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罪と律法

メッセージ

2009年8月23日富里教会
           「罪と律法
              (マタイ19:16〜22)

1. はじめに

主の御名を讃美します。
先週、木曜日、金曜日とはじめての教会の修養会を、東急ホテルで開催することができましたことを感謝します。初めての試みということでしたが、私もどんな修養会になるのかなと思っていました。でも、山崎兄の御配慮で、プログラムも会場も祝福され、ゆったりと恵まれた時を過ごすことができました。

そして、何よりも参加された方々の今までの人生と、その人となりに触れることができました。また参加者の、率直であるがままの人生を披瀝していただきました。失敗の人生、中途半端な人生、暗く辛かった人生、そういう中でも神様の恵みと助けによって、今日あるを得ているという幸いを共に分かち合うことができました。心の覆いといいますか、胸襟を開いて、あるがままの自分を語り合うことができたのではないかと思います。特に、参加者された方には、自分の人生について原稿に書いてもらったようですが、原稿に書かなかった、いや書けなかった部分にそれぞれの本音が出ていたような気がしました。

2. 青年の矜持

先の郵政選挙で当選した議員が、小泉元首相を訪ねて行って「今回の衆議院選挙は危ないです。」と訴えた所、小泉さん曰く、「人生いろいろ、総理もいろいろ」と答えたそうです。いろんな人生が人それぞれにはあるということです。今回の修養会でも、私自身、若いときはがむしゃらに頑張ってきましたけれど、60歳を過ぎてからは、静かに自分の人生を振り返ってみて、残された生涯をどう生きるかということを考えてみるよい機会になりました。

ある方が、クリスチャンになったらお酒が飲めなくなるのではないか、ということで、なかなか信仰の決心ができなかったと証をしておられました。確かにそうです。クリスチャンになったら、酒、タバコ、ギャンブル、夜遊びができなくなる、この世の生活と縁を切らなければならないと思うと、入信の決断がにぶります。でも今朝は、この世の罪、穢れ、悪ときっぱりと縁を切って、信仰の道に入ろうとした一人の青年のお話をしたいと思います。

「さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。『先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。』イエスは言われた。『なぜ善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はお一人である。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。』男が『どの掟ですか』と尋ねると、イエスは言われた。『「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。」』そこで、この青年は言った。『そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。』イエスは言われた。『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。」               (マタイ19:16〜22)    

ここに「一人の男」とありますが、あとを読むと、この人は青年でした。また沢山の財産を持ったお金持ちでもありました。しかも、彼は自分のほうからイエス様に近づいて行って、「永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればいいのか」と尋ねています。そしてイエス様が、ユダヤ人の掟である律法を守りなさい、と言いましたら、すかさず、「そういうことはみな守ってきました。他に何か足りないものがあるでしょうか。」と答えています。

まさに、完璧な人生を送って来た人、しかも品行方正で神様の戒めをしっかり守り、年も若く、財産もあったわけです。今で言いますと、大企業の御曹司で東大を出て、しかも品行方正、誰もが完全な人間だと思うほどでした。しかも、宗教的にも道徳的にもしっかりしていて、真面目で熱心です。(今度の衆議院議員の候補者には、うってつけのような青年でした。)酒もタバコも一切口にしたことがない、ポルノ映画も本も見ない、親の面倒をみて、家族を支え仕事も熱心にしてきました。まさに完璧な人生を送っていた青年でした。

彼は自信がありました。自分こそ、永遠の命を受けて、誰よりも先に天国に入るにふさわしい人間だと思っていたのです。ですから、自分のほうからイエスの方に近づいて行きました。イエス様にこういうアプローチする人は珍しいです。よっぽど自信があったのでしょう。イエス様が、十戒の後半部分の「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、隣人を自分のように愛しなさいという掟を守っているか」と尋ねたら、「そういうことは、子供の頃からみな守ってきました。あと何が足りませんか?」と問い返しています。

誰でも彼の素性や生き方をみて納得します。彼なら、間違いなく永遠の命をいただける、もう立派な非の打ちようのない人物だと思います。ここに青年の矜持があるような気がします。熱心だ、潔癖だ、求道心もあるし努力家だと思います。ある牧師が、これが青年の信仰の特徴です、といわれたのを覚えています。でも、先日の修養会では残念ながらこんな熱心な求道心のある証はあまり聞くことができませんでした。お酒が飲めなくなるから信仰の道に入れない、とか後悔の人生、中途半端な人生、人間不信の人生、暗い人生、みんなそういう負の人生の持ち主でした。

でも、よく考えてみますと、この青年の生き方の中に、大きな落とし穴、人間の罪の姿が潜んでいるのに彼は気がつきませんでした。一つは、「自分のほうからイエス様に近づいて行ったということです。」二つ目は、救いの条件に「どんな善いことをすればいいのか」と尋ねていますので、彼は善いことをすれば救われると信じていました。三つ目は「自分はそういう戒めは守って来た、完全な人間だ、天国にふさわしい人間であり、他にまだ何か足りないことなどあるはずがない」と自信を持っていました。特に彼は十戒の後半部分、隣人についての戒めをしっかりと守っていると信じていました。いつの間にか、自分自身が神になっていること、自分こそ完全な人間だと思っていました。ここに彼の根本的な過ち、罪があったのです。

3. 善い方は唯一人

愛のイエス様は彼の間違いを十分に知っていましたが、彼を厳しくとがめることをせず、この富める青年が、自分で悟ることができるように、こう言いました。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい。」(21節)そうしましたら、この青年の顔が突然曇って、あの生き生きとした元気な顔が、見る見る青ざめ、悲しい寂しそうな顔に変っていったのです。そして、先ほどの勢いはどこに行ったのか、ガックリと肩を落としてイエス様の前を立ち去って行きました。聖書には、「たくさんの財産を持っていたからである。」(22節)とあります。

そうです。彼はあんなに熱心に求道し、精進し救いを求めていました。でも、大金持ちだったのです。そして、イエス様に「その財産を売り払い、貧しい人々に施しなさい」と言われた時、それができない自分の本当の姿に気づいたのでした。今までは何の不自由もなく親の財産を相続し、大切な財産を管理して来た。それを、貧しい人に施すなんて、自分には到底できないと思ったのでした。「隣人を自分のように愛している」と豪語したその舌の根も乾かないうちに、彼は自分が隣人を愛していなかったこと、これまで、びた一文も貧しい人々に施してこなかった自分に気づかされました。

この富める青年の本質的な問題は、何だったのでしょうか。それは、一番最初に出ております、「永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればいいのでしょうか?」という問いかけです。彼は、永遠の命を得るためには、何か善いこと、善行を積めば天国に入れると思っていました。でもイエス様はその時、「なぜ、善いことについて聞くのか、大事なことは善いことをすることではなく、善い方であるイエス・キリストを信じることなんだ」ということを教えたかったのです。大切なことは、永遠の命に預かるためには、善いことをすることではなく、善い方が大事なのです。善い方は、このイエス・キリストをおいて他にありません。でも、彼はいつの間にか、よい人は唯一自分自身であると豪語し、自分を神にしていたのでした。

今学んでいます「拡大する人生」の中に、こういう言葉があります。「クリスチャン生活は、キリストのようになろうと試みることではありません。そのようなことは不可能です。古い性質は信じた後も私たちの中にあります。真にクリスチャンとして実を結んで行くためには、『あなたが何をするかではなく、あなたが何であるか、あなたの心を支配しているのは誰か』と言う事が大事なのです。ですから、あなたは自分の心の王座に、『唯一人の善い方であるイエス・キリストを迎え入れなければなりません。』このことが、救いの条件です。イエス・キリスト御自身が永遠の命なのです。このお方に心を明渡してゆく時、あなたは勝利の人生を生きることができます。」

私たちクリスチャンも長い間、この善いことをすることが救いの条件だと考えてきました。そして、そうできない自分を見て、落ち込んだり、また自分を裁いたり、あきらめたりしてきました。逆に善いことをしない兄弟姉妹を軽蔑したり、裁いてしまったりすることがありました。長く信仰生活をしていても、このことが解らなければいつまでたっても、自分が神様という間違った信仰を送ってしまいます。ローマ書3:20にこういう御言葉があります。「なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」と。

なぜ罪の自覚しか生じないかといいますと、律法を行なう、善を行うということは、実は、自分を神としているからです。自分が正しい、自分が完全だ、自分が、自分が、これが心の中心を占めていて、いつの間にか自分を神としてしまっているのです。

ですから富める青年が、「そんなことは、皆守ってきました」と言った時に、彼は図らずも、あの十戒の第一の戒め、「あなたは、私をおいて他に神があってはならない。」(出エジプト20:3)という一番大事な掟を破っていたのです。いくら十戒の後半の部分の隣人愛を守っても、最も大切な第一の戒めを破ってしまう危険性があります。そのことも気がつかずに、彼は一生懸命、熱心に真面目に求道心をもって、イエス様のところに出てきたのでした。そして、イエス様の言葉によって、今はじめて、自分の罪に気づかされたのでした。

4. 悲しみの青年

青年は、熱心のあまり、よく挫折します。そのことが引き金となって、悲しい人生を送ることがあります。彼の顔に表れた悲しみ、これはおそらく彼が今までの人生で、初めて経験した感情ではなかったでしょうか。

あんなに熱心だったら、「イエス様、待っていて下さい。これから家に帰って、全財産を処分して従って行きます。」と言えなかったでしょうか。あるいは、その場で、「イエス様、私が間違っていました。善い方は唯一人あなただけです。私の罪を赦して下さい。」と悔い改めることはできなかったでしょうか。聖書には、「悲しみながら立ち去った」と記されています。

自分の罪の現実、できない自分、永遠の命に値しない自分の本当の姿に絶望してしまったのでしょうか。その寂しそうな後姿に、青年の悲しみの深さを見るような思いです。そして、おそらく、この立ち去ってゆく青年の悲しげな後姿を、イエス様はじっと見つめておられたのではなかったでしょうか。

私たちの人生にもいろんな悲しみがあると思います。修養会でも閉会礼拝の中でも預言者エレミヤの悲しみについて語らせていただきました。「若いときにくびきを負った人は、幸いを得る。くびきを負わされたなら、黙して、独り座っているがよい。塵に口をつけよ、望みが見出せるかもしれない。」(哀歌3:27〜29)神様は、私たちを砕き、辱めを与え、もっともっとへりくだることができるようにしてくださいます。地面に唇をつけるまで、低くなりなさいと教えています。

この富める青年は、財産を施すことは自分にはできない、自分はもっと欲張りの自分中心の人間だ、ということを思い知ることが必要でした。イエス様は、自分の心の中に潜む罪の実態を十二分に悟らせるために、あえて彼を悲しみのままで去らせたのでした。彼をあえて、失望と恥ずかしさと悲しみの只中へと、突き放したのでした。もっともっとへりくだり、土の塵をなめるほどに低くなるようにしたのであります。

私たちもそうです。自分には財産を処分することもできません。お酒を止めて、信仰の世界に飛び込むことさえできません。酒、タバコ、ギャンブル、情欲、そして財産、土地、仕事、お金そして位牌や趣味など、そういうことすら捨てることができない弱いものです。不十分すぎる、欠けが多すぎる、不完全な私たちです。財産を施すなんて私にはできません。捨てることができない私たちです。でもイエス様は、こうおっしゃいました。「人間にはできないが、神には何でもできないことはない」(マタイ19:26)

私たちには出来ません。ただ大事なことは、できないままで、捨て切れないままで、あるがままの罪を持ったままでイエスの前に行くことです。イエス様が天国に入れてくださいます。十字架の贖いを持って、私たちの罪を赦して下さるのです。イエス様御自身が永遠の命なのです。悲しみを持ったままで、イエス様に顔を向けるなら、イエス様がその顔を照らして下さいます。イエス様は私たちの罪も悲しみも痛みも失敗もすべて御存知のお方です。その悲しみを通して、一人一人の心の中に救いの喜びを必ず備えて下さいます。

青年の悲しみの背中に、主の愛の眼差しはズーッと注がれていたと思います。人生の悲しみや苦しみの中でも、主の眼差しはズーッと私たちを見ていてくださいます。そして、自分の弱さ失敗、罪を持ったままで、主の前に帰って来るのを待っておられるのではないでしょうか。この青年は必ず帰ってきます。一説によりますと、この富める青年は、若かりし時のパウロではなかっただろうかと言われています。                              (岡田 久)

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