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純粋で真実なパン (Ⅰ コリント5・1~8)

メッセージ

2009年11月22日富里教会
         「純粋で真実なパン」
                 (Ⅰコリント5:1〜8)

1.教会の悲しみ
「現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。」(?コリント5:1〜2)

異邦人、つまりクリスチャンでない世間の人の中にもないような、みだらなことがコリント教会では起こっていたのです。それは、ある人が父の妻を自分のものにしているということです。いわば自分の母親(義理)と性的な関係を持って、しかも平然と教会に来ている、教会も彼に対して何も言わない、ごく当たり前のようにしていることにパウロは大きな危惧と怒りを感じました。しかも噂によってパウロは耳にしましたから、これは教会でも周知の事実となっていたようです。

パウロ先生も、2節の後半で、「こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。」と厳しく注意しています。除外すると言うことは、教会の交わりから外してしまいなさい、ということです。なぜ、そのような厳しい処断をするのかといいますと、この悪いパン種は、最初は小さなパン種でも放置しておくと、教会全体を膨らませてしまうほどに悪影響を及ぼす危険性があったからです。だから、小さいうちに取り去ってしまいなさいと忠告しているのです。教会は時には、そういう悲しい決断をしなければならない時もあります。

そういう教会の悲しい出来事が起こっているのに、なぜあなたがたは、未だに問題を放って置いて、自分たちは寛大な処置をしたと誇っているのかと、パウロは責めています。たとえ自分は遠く離れていても、心では教会全体の集まり、教会総会の場にいて、あなたがたと一緒にその人を除籍処分にし、そのことによって彼が悔改めることを願っているのだと書いています。このような処分は、教会では悲しみと痛みが伴います。でも、そうしなければ彼の魂は救われないが故に、いったん除籍してサタンの手に渡すことも止むなしとパウロは考えました。

2.肉の滅びと霊の救い
「わたしは体では離れていても霊ではそこにいて、現に居合わせた者のように、そんなことをした者をすでに裁いてしまっています。つまり、わたしたちの主イエスの力をもって、あなたがたとわたしの霊が集まり、このような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは主の日に彼の霊が救われるためです。」(5:3〜5)

これはどういうことかと申しますと、普通、この世的にはその人が死んだ時に戸籍が抹消されます。おなじように、この世で教会籍がなくなると言うことは、この世のサタンの支配に引き渡されると言うことです。その結果、この世のいろんな肉的な悩みや苦しみが起こり、ついには肉体的に死を迎えるということも起こるかもしれません。

でも実はそれは、その人がこれ以上地上で罪を犯し続けて、永遠に滅ぼされてしまうことがないための神様の懲らしめであり、戒めなのです。このままの罪の生活を続けて、取り返しがつかないところまで行ってしまわないように、地上での生涯を早目に終らせる方法だと解釈する人もいます。これが「肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡す」ということだというのです。

でも、クリスチャンでありながら罪を犯している者を、信徒の交わりから取り除き、サタンに引き渡すことによって、最終的にはイエス様が再臨する時、その人の霊も救われるという希望が残されているわけです。あくまでもこれ以上、彼が地上で罪を犯し続けることがないためにという、配慮からのことなのです。これが、この悲しい処置の真の目的でもあったわけです。

ここで私たちが、心しなければならないことは、教会の籍を外されると言うことがどういうことかということです。というのは、教会の籍と言うものが今日、あまり大切に考えられていないと言うことです。もちろん籍があれば大丈夫と言うわけではありませんが、意外とクリスチャンの中で籍を大事にしていない傾向があります。それは、どこの教会でも、あまりにも他行会員の方が多いということです。自分は、富里教会の一員である、天国の霊の交わりの中におかれている、互いに祈りに支えられているという意識が、残念ながら希薄になっているのではないでしょうか。

幸い、私たちの教会では、他行会員、つまり1年以上音信がない人でも、きちんと総会の資料に名簿として載せて覚えています。残念ながら、教会からは常に声をかけていますが、他行の方々の中には、消息がわからない方々もいます。でも、そういう人たちも名前を名簿に載せて覚えることによって、信仰が失われることのないように祈り、やがて主の再臨の時には、それらの人々の霊が救われることを願っています。

3. 純粋かつ真実のパン種で礼拝を
どうしてコリント教会が、罪のデパートと言われるほどにこんなに乱れてしまったのか、それは、教会が地中海一大きな教会になり、名声を博したからです。自分が誇り高ぶることと権力志向、そして性的な乱れは、根底には合い通じるものがあります。あのダビデ王もイスラエルが絶頂期を迎え、戦争をすれば連戦連勝、もう大丈夫、自分はこの国の王だと自負し安心をした時に、部下の妻バテシバと不倫と言う大きな罪を犯してしまいました。そういう自分を誇り高ぶることを、パウロはパン種、つまりふくらし粉、酵母にたとえています。

「あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、私たちの過ぎ越しの子羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過ぎ越し際を祝おうではありませんか。」(5:6〜8)

ここに、パン種と言う言葉が、5回出てきています。パン種というのは、ふくらし粉のことですが、パン種が入ることによって、ふっくらと柔らかなパンになり、生地の2,3倍の大きさになります。ですから本来のものよりも大きく見せる働きをします。このように私たちも心の中にパン種を持つと、あるがままの自分よりも大きく見せようとします。つまり、パン種を使うということは、あるがままの自分よりもよく見せよう、大きく見せようと背伸びすることです。見せかけのうわべだけの信仰、自分を誇る人のことを言います。

パウロは、自分を誇ると言う、古いパン種を取り除きなさいと、厳しく命じています。かつて、イスラエルの民がエジプトを脱出する時に、1週間、酵母、すなわちパン種の入っていないパンを食べました。これを除酵祭といいますが、1週間かけて、家中のパン種を食器からかまどから、隅々までほじくり返して古いパン種を取り除きました。そして、最後の日に子羊の血を鴨居に塗り、肉を煮て食べて過ぎ越しの祭りを行ないました。これは自分の心の中の罪を全部、洗いざらいほじくりだして、罪の棚卸をしなさいということです。それから、過ぎ越しの祭りの食卓につきなさいということです。

過ぎ越しの祭りは、今日で言う主の晩餐式です。罪の贖いの子羊であるイエス・キリストの肉を食べ血を飲む祝福の食卓です。その前に、私達は、種入れぬパン、除酵祭の食事をしなければなりません。古い悪のパン種を取り除くことが求められているのです。

私達も、主の晩餐にあずかる時には、自分の心の中に、また群れの中に古い悪のパン種を持っていないかどうか、十分に自己吟味し反省しつつ、あずかることが真剣に求められています。もしパン種を持ったまま安易にあずかるならば、それは主の血と体に対して罪を犯すことになり、主の裁きに合うことも覚悟しなければなりません。コリント教会には弱い人、病人、死者がたくさんあったと記されています。(?コリント11:27〜32)

5章の8節で「パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか」とパウロは言っています。「パン種の入っていない、純粋なパン」とは一体何でしょうか。それは自分と言うものを見栄や見せかけで膨らませたりせずに、あるがままの自分、小さく弱い罪人の自分ですが、イエス・キリストの命のパン、すなわち御言葉の恵みによって生かされている者として礼拝を捧げることではないでしょうか。あるがままの自分を感謝し、高ぶるのではなく、互いにへりくだって仕え合うことです。

私達は、礼拝をする時、あるいは主の晩餐式にあずかる時、昔、イスラエルの民が家中の古いパン種をほじくり返して全部、捨て去り、新しいパン種を使って礼拝したようにしたいものです。自分の心の中の一切の罪や汚れ、みだらな思い、見栄や支配欲を一つたりとも見逃すことなく、告白し悔い改めたいものです。また、教会の中からもそのような、悪しきパン種を勇気と信仰を持って取り除きたいものです。信仰の仲間の中に 明らかに罪を犯している者がいたら、そのことを愛を持って指摘し、その悪のパン種を取り除く勇気を持ちたいものです。そして、純粋で真実なパンであるイエス・キリストの愛と謙遜、へりくだりを持って、互いに仕え合いつつ、キリストの体なる教会を前進させて行きたいと願っています。

                                   (岡田 久)

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