にでも酔っているかのように語り出したのです。ペテロは、今は朝の9時だから、誰も酔ってはいない、聖霊に満たされる時、人は誰でも大胆になって、イエス・キリストの福音を人々に語ることができるのだと言いました。今は、預言者ヨエルが預言した終わりの時、終末の時なのだとペテロは言いました。(ヨエル書3:1~5)

そしてこの終わりの時には何が起こるのかと言いますと、神の霊がすべての人に注がれると言う現象が起こると言うのです。今までは、聖霊は預言者や王や祭司などの特別な人にだけ注がれました。でも、この終わりの時には、身分や性別、年齢関係なく全ての人に注がれると言うのです。

私たちは主を信じることも、聖霊の働きです。誰も聖霊によらなければ、イエスを主と告白することはできません。私たちは、主を信じた時に罪の赦しをいただきました。それと同時に、聖霊によって神の子であるという保証もいただきました。聖霊はそのことの手付金です。ですから、クリスチャンは皆聖霊をいただいているのです。「罪の赦し」と「聖霊の働き」と言う二冊の本をいただいているのです。聖霊は、救いを確信させ、罪を悔い改めさせ、神のみ言を啓示し、聖い生活へと導いて下さいます。

聖霊に満たされるために三つのことを心がけましょうと、週報に書いてみました。一つは、聖霊の存在を認めて、聖霊に満たされたいと願うことです。二つ目は、罪を悔い改めて、聖められることを願うことです。三つ目は、自分の心を主に明渡すことです。そして、聖霊に満たされる時、不思議なことが起こります。

B)老人は夢を見る

例えば、息子、娘が預言をし、若者が幻を見て、老人が夢を見ると言うのです。普通に考えますと、夢を見るのは、息子や娘であり、若者です。将来への膨らむ夢を見て希望で胸がいっぱいになります。でも、終わりの時代には、夢は若者の特権ではなく、老人の特権になります。死への恐怖や老後の心配ではなく、むしろ天国への期待と憧れで胸が膨らむと言うのです。

逆に、人生を重ねて経験も豊かな老人が、神の御言葉を語る預言の働きをするのではなく、年のいかない青二才の若者や自分の息子娘が預言をすると言うのです。私たちの教会で言いますならば、慧人君のような少年が神の言葉をしっかりと語り、メッセージを語ったりすると言うのです。聖霊の働きです。そして、年配者の方々が、子供みたいに楽しく将来の夢について語ったりすると言うのです。つまり死への恐れや老後の心配がないのです。輝く未来を夢見て、はしゃぎまわるのです。夢見る高齢者です。これが聖霊の働きです。そして、福音宣教が力強くなされ、教会を通して神の支配する領域(天国)が拡大して行く時代、これが終わりの時なのです。今の時代です。

そして、天と地にはいろんな事象が起こると預言されています。20節に「主の偉大な輝かしい日」という言葉がありますが、これはイエス・キリスト再臨の日という意味ではないかと思います。ですから、終わりの時(終末の時)と言いますのは、イエス・キリストが生まれた初臨の時から、主が天から降って来られる再臨の日までのことではないかと思います。

C)主の再臨に備えて

すでにこの終わりの時が、2011年間も続いていることになるわけですが、主が再び来られる再臨の時が何故、かくも遅くなっているのかと申しますと、それは主の忍耐の故であると言われています。もし、主が明日来たら、主を信じていない人たちはどうなるでしょうか。悲惨なことが起こります。そういう事態を主は知っているが故に、再臨の時を忍耐と寛容を持って延長しているのです。

ペテロ第一の手紙3:9以降を読んでみましょう。「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日(主の偉大な輝かしい日)は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽し、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。」(Ⅰペテロ3:9~11)

今は、想像できない想定外の事態が起こる時代です。大地震、大津波、原発事故という全く想定していなかった事態が起こる時です。主の再臨の時には、天体が激しい音を立てて焼け崩れ、自然界のものはすべて燃え尽き熔け去ると予言されています。想像も想定も予想も全くできない未曾有の出来事、宇宙規模の大崩壊が起こり、聖書の約束していた新天新地が成就、実現するのです。現代はまさにそういう危機的状況に臨んでいる時代なのです。しかもその日は、あの震災のように突然やってくるのです。ですから、私たちは、今、極力聖く正しい信心深い生活をして、目を覚ましてその日が来るのを待ち望んでいなければなりません。これが、現代の終わりの時に生きる私たちの生き方ではないでしょうか。その日が、以前よりもいっそう近づいております。

ただ、そういう終わりの時には、誰でも主の名を呼び求める者は救われると言う約束があります。これは主を信じて祈る者という意味です。民族、人種、性別、身分の違いなく誰でも救われるのです。そして神はそのことを願いつつ、今も尚大いなる忍耐を持って、一人でも救われる人が起こされることを願っておられます。

3.死から甦ったキリスト

ペテロは、エルサレムの人々に向って、あのナザレ人イエス、あなたがたが手をかけて殺した方こそ、我々民族の悲願である救い主メシヤ、キリストだと力強く証しました。そしてあのナザレ人イエスこそ、ダビデが詩編の中で預言したとおり、復活された方なのだと言いました。(2:27、詩編16:8~11の引用)これを聞いた人々は、心を打たれ、「どうしたらよいでしょうか」とペテロに尋ねました。するとペテロは、「悔い改めなさい。イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」と答えました。

このイエス・キリストの十字架はすべての人に関係があります。ユダヤ人だけではありません。キリストを十字架につけたのは、神に背を向け、神に関係がないと言い張って来た私たちの罪です。ただ、主は墓の中から甦られて、キリストを信じる者には誰一人例外なく、罪の赦しを与えて下さいます。このキリストの十字架と復活を一人一人の心に示してご啓示して下さるのが、聖霊様の働きです。聖霊は父から出て、キリストを通して私たちに注がれます。それはとりもなおさず、聖霊様は、キリストの十字架と復活の救いを私たちに示されるということです。

イエス・キリストが甦られましたから、主にある私たちも同じように甦らされます。キリストが生きるので、私たちも生きるのです。死も罪も悪魔も、この方に勝つことはできませんでした。この救いの約束の故に、彼らは希望を持って、また忍耐を持って地上では旅人であることを言い表して、天に帰って行かれました。人生の後半戦を迎えた私たちも、先に召された先輩の兄弟姉妹に見習って、命の限り主に仕え、教会に仕え、兄弟姉妹に仕えてまいりましょう。上からの聖霊に満たされ、聖霊の助けをいただき、聖霊と共に歩んで行きたいと願っています。                     (岡田 久)

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