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舌の犯す罪 (ヤコブ3:1~12)

メッセージ

2015年11月22日富里キリスト教会

「舌の犯す罪」
(ヤコブ3:1~12)

1.舌の犯す過ち

「わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師が他の人たちよりも厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。」
(ヤコブ3:1~2)
ヤコブは当時の教会の指導者であり、リーダーであり、教師でした。幼い弟子達を、主の御言葉と行いをもって訓練し、教え諭していました。ヤコブは人一倍、律法を重んじていましたので、教師として、自分を律し言葉にも行いにも正しい生活をしていたに違いありません。彼は主イエスの弟子の中で、最初の殉教者になりました。殉教という厳しい境遇のなかで、信仰を持って生き抜いたヤコブでさえ、口の犯す罪、言葉の過ちを完全に制御することはできませんでした。

ユダヤ人がいかにこの言葉の過ち、舌の犯す罪について注意して生活していたかを箴言の中から見てみたいと思います。

「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。真実を語る唇はいつまでも確かなもの。うそをつく舌は一瞬。」(箴言12:18~19)

「自分の口を警戒する者は命を守る。いたずらに唇を開くものは滅びる。」
(箴言13:3)
「自分の口と舌を守る人は、苦難から自分の魂を守る。」(箴言21:23)

「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。・・・わたしは黙し、口を開きません。あなたが計らってくださるでしょう。」(詩編39:2、10)

ヤコブは「言葉は行いである」と言っています。ですからこそ、この言葉において、クリスチャンはもっと慎重になり、よい信仰の実を結ぶことが大切だと説いています。逆に信仰があると言っても、それが行いによって証しされなければその信仰は死んだも同然だと言っています。(ヤコブ2:26)ですからクリスチャンは、信仰の行いの第一歩である言葉において、過ちを犯すことのないようにと戒めています。1:26に「自分は信心深いものだと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の新人は無意味です。」と言っています。

2.舌は体の中心であり毒に満ちている

ヤコブはここで、人間の持っている舌の重要性とその破壊的な働きについて述べています。「馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。また、舟を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている舟も、かじ取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんな小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です。舌は『不義の世界』です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。」(ヤコブ3:3~8)

まず舌は小さな器官だということです。体の中では、ごくごく小さな部分です。しかも普段は隠れていて、表には出て来ません。表面には出て来ませんが、言葉を話すという重要な働きをしています。舌がなくては言葉を話すことができません。しかし、ここでヤコブは、舌についてこれでもかこれでもかというほどに、悪い働きをする張本人がと言わんばかりに舌の犯す罪と悪を羅列しています。

馬を制御するためには、くつわをはめて、暴れる馬をコントロールします。くつわの手綱をしっかりと締めることによって、あの大きな巨体をコントロールすることができます。また、どんな豪華客船でも、船尾についている舵によってその進路を定め、嵐に遭っても波を乗り越えて行くことができます。つまり小さな割には、体全体を動かすほどの大きな働きをするということです。ですから、この舌を制御できる人が自分の体を制御できる完全な人だと言っています。この舌の制御、コントロールがその人の人生を左右すると言っても過言ではありません。舌は心の内面と外の世界を繋ぐ大事な通路であり、ポイントです。なぜなら、そこから言葉が出て来るからです。

クリスチャンでありまして、この口から神を賛美する言葉も出て来るし、反対に時には人を呪ったり、悪口を言ったりすることが出て来ます。いわゆる二枚舌を使っていることはないですかと問いただしています。「私たちは舌で、父である主を賛美し、また舌で、神にかたどって造られた人を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。」(3:9~10)一つの舌でありながら、賛美と呪いが出て来るというのです。

イエス様もこう警告しています。「行っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」(マタイ12:36~37)私たちの地上で話した言葉が、全部天国の記録にファイルされ録音されているのです。その話した言葉について、テープを再生して最後にイエス様の前に立って弁明しなければなりません。

本当に舌はごくごく小さな器官ですが、その舌の発したたった一言で、その人の人生が大きく変わったり、社会が変わったりします。舌が発する言葉というものが、実は単に言葉ではなく、人間の行い行動でもあるということをヤコブは言っているのではないでしょうか。ですからよくよく注意してこの舌の働きを監視し、舌をコントロールすることに全力を注ぎなさいと言っています。舌を制御するのが、クリスチャンのなすべき第一の行いですと言っているような気がします。でもそうは言っても、舌を制御できる人は一人もいないと言っています。それができる人こそ聖なる完全な人です。

3.どうしたら舌をコントロールできるのか

そうです。生まれたままの舌では、悪事千里を走る舌です。でも、その舌が、御言葉の水によって洗い聖められるならば、その舌は人を生かす新しい聖なる舌となるのです。舌の字の左側に、水を表す「さんずい」がつくとどうなりますか。そうです。生活の「活」、つまり活き活きとした舌、人に命を与え、人を活かす舌になるのです。また舌の左側に、キリストを表す「言=ロゴス=キリスト」という字が入るとどうなりますか。そうです。「話す」という字になります。ですから、わたし達の舌は、そのままではなく、常に御言葉の水で洗い聖められなければなりません。そしていつも舌のそばに「言」なるイエス・キリスト様がいて見張ってくださらなければ「活きた舌」となって、人に命を与える話をすることはできないのです。端的に言って「人間は舌だ」(ローマ3:13~16)と言っても差し支えありません。私たちはその舌を持って、毎日生活しています。自分のこの口の中には恐ろしい不義の器官があるということを知る必要があります。口にチャックするだけでは収まりません。どうしたらいいでしょうか。ヤコブはこの手紙の中で三つのことを教えています。

A)御言葉を聞き、受け入れ、行う
(ヤコブ1:18~27)

まず第一に、私たちは神の生ける御言葉によって生まれました。ですから常にこの御言葉を聞くことに早くあることです。口と舌で話すことよりも、まず最優先のことはみ言葉に聞くということです。舌の隣に常に「さんずい=御言葉」を置くとうことです。そして心の中の汚れや悪を捨て去って、御言葉を心の中に受け入れ、この御言葉を行う人間になることです。聞くだけの偽のクリスチャンになってはいけないと言いました。そして、この御言葉を昼も夜も毎日毎日、一心に見つめてこれを守り行うことです。

「しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。」(ヤコブ1:25)

B)神に服従し、心を聖める(4:5~10)

次に、そして自分の心と手を聖めなさいと言っています。信仰生活の中で、いろんな試練や誘惑に会います。言葉の失敗で苦しみに出会うことがあるかもしれません。そういう時には、むしろのそのような苦しみを避けるのではなく、その苦しみを十分に受け止めて体験することによって、自分の心の中の罪や汚れを聖めていただきなさいと勧めています。試練や苦難を経なければ、本当に神に従い、神に服従するという聖い生き方に進むことができません。

「罪人たち、手を聖めなさい。心の定まらない者たち、心を聖めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを憂いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたを高めてくださいます。」
(4:8~10)

C)罪の告白の祈り(5:13~16)

三番目に、たとえ私たちが罪に陥ってしまっていても、その苦しみと悲しみの中で主に顔を上げて祈るときに、主は答えて下さるのです。特に教会の役員、長老、牧師の祈りには大きな力があります。そういう人々の前で自分の罪を告白して、罪の悔い改めを持って祈るならば、主はその罪を赦し、病もいやして下さるとあります。このことは本当です。神様は悔い改めないかたくなな心を砕くために、時には試練を与えられることもあります。

「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせて下さいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」(5:15~16)

この三つのことは事実です。皆さん、わたし達の舌をそのままにしておいてはいけません。私たちは、誰も自分の力ではこのわがままな舌の悪の力に勝つことはできません。御言葉の水を持って、常に洗い聖めていただきましょう。そして神を畏れ神に従い、神に近づくことによって自分の心の内側を聖めましょう。内側を清めない限り、その人の舌からは悪い言葉が出て来ます。なぜなら心に思うことが口から出て来るからです。そして心を聖めていただくために、お互いに自分の罪を告白し合って祈りましょう。  

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