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耳を開いてもらった男 (マルコ7:31~37)

メッセージ
2018年2月11日富里キリスト教会

「耳を開いてもらった男」
(マルコ7:31~37)

1.イエスの五つの癒しの動作

「それからまた、イエスはテイルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは『開け』と言う意味である。」
(マルコ7:31~34)

でも主イエスは手を置くのではなく、5つの動作をもって、その人の耳を開かれ、話すことができるようにしてくださいました。一つ目は「群衆の中から連れ出した」と言うことです。二番目は「指を両耳に差し入れました」。そして三番目に「唾をつけてその人の舌に触れました。」四番目は「天を仰いで深く息をしました。」そして最後に『エッファタ』と言って耳を開いてくださったのです。

There are five procedures for this deaf and mute man to heal. The first is to take him aside away from the crowd. The second is to put Jesus’s fingers into man’s ears. The third is to spit and touch the man’s tongue. The forth is to look up to heaven. The fifth is to say “Ephphatha!”.

1)群衆の中から連れ出す

本当の意味で、耳が聞こえるようになるためには、人込みや群衆の中にいては聞こえるものも聞こえてきません。群衆から引き離して、本人を孤立させることが必要です。自分で群衆の中から出てこられないのであれば、イエス様がわざわざ手を引いて群衆から遠ざけてくださることも必要なのではないでしょうか。

5章でも、女性特有の出血の病を12年間も患っていた婦人が、こっそりイエス様の衣の裾に触っていやされました。イエス様は自分から力が出て行ったのを感じて、だれが触ったのかと言って後ろを振り向かれました。しかし、その女性は公衆の面前で癒されたことを告白することをためらって、群衆の中に隠れてじっとしていました。しかし、とうとうこらえきれなくなって、群衆から離れて一人主の前に立ちました。その時初めて主は、彼女の信仰をご覧になって病の癒しと救いを宣言してくださいました。(マルコ5:25~34)

群衆に隠れている限り、その人の罪は赦されません。群衆の中に身を隠して、良いとこ取りをしようとしていても、そのことを主はご存知です。自分を隠すということは罪です。神に背を向けているのです。群衆は隠れ蓑です。そうではなく、まず自分を主の前に立たせることです。すべてを主の前に、そしてまた群衆の前に告白することです。

これがいやしと救いの第一歩なのです。信仰の第一歩です。いやされたい人、救われたい人はまず主の前に出ることです。イエス様はこの耳が聞こえない人が、いやされ、きちんと聞こえるようになるために、あえて彼を群衆から引き離されました。人はなかなか群衆から離れたくないのです。怖いからです。一人になるよりは、みんなの中に自分を隠していた方が安全なのです。でもそれでは、聞こえない耳はいやされません。群衆から離れて主の前に、孤独と恐れをもって立つときに、その人の耳が開かれるのです。そのために主は、あえて、その人を一人にさせるようとしたのです。

Those who want to be healed should step out behind the crowd. But
It is very difficult to stand before God. Many people would like to hide themselves into the crowd. So Jesus dare to take him aside and pull him out the crowd. This is the first step to be healed.

2)指を両耳に差し入れる

次に主がしたことは、その人の耳に指を差し入れました。不思議な行動です。かえって聞こえなくなるではありませんか。これはどういうことでしょうか。おそらく、今まで群衆の語っていた情報や言葉をここでシャットアウトしたのではないでしょうか。今は、テレビやインターネットを通じてありとあらゆる情報が目と耳から入ってきます。恐らく何もない世界に行ったら、現代人はパニックになってしまうのではないでしょうか。若者は、自分の手からスマホを話すことができないと言われています。私も最近そういう傾向になりつつあります。

でもイエス様はそういうこの世のコマーシャルやフェイクニュースに支配されないように、私たちの耳を一旦停止させようとしたのではないでしょうか。人間の耳を支配する者がその人の主人です。ですからイエス様は、あらゆる情報から、私たちを一旦断ち切って、イエス様のご支配の中に置こうとされたのではないかと思います。イエス様の指はイヤホンのようなものです。イエスに集中することです。外部の音を完全にシャットアウトして、内なる声に耳を向けることです。

旧約聖書のモーセの時代の奴隷は、解放されても自分が今までの主人のもとで奴隷として一生働きたいという場合には、奴隷の耳を錐で刺し通すことによって、生涯奴隷として使えることが許されたといわれています。(出エジプト記21:5~6)つまりイエス様が、その人の耳に指を差し入れたということは、イエス様のみ言葉が直接本人に伝わるために、差し入れたのではないでしょうか。つまり、あなたはこれから、この社会の情報に従って生きるのではなく、わたしの情報、わたしの言葉に従って生きなさいということを示されたのではないかと思います。イエス・キリストが、その人の情報源であり主人であることを示されたのではないと思います。

The second procedure to be healed is to put His fingers into the man’s ears. This is the important way to interrupt from many information of this world. Jesus intercept the information and let one
information of Jesus into his ear like an earphone. We should hear the inner voice in silence. It may suggest that we should keep a devotional time in every day.

3)唾をつけて舌に触れた

そして三番目に、御自分のつばを指に着けてこの男の人の舌に触れられました。これは何を意味しているでしょうか。昔、子供時に、転んでひざをすりもいたりしたときには、応急的に唾を傷口に着けて手当てをしたものです。唾にはどこか消毒効果と傷を治す力があると思っていたのでしょう。もし唾が消毒効果があり、傷をいやす働きをするのであれば、この男の罪は何だったのでしょうか。それは彼の言葉ではなかったかと思います。舌は悪に走り、悪に染まっています。その汚れた舌をイエス様はつばで清められたのです。

新しく生まれ変わったものは、自分の今まで犯してきた舌の罪を清めていただくのです。そして新しい舌、聖霊で清められた舌をいただくのです。イザヤも、預言者としての召命を受けたときに、セラフィムが祭壇から火箸で炭火を取ってきて、イザヤの口に付けました。(イザヤ書6:6~7)口の汚れを火で清めたのです。そして炭火であなたの罪は清められたので、これからは新しい言葉を語るということを宣言されました。

また主イエスの弟子たちが集まっているときに、大きな風と共に、燃える舌のような炎が弟子たちの上に留まりました。これは炎で清められた新しい舌をもって、これから神の言葉を語ることを暗示した出来事です。(使徒言行録2:3)
つまり主イエスがこの男の舌にご自分のつばをつけられたということは、主が彼の今まで犯した罪をことごとく赦し、清め、彼に新しい清められた舌を与えるということを意味しております。これから神の言葉を語るものとされたということです。

Third procedure is to clean our dirty tongue with His spit. Human tongue has committed many sins and always dirty. We used to put our pit on the wound. Pit has a cleansing power to our dirty tongue. Jesus
prepared for him to speak god’s word pitting and touching his tongue.

4)天を仰いで深い息をされた

このようにして群衆から引き離し、耳に指を差し込んで、舌にご自分のつばを塗って、いよいよ準備が整いました。そして4番目に、天を仰いで深い息をされ、言葉を発する準備をされたのです。この天を仰ぐということは、天におられるお父様に向かって祈りの声を捧げたということです。イエス様は、ほかの個所でも奇跡を起こされるときには、必ず天を仰いでいます。そして讃美の祈りを捧げてから、奇跡の業を行っています。

ですからここでも、この耳の聞こえない人の耳を開いてあげるためには、神様の力、神様のみ心を求め、主ご自身の信仰をもって癒されたのです。何事もまず天を仰ぐことです。「よおし、私は一つ大きな力を示して、この人の耳を開いてあげよう。」と言うことでは決してありませんでした。どんな時でも、まず天におられる神様に向かって祈りを捧げられたのです。

しかも、その祈りは簡単な祈りではありませんでした。心を尽くして真剣に天に向かって祈るのですから、力がこもります。ですからここでは深いため息となっていますが、全身全霊を尽くして父なる神様に願い求めたのであります。「深く息をつく」を、英語ではgroanと言う言葉が使われていますので、いわばうめくとか苦しむという意味です。あのゲッセマネの園で、血の汗を流しながら祈った祈りではないでしょうか。天を仰いで、必死にお父様に向かって祈りを捧げられました。

Jesus looked up to heaven and with a deep sigh and said to him “Ephphatha” which means be opened. At this the man’s ears were opened , his tongue was loosened and he began to speak plainly.
Jesus did not do this miracle by his own power. He asked to heavenly Father to heal this man and prayed to Father with his deep sigh groaning. So we also have to pray earnestly with the faith in God.

Through the word of Jesus “Ephphatha”, his ears were opened and his tongue was loosened and he began to speak clearly. Those who were opened ears can speak, though those who were covered ears cannot speak. First of all we should be opened our ears by Jesus.
Only Jesus can open our ears and make us speak the work of Jesus.
So we should go to Jesus and ask Him to open my ears. It is Jesus that can open our ears. Ask to Him to open and pray to Him looking up to heaven. Ask to Holy Spirit to open our ears.

5)エッファタ

そして最後に、耳の聞こえない男に向かって「エッファタ!」と言われました。これはアラム語ですが、「開けよ!」と言う意味です。イエス様は、このみ言葉をもって耳の聞こえない男の耳を開いてくださいました。これはどういうことかと言いますと、イエス様だけが私たちの耳を開いてくださるということです。イエス様が「開かれよ」と言わない限り、私たちの耳はふさがれたままのです。耳が塞がれていますから、当然話すこともできません。耳と口はつながっています。そして耳が開かれると、すぐに口も開かれます。

耳が開かれたかどうかは、その人が神のみ言葉を語るようになったかどうかで分かります。誰も自分の耳を開いていただかなければ、み言葉を語ることはできません。耳が開かれなければ、私たちは語ることができません。つまり耳が開かれるということは、イエス様のみ言葉が解かるということです。解かる人は語らずにはいられなくなるのです。

私も本当にクリスチャンになってから、正直言いまして、み言葉がなかなかわかりませんでした。ですから誰にも聖書の話をすることも、証をすることもできませんでした。そして一生懸命勉強しました。言語のギリシャ語でも読んでみました。それでもなかなか、聖書はなかなか解かりませんでした。いや、わたしの耳が開かれていなかったのです。でもイエス様の憐れみによって、ようやく耳を開いていただきました。

それは、人ひとりいない田舎の小さな町で、聖書を仲間と一緒に夜、読みあうということを通してです。何もない山の中で、一人孤独の中で、数人の仲間と一緒に、こたつを囲んで聖書のみ言葉を真剣に読み続けました。そういう中で神様がある晩、わたしの耳と目を開いてくださったのです。神のみ言葉として聖書の言葉を聞くことができるようになりました。そして語らずにはいられなくなったのです。口を押さえても聖書の言葉が出てくるのです。

2.耳の開かれた人

「するとたちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。」(7:35)とあります。耳が開かれると、舌のもつれがほどけ、はっきりと話すことができるようになります。これは何も、この人が医学的に話せるようになったということを言っているのではありません。霊の言葉、福音を語ることができるようになったということです。そして話せるようになったというのは、会話ができるようになったというのではなく、そういう肉体的、医学的な癒しのことを言っているのではありません。霊的な癒しのことを言っているのです。

つまり話せるようになったということは、福音を語ることができるようになったということなのです。誰でも、耳が開かれると話せるようになるのです。つまりはっきりと救いについて、神の福音について語ることができるようになるのです。新しい言葉を語るのです。今までのようなうわさ話や世間話ではなく、神の言葉を語るようになるのです。

The people who were opened their ears by Jesus Christ can speak the work of Jesus. Nobody speak the word of God without being opened by Jesus. Bible does not speak the medical or physical healing of a deaf
man, bible tells us the spiritual healing. Now the word of God is flowing all over the world. We can hear the word of God in anywhere and anytime. But many information of all the world overwhelmed us to interrupt our ears not to hear the God’s word. We have to be alone before God and cover our ears with God’s fingers. We should listen to God in the silence. Our privilege is that ears have been opened by God. ”But you have pierced my ears”(psalm 40:6)

神様のみ言葉は今も全世界に満ち溢れています。音を立てて囂々と流れております、耳には聞こえませんが、大きな轟音を立てて全世界を覆っています。ではなぜ、その音が、神の声が聞こえないのでしょうか。なぜ私たちにその音が聞こえないのでしょうか。それは、私たちが群集に埋没しているからです。人々の交わりや親せきや家族のことで忙しくしたり、仕事や家事や冠婚葬祭で忙しくしているからではないでしょうか。

それらの雑音をシャットアウトしなければなりません。そして自分の言葉の罪を主に清めていただく必要があります。群衆を離れ、日常を離れて、一人主の御前にたって、イエス様に耳に指を差し込んでもらって、じかにイエス様のみ声を聞くことです。耳の主人であるイエス様にのみ従おうとすることです。イエス様を真に自分の主人とすることです。そうすることによってはじめて、霊的な耳が開かれるのではないでしょうか。イエス様以外に、私たちの耳を開いてくださる方は他にいません。

「あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず、焼き尽くす供え物も、罪の大小の供え物も求めず、ただ私の耳を開いてくださいました。」(詩編40:7)と言うみ言葉にありますように、人生で大事なことはただ一つ、イエス様に自分の耳を開いていただくことなのです。イザヤこう言っています。「主なる神は、弟子としての舌を与え、疲れた人を励ますように、言葉を呼び覚ましてくださる。朝毎に私の耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。主なる神はわたしの耳を開かれた。」(イザヤ50:4)

耳を開いてくださるのはイエス様です。自分ではできません。それは主の前に立ち、「主よ、わたしに耳を開いてください。」と祈ることによってしか開かれないのです。み言葉は今全世界に鳴り轟いています。あとはこちらで、それにチャンネルを合わせるだけです。それはまた教会の祈りでもあります。主よ私の耳を開いてください、聖霊様が語るみ言葉を聞かせて下さいと祈りましょう。

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