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聖霊による信仰生活 (使徒言行録2:37~47)

メッセージ

2014年6月15日富里キリスト教会

「聖霊による信仰生活」
(使徒言行録2:37~47)

1.悔い改めなさい

まず、第一に、どうしたら聖霊様を受けることができるかということです。先週も話しましたが、まず聖霊というお方の存在を認め、このお方を知りたい、見たいと願うことから始まるということを話しました。それは、この聖霊様についてクリスチャンでありましても無関心、無知な人が多いからです。「霊なんか存在するのですか?」と聞く人さえいます。もちろん、幽霊とかオカルトとか占いといったたぐいの霊ではなく、本当に聖なる神の霊が存在するのです。

そして、聖霊に満たされる生活とは、方向転換した生活だと言ってもいいかと思います。今までは、お先真っ暗の生活、自分の力や自分の考えでがむしゃらに生きて来た人生です。自分で頑張ってはいても、神無しの人生は、行き着く先は真っ暗やみ、死と恐怖以外の何物でもありません。一寸先は闇の人生です。でも、聖霊によって歩む生き方は、先が輝いている生活です。一寸先は光の生活です。信仰生活とは、この闇から光へ方向転換した生き方です。イエス・キリストの十字架にと復活によって、闇から光への道が開かれたのです。それは、イエス・キリストが罪と死と悪魔に勝利したからです。

神様の目から見たら、みんな罪人です。大小の違いはあれ、違反も事故も犯しています。他にも罪といわれる悪いことはいっぱいしています。問題はそれを隠そうとしてその場から逃げようとするか、観念して降伏するかのどちらかです。警察の目からは、世間の目からは身を隠すことは出来るかもしれません。でも神様の目からは、誰も身を隠すことは出来ません。この神様に背を向けて生きていることが、罪なのです。そして信仰とはこのお方の方に振り返ることです。180℃の方向転換です。これを「悔い改める」と言います。メタノイア、「メタ」は変える。「ノイア」は心です。そして、イエス・キリストに繋がりなさい。これがバプテスマです。

わたしの罪や事故や失敗をすべて御存じあられ、それを赦し、帳消しにして下さるお方がいるということ。そしてその方を知っているという人が、信仰者、クリスチャンなのです。イエス様のところに行けばいい。そこに逃げ込めばいい。わたしの罪の罰を身代わりに受けて下さり、私たちの罪や事故の失敗の一切の罰を帳消しにして下さった方がいるのです。わたしの代わりに行政処分も刑事処分も受けて下さり、慰謝料を払って下さり、刑罰も受けて下さったのです。そして、ご自分の受けた罰を通して、わたしたちを無罪放免にして下さった方がおられるのです。それが、イエス・キリスト様なのです。わたしの身代わりになって下さる強力な弁護士です。

信仰というのは、この最高の弁護者を知っているということです。いつでもこの方のもとに、助けを求めて電話をすることができるということです。たとえ、バプテスマを受けた後でも、また罪を犯すことがあります。事故も罪も常に付きまとっています。でも、その弁護者、贖い主である方を知っていますから、もう逃げる必要はありません。すぐにこの方に電話をして、自分の事故の報告をすればいいのです。そうすれば、また罪を赦して下さいます。永遠にです。

「悔い改め」とは、自分が、自分が、という自分中心の罪から目を放して、救い主であるイエス・キリストに目を向けるということです。いつもこのお方を目の前にして、見上げますということです。信仰生活の始まりです。その時に、私たちは聖霊様を受けることができます。聖霊と共に歩む人生です。聖霊様がいつも私たちの罪を教え、警告して下さいます。絶えず悔い改めるようにして下さいます。

2.信仰者の生活

ここに、当時のそして今の私たちの信仰生活の有様が記されております。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
(2:42)とあります。また「不思議な業としるしが起こった。」とあります。信仰生活の大切な五つの要素が、ここに書かれております。

まず「使徒の教え」です。それはこの聖書に記されている、十二使徒たちの教えです。つまり、救われた者は、使徒の教えであるこの聖書の教えを学ぶことを第一の使命としました。今日の礼拝の中でも、宣教にさく時間は礼拝の大部分を占めております。また、今週から水曜祈祷会では、「キリスト教入門講座」が始まります。先週までは、創世記の学びをしておりました。ちょうどアブラハムの物語が始まる12章まで来ましたので、いったん「創世記」の聖書研究を中断して、初めての人にも解りやすいキリスト教の教えを聖書から学んでゆくことにしております。

そして二番目が「相互の交わり」です。三番目が「パンを裂くこと」、四番目が「祈ること」です。そして五番目が「不思議な業としるし」です。この五番目は、おそらく病が癒されたり、悪霊が追い出されたり、いろんな奇跡の出来事が当時の群れの中で起こっていたと思います。そして、初期の教会のこのような出来事を周囲の人たちが見て、恐れの念が生じていました。祈りは聞かれていますから、私たちの信仰は隠しようがないのです。是非、皆さんの団地の方々のために祈ってください。マンションの方々のために祈ってください。祈りはその人々にも届いています。

これを十字架にあてはめますと、下の一番長い棒が「使徒の教え=WORD」、「相互の交わり=WELCOME」が右横棒、「パン裂き=WORSHIP」が縦の上の棒、「祈り=WORK」が左横棒となります。ちょうど十字架の、四本の棒ができます。これがバランスの取れた信仰者の生活の働きです。どれが少なくてもバランスの崩れた信仰生活になってしまいます。四つとも必要なのです。

3.教会の伝道

最後に、教会はどのようにして成長発展して行ったのか、どんな伝道をしていったのかを見てみたいと思います。3:46から読んでみましょう。「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(2:46~47)

「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」、とありますから、毎日、神殿、今で言いますと教会に行って礼拝をし、家に帰って来てからは家ごとですから、家族ごとに集まって主の晩餐式を行ったり、地域ごとに集まって一緒に食事をして、神様に賛美の祈りをささげたり、神をたたえる讃美歌を歌っておりました。当時の教会は、もちろん今日みたいに会堂はありませんから、ユダヤ教の会堂に行って礼拝をすることは出来ました。そして、自分たちは家々に集まってイエス様が残して下さった、キリスト教独自の儀式として「主の晩餐式」を守り、お互いに真心をもって食事をしながら交わりをもっておりました。財産や持ち物を共有するほどに、生活のすべてにおいて支え合った共同生活をしていたようです。

私たちも、教会の中だけでなく家々でも集まって、食事をしたり祈ったり讃美歌を歌ったりして集会をもっています。このように、「毎日」「ひたすら」「心を一つにする」ことによって、主にある兄弟姉妹の交わりが生まれ、さらなる主にある信仰の一致が与えられました。そして、教会の伝道の力はここにありました。もちろん、特別伝道集会をもったり、チラシを配ったりすることも大事ですが、何よりも信徒同士の一体感、そして信仰の喜びによる交わりがありました。また、何よりも神に対する賛美の声がいつも集会の中から湧きあがっていました。そして、神様は、そういう群れに対して、日々に仲間を増し加えて下さったのです。

私たちが、神様に向かって顔を上げて主を賛美することによって、救われる人が与えられてくるのです。主に向かって賛美の声をあげ、天に向かって主をほめたたえるならば、主御自身の方から救われる人を教会に送って下さるというのです。これが最初のそして今もなお続けられている、世に向かってなされる神様の伝道の方法ではないでしょうか。

ご近所の方々も、いつもきれいな讃美歌が教会から流れてくるとおっしゃっておられます。周りの方々は聞いているのです。私たちが喜んで集まって来て、心から主に向かってほめたたえていることを。この教会の周りの町内会の方だけではなく、皆さん方の団地のあるいはマンションの集会でも主に向かって賛美と感謝を奉げるならば、神様の方から救われる方を送って下さるのです。これがペンテコステの教会の姿です。聖霊様の満ちあふれる教会です。そのような教会になることを願っています。               (岡田 久)

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