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約束の地

メッセージ
 2008年3月15日            
 宣教題:「約束の地
                             
聖書箇所:ヨシュア記 1章1節-11節

皆様、おはようございます。

1.序論
 今日は、私にとって、特別な日だと思っています。
この富里教会員として、最後の宣教の奉仕を迎えたからです。
振返ってみますと、1999年4月に、会社から派遣されていましたインドネシアから帰国してから、約10年間、富里教会員として、皆様方とともに、神と教会に仕えさせていただきました。
その間、2003年4月には神学校への道が開かれて、2006年3月に卒業後は、御言葉を取り次ぐという、光栄ある奉仕にも携わることができました。その間、祈りで支えて下さった皆様方の愛に満ちた、サポートには心から感謝をしています。最後には、献身の思いにまで導いて下さった、当時の牧師先生にも感謝いたします。  正に私の信仰は、この富里で育まれたと言っても、言い過ぎではないでしょう。  
教役者としても、まだまだ駆け出しのこの私を、忍耐を持って受け入れてくださったこと、心より感謝しております。ありがとうございました。

 さて、今朝は、新しい旅立ちを控えて、これからの私たちそれぞれの教会奉仕について、モーセとヨシュアそれぞれの信仰の姿勢から振り返り、これから主が私たちに、どのように関わって下さるのか、考えてみたいと思います。

2.導入
(1)出エジプトを導いたモーセの生涯について
 ヨシュア記冒頭、1章2節で、主は、モーセの従者であるヌンの子ヨシュアに「私の僕、モーセは死んだ。」と、語りだしました。そして、後継者として、ヨシュアを召して、「今、あなたはこの民全てと共に立って、ヨルダン川を渡り、私がイスラエルの人々に与えようとしている土地にゆきなさい」といわれました。ヨシュアは、すぐにこれを受け、11節で、イスラエルの民に、このように言います。「おのおの食糧を用意せよ。あなたたちはあと3日のうちにこのヨルダン川を渡る。あなたたちの神、主が得させようとしておられる土地に入り、其れを得る」と、主のお命じになったことを、そのまま伝え、
いよいよ主の導かれた約束の地、カナンへ、入る決意を伝えます。
私は、このヨシュア記の箇所を見るとき、あの偉大なモーセとはまた違ったヨシュアのストレートな信仰の応答に圧倒されるのです。「強く雄雄しくあれ、うろたえてはならない、おののいてはならない。あなたが何処に行ってもあなたの神、主はともにいる」と励まし続けてくださる主に全幅の信頼をおいて、立ち上がるヨシュアに感動を覚える者であります。神様は、このヨシュアの信仰を良しとされて、先に召されたモーセに代わって、ヨシュアをイスラエルの次の新しい指導者として、その後継者に選ばれたのでした。
 神は、「出エジプト」の壮大な計画を、モーセと、そしてヨシュアの二人の指導者に委ねられたのでした。しかし、神の召命が二人に迫ったとき、彼らの信仰の姿勢には、明らかな違いを見ることが出来ると思います。先ほど、申し上げましたように、ヨシュアは、ストレートな信仰を持っていました。

一方、 モーセの信仰はどうでしょうか。
 イスラエルの民を、神から、出エジプトに導くように、召命を受けた時、モーセは、大いなる恐れを覚えて、躊躇をいたしました。
 「私は何者なのですか。どうして、ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を救い出さなければならないのですか。」このように訴え、その理由に「元々弁が立つほうではありません。全く私は口が重く、舌の重いものです」を挙げて、固辞します。
 主の言われる「乳と蜜の流れる地カナン」は、確かにこのエジプトとは違った豊かな土壌と、豊富な作物を産出し、人々の生活があたかも保障されている、そのように、心地よく響きますが、しかし、実際はどうでしょうか。そこには、先住民が住んでいるのです。そこへ、壮年男子だけで、凡そ、60万人、総数ではおそらく100万人を越える、全てのイスラエルの民を、この異教の国、エジプトから、連れ出すことが、どんなに困難なことか、モーセは十分に承知をしていたでしょうから、モーセの心中の苦しみは察するに余りあるものがあったでしょう。当然のことながら、これに対するモーセの態度は、徹底的に消極的であり、神の召しから逃れようとする態度でした。
しかし、神は、「わたしは、必ずあなたと共に居る。このことこそわたしがあなたを遣わす徴である」このように、モーセを励まし、説得をされました。
 そして、最後にアロンを、助け手としてお与えになり、モーセを、出エジプトの指導者に選ばれたのでした。

 その時、モーセは80歳、アロンは83歳であったと聖書は記します。(出エジプト記7:6) ふと、自分の年令を思い起こします。

それからの、モーセに導かれた40年間に及ぶ困難な「出エジプト」の出来事は、民を訓練しながら、信仰の成長を図り、遂に、神による、イスラエル民族の救いの業を成就させるという、大きなテーマを映し出すのです。

 シナイ山で、神の律法を受けたモーセと、イスラエルの民は、遂に、約束の地の東側、モアブに到達しました。そして、直前の記事、申命記34章1-4は記します。読んでみます。
 「モーセはモアブの平野からネボ山、即ちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。
 主はモーセに全ての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海にあるユダの全土、ネゲブ及びナツメヤシの茂る町、エリコの谷からツォアルまでである」そして、主は、モーセに宣言をします。「これが、あなたの子孫に与えると私がアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしは、あなたがそれを自分の目で見るようにした。 あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」
ここで、神は、この偉大なイスラエルの指導者モーセが、約束の地カナンへは入ることを許さないと言うのです。
その理由として、シンの荒野で飲み水を争って、主を試みたことを挙げます。(出エジプト17:1-7)

モーセは、平安の内に、この命令を受け入れました。そして、全イスラエルを前に告白をいたします。  
「わたしは、今日すでに120歳であり、もはや自分の務めを果たすことは出来ない。更に、主はわたしに対して『あなたは、ヨルダン川を渡ることは出来ない。』と言われた。あなたの神、主ご自身があなたに先立って渡り、あなたの前から、これらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。

 それから、モーセは、改めて、ヨシュアを呼び寄せて、宣言をいたします。
「強く、雄雄しくあれ。あなたこそ、主が先祖達に与えると誓われた土地に、この民を導き入れる者である。あなたが、彼らにそれを受け継がせる。主ご自身があなたに先立って行き、主ご自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31章1-8)
 
3.ヨシュアの紹介
ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置いたからである。イスラエルの人々は、彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおり、行なった。(申命記34:9)
このように、神とモーセによって、後継者に任命され、手を置いて祝福を受けたヨシュアは、この後、「カナンの地」を約束どおり与えられるという、預言を実際に成就していきます。
 
 しかし、そこには、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人などが先住民族として、既に住んでいましたので、その地に入るには、戦い取らねばならなかったのでした。
 決して平和裏に達成されたものではありませんでした。まさに、主が共にいて、戦ってくださらなかったら、決して達成することは出来なかったのです。

 神は、約束の地へ入るルートとして、戦いとるには、最もリスクの高い、カナンへの中央突破を図ったのでした。そして、ヨルダン川を渡りエリコを奪い取ります。

4.適用
 皆さん、
これから、私たちは、別の道を通って信仰の道を辿ることになるでしょう。神様の指し示される道は、決して平坦なものではないでしょう。新しい赴任地を思うとき、大いなる恐れと緊張を覚えますが、期待もあります。
 
主は私たちをみ力によって、育てられることを、聖書は記しています。

モーセ、ヨシュア共、指導者として、それぞれが弱さを持っていました。モーセには、気の短いという弱さがありました。
 あのモーセが持っていた、気が短いがために、同胞を虐待していたエジプト人を殺したり(出エ2:12)、語りかけるべきであったメリバの岩を打ち叩き(民20:1-13)、或いは、十戒が刻まれていた石の板を叩き壊してしまいました(出エジプト32:19)。 

 しかし、神はこのモーセを、40年間の荒野の旅を通して、神への従順を学ばせました。そして、「地上で最も謙遜な人」に、造りかえられたのでした。目的地を目の前にして、約束の地へ入ることができないと、神に知らされた時のモーセの胸中はいかばかりだったでしょうか、しかし、モーセは、これを御心と、受け入れることができたのでした。
 一方、後継者となった、ヨシュアは、まるで、兵卒が、指揮官に従うが如く、神様の命に、真っ直ぐ突き進んで行こうとする姿勢が見えました。
神様は、そのことを良くご存知の上で、ヨシュアには最も必要な御言葉のかてを、お与えになったのでした。

それでは、ご一緒に読んでみましょう。
 (7-8節)「ただ強く大いに雄雄しくあって、私の僕モーセが、命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、何処に行っても、成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなた方は行く先々で栄え、成功する」。 

神様にとって、神の計画を遂行するためには、モーセのような慎重さと共に、序シュアのような大胆さも、どちらも必要とされました。ヨシュアにとって、最も大切なことは、戦うことだけではなく、むしろ「御言葉によって、養われる」、ということでした。
この言葉に、神の計画が現されたのでした。それは、イスラエルの民に戦いの中にあっても、主とともにある平安を覚えさせるものだったのです。

 わたしにとって、新しい赴任地は、未知の国でもあります。主の臨在を確信できる聖書の御言葉だけが私たちの頼りであり、拠り所です。これからの、色々な奉仕を通して、ただ、御名を崇められるように励んで行きたいと考えます。                    
                          田中経彦
         
     

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