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聖なる生活を送りなさい (ローマ6:15~23)

メッセージ

2013年6月23日富里キリスト教会

「聖なる生活を送りなさい」
(ローマ6:15~23)

1.クリスチャンの誤解

今日の聖書箇所は、ちょうど6章でバプテスマについて語った後の個所になっておりまして、バプテスマを受けた後に、私たちがどのようにして信仰生活を送って行ったらよいのかということについて語っております。ですから、ある意味ではバプテスマと同じくらい大切な個所だと言ってもいいかも知れません。

6:12から読んでみましょう。「従って、あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。また、あなたがたの五体を不義のために道具として罪に任せてはいけません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に捧げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは、律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。」(ローマ6:12~14)

誰でもバプテスマを受けて、クリスチャンになれば、自分を神様の道具として捧げたい。神様の道具として生きて行きたいと思います。これは、自分はもうバプテスマを受けたから、天国行きの切符は手に入れた、あとは安心して暮らそうといって、バプテスマを何か保険のようにして受けてしまった人に対する警告ですね。バプテスマは、天国への生命保険ではありません。確かに天国行きは保障されていますが、バプテスマはまだ手付金、頭金のようなものです。これからは、自分の罪に死んで、キリストの復活に似たような生き方をしなさいということです。新しい人生のスタート地点に立つということ、これがバプテスマです。

ある方が、反省を込めてこう言っていました。「私は幼い時に洗礼を受けました。洗礼さえ受ければ、天国への補償はいただけたし、これからの自分の人生は大丈夫だと思っていました。でも、そうではいけないんですね、むしろ洗礼を受けた後で、もっと聖書を読んだり、お祈りをしたりして、熱心に教会に繋がって行くことが必要だったのですね」と。自分の人生も、自分のからだも、自分の持ち物もすべて主に捧げて来て行くことが、バプテスマを受けた者の生き方です。自分自身を、自分の五体もすべて神に捧げて行くことです。これがバプテスマの目指すところです。キリストに対する徹底的な服従の人生です。

また、ある人はこう言いました。「私は若い時に教会でバプテスマを受けました。そしてクリスチャンになりました。これからはキリストに従った生き方をしようと考えました。そして、どうしたら自分がこの社会にあって人々に仕えて行けるかということに全力を注ぎました。何か社会活動をすること、隣人のために社会奉仕をすることが自分の人生の最大の目的だと考えていました。聖書や教会はもう卒業したのです。」と。

いかがでしょうか。以外とバプテスマを受けた時に、どなたも同じような考えを持つことはないでしょうか。確かに私たちはバプテスマを受ける前と受けた後では、違った生き方が求められます。悔い改めると言う、大きな人生の転換をしたわけですから。今までは罪の奴隷であったかも知れませんが、バプテスマを受けて、キリストの十字架と復活に結びついた私たちです。どのように生きて行ったらいいか、どうしたら、以前の生き方とは違う生き方、僕として神に従う生活、どうしたら罪に負けない聖い生活ができるかということが問われて来ます。

2.教えに従う生き方

16節から読んでみましょう。「知らないのですか。あなたがたは、誰かに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。」(6:16~18)

罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るかのどちらかです。人間にはこの二つの道のどちらかしかないと言うのです。そしてそのどちらかを選ぶことによって、その結果、その違いははっきりと出てくると言うのです。死に至るか、義に至るかです。ここでパウロは大事なことを言っています。神に仕えるとは何か、神の奴隷となる生き方とはどういう生き方かということです。17節に「あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになりました」と。まず、第一にすべきことは、教えの規範を受け入れそれに従うようになることだと言っています。そのことによって罪から解放され、義に仕えることができるようになるのです。それが神の僕としての生き方です。

「教えの規範」とは何でしょうか。英語の聖書ではForm of the Doctrine
またはStandard of Teachingとなっています。固い言葉で言いますと「教理の基準」と言う意味です。つまり、聖書とは何か、神とは何か、罪とは何か、救いとは何か、世の終わりはどうなるのか、聖霊とは何かとか言った聖書の教えの基本である教理を受け入れる、学ぶということです。そして、ただ単に受け入れるだけではなく、その教えに心から従うこと、これが信仰生活の最初の一歩であり、基本だと言っています。それを通して、罪から解放され、義に仕えるようになって行くのです。

バプテスマは、イエス・キリストにしっかりと接ぎ木されることであると言いました。まだ、イエス様の切り口と自分の切り口の導管がつながってもいないうちから、さあ、伝道しなさい、奉仕しなさい、祈りなさいといわれても土台無理な話です。その結果、確信がないのにかっこうだけの信仰、表面的なパーフォマンス的な信仰生活で自分を欺いて行ってしまうことがなかったでしょうか。もっと、グループでじっくりと聖書を読む時間を取るべきです。そういうクラスやグループが必要です。

毎日静聴の時間を取って、神様と交わる時間を取ることによって、また聖書を読むことによって、元の木であるイエス様から十分な養分と水分をいただいて、イエス様にしっかりと結びついて行くが大切です。そういうような訓練がなければ、聖書の教えの基準も教理も何も解らず、地に足がつかない、ふわふわした信仰生活を送ってしまいます。

どうしたらイエス様の御言葉を食べることができるのか、また御言葉を自分にあてはめるにはどうしたらいいだろうか、ということを念頭に置いて聖書を読む時に、初めて、御言葉の光が啓かれて聖書が解って来るのではないでしょうか。それが「教えの規範を心に受け入れて、その教えに従う生き方」ではないかと思います。そのことによって罪から解放され、クリスチャンに迫ってくる罪の誘惑や攻撃から心を守り、神の僕として仕えるとこができるように整えられてくるのではないかと思います。その行き着く先が天国なのです。永遠の命なのです。(6:22~23)

3.天国に至る、聖なる生活を目指して

22節から読んでみます。「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主イエス・キリストによる永遠の命なのです。」(6:22~23)

あなたがたは罪から解放されて、聖なる生活の実を結んでいますとパウロは言っています。また、19節にも「今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。」と言っています。聖なる生活を送ることです。みんなそうなりたいと願っています。では、聖なる生活とはどんな生活でしょうか。それは、先ほども申しましたが、神の御言葉の教えを受け入れて、それに心から従う生活です。そのためにもまず、一体神様は私たちに何を望んでおられるのかを知らなければなりません。それは御言葉から来ます。聖書から来ます。信仰は聞くこと、キリストの言葉を聞くことに始まるとあります。

聖なる生活の「聖」と言う言葉に注目してみましょう。「聖」とは何か。善行をすること、施しをすること、聖らかな雰囲気を漂わせることでしょうか。聖の真の意味は、この聖という漢字が示しています。つまり、耳で、神の御言葉を聞き、自分の心の中にイエス・キリストしかも十字架のキリストを受け入れることです。そしてこの方が自分の王となってもらうこと、そして自分がこの王なるイエス様の奴隷となることです。その結果、自分の口で神に向かって祈ることができます。いつも神に尋ねながら、行動することです。これが義の奴隷と言う意味です。

人間とは、このようにして神様と交わり、神様の聖さにあずかることのできるものなのです。この神様の神聖さにあずかる者として造られたのです。本来、人間とはそういう存在なのです。神の前に立ち、神の御心に従うようにと造られたのです。そのような生活を送りなさいと、パウロは勧めています。私たちの人生の主人はイエス様です。このお方にすべてを明け渡して、従い続ける生活、これが聖なる生活です。御言葉と祈りの生活です。そのことによって、わたしたちは、罪から解放され、やがて天国へと向かうことができるのです。バプテスマの時にすでに、この永遠の命の約束はいただきました。この永遠の命であるイエス様を絶対に離さず、しっかりと心に納め、聖なる生活を目指して、天国への道を歩んで行きましょう。             (岡田 久)

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