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聖霊様の御臨在しておられる教会 (使徒言行録5:1~11)

メッセージ

2012年3月11日富里キリスト教会
聖霊様の御臨在しておられる教会」
(使徒言行録5:1~11)

1.献金をごまかした夫婦

「ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペテロは言った。『アナ二ア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。」(使徒言行録5:1~6)

このアナニア夫妻は、夫婦で相談して教会に献金するために土地を売却しました。そこまでは良かったのです。しかし、その売った代金のお金が惜しくなりました。代金の一部か、あるいは半分を自分たちの手元に残して、あたかも全部のお金を捧げたようにして献金したのです。聖書には「代金をごまかした」と書かれてあります。

しかし、教会には聖霊様が御臨在され、信徒一人一人の心の中におられます。私たちは皆聖霊によってイエスを信じました。聖霊が心の中に入っていない人は未信者の方だけです。この聖霊様が秘密のこともごまかしも全てご存じであられ、それを明らかにされます。私の内におられる聖霊様も、皆さんの内におられる聖霊様も一つですから、聖霊様を通して私たちは心がつながっています。皆さんの中の聖霊様が、私に語りかけ、わたしの中の聖霊様が皆さんに語りかけるのです。アナニアは、まさかペトロがこのごまかしを知るはずはないとたかをくくっていました。しかし、ペトロは聖霊によってこのことを知り、聖霊によってアナニアに警告したのです。

私たちの献金は、自由な献金です。感謝と喜びの献金です。人と比較したり、自分の立身出世のために捧げるものではありません。見せびらかして、よく思われようとして捧げるものではありません。パウロは献金についてこういっています。「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛して下さるからです。」(Ⅱコリント9:7)と。献金は無理に、また強制的にするものではありません。喜んで、自分で決めたとおりに捧げるものです。十一献金をする人は喜んで捧げる。各自が自分の心で決めたとおりに、神様に向かって捧げるものです。

2.聖霊を欺いてはいけない

でも、教会の場合は、額が問題なのではなく、捧げる人の心です。聖霊なる神様は、その人の心をご覧になられます。イエス様がある時、神殿の前で人々の献金をする様子を見ていました。お金持ちの人はだれの目から見ても解るように、高額の献金をしていました。でも、一人の貧しいやもめ、寡婦の婦人は、2レプタ(=200円)しか捧げることができませんでした。でもその後で、イエス様は弟子たちにこう言いました。「この貧しいやもめは、誰よりもたくさん入れた。みんなは有り余る中から入れたが、この女は乏しい中から、自分の持っている者すべて、生活費の全部を入れたのです。」(マルコ12:41~42)と。彼女は自分の身を削る思いで捧げました。神様は心を見られます。

ここで、このアナニア、サフィラ夫婦の一番の問題点は何かと言いますと、「サタンに心を奪われてしまった」ということです。そして、それはとりもなおさず、「聖霊を欺いた」ことであり、「神を欺いた」ということです。さらに、妻にサフィラは「主の霊を試した」とペテロに指摘されています。彼らは、ペトロに対して嘘をつき、教会に対してごまかしたのではなく、自分たちから進んで、神に対して偽り、神をごまかし、神を試したのです。つまり、この夫婦は、自分の心の中に神に対する一片の恐れや良心の呵責もなく、神を欺く行為を最後まで堂々と行ったということです。完全にサタンに心を奪われてしまいました。聖霊様を排除してしまったのです。

5:4に「売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりに成ったのではないか。」と言っています。つまりペトロは、こう言っています。「誰も、自分の土地を売れ売れと言っていないし、また、売っても献金しなくてもいいんだよ、そのお金はあなたがたのものであり自由に使ってもいいし、蓄えてもいいんですよ。なのに、どうして夫婦そろって、嘘をついてまで全額を捧げたというのか。これは神に対する大きな挑戦であり、神を欺いたことであることを知りなさい。」と責めたのです。これはペトロの言葉ではなく、ペトロを通して聖霊様が語った言葉です。

この聖霊様の存在を無視し、この聖霊様に対して嘘をつき偽ってはいけません。「聖霊を冒瀆する者は、この世でも後の世でも、永遠に赦されない。」(マタイ12:32、マルコ3:29)とイエス様も厳しく戒めています。また、パウロも「これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなた方の内に与えて下さる神を拒むことになるのです。」(Ⅰテサロニケ4:8)と。これは非常に厳しい言葉であります。私達も、この聖霊様の御臨在をおろそかにしてはいけませんし、このお方を欺いては取り返しがつかなくなります。

この夫婦の隠された陰謀が、こんなに明らかにされて裁かれたということは、それだけ、当時の教会が主の霊によって一体となっていたということです。教会が聖霊に満たされ、聖さと一致を保っていますと、サタンの闇の業が露わにされて裁かれるということです。この夫婦の結末は、本当に悲しい結果になりましたが、私たちも肝に命じる必要があると思います。

3.神への畏れ

この事件の後、「教会全体が恐れた」とあります。決して「神様は怖いお方だ」、「ペトロは何と愛のない冷たい人だろう、自分が神様みたいになっている」と言って使徒たちを非難する者が出ませんでした。ふつうでしたら、アナニアを支持する人たちが、ぺトロたちに反発をしそうな場面です。そして、教会が二つに分裂しかねないところですが、二人の死という厳しい現実の前に信徒たちは神を恐れました。そして、逆に、この事件をきっかけにして教会はますます神を畏れ、一致を強め、力強く主を証して行ったのです。

私達も、今も私たちの間に生きておられる聖霊様を覚えつつ、心から熱心に罪を悔い改め、聖い心で感謝と賛美を持って歩んでまいりましょう。聖霊様が今も私たちと共にいてくださいます。ここにおられます。私たちの心におられます。目に見えない聖霊様の働きを無視したり、聖霊様を悲しませたり、聖霊様を欺いたりしないように心したいものです。そして聖霊様によって祈りましょう。                        (岡田 久)

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