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神はわれらと共におられる (マタイ1:18~25)

メッセージ
2019年12月8日富里キリスト教会
「神は我らと共におられる」
(マタイ1:18~25)
1.正しい人ヨセフの決心

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」(マタイ1:18~19)わたしは夫ヨセフは本当に正しい人だったと思います。わたしでしたら、婚約をしていたのに裏切られた、マリアを愛していればいるほど、その裏切られた傷は大きいのではないでしょうか。そしてその代償を求めて、誰かに彼女の不倫を訴えたとしたら、彼女はどうなるでしょうか。

申命記22:23にこう言う規定があります。「ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない。その娘は町の中で助けを求めず、男は隣人の妻を辱めたからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。」(申命記22:23~24)彼女は町の中で助けを求めて叫ばなかったので、同意の上で不貞を働いたことになります。その結果として子を宿し、しかもだれの目にも明らかになるくらいお腹が大きさになって来ていました。彼女を愛すればするほど、その裏切られた事への憎しみと復讐は大きくならないでしょうか。こうして不倫をした男と女も公衆の面前で裁かれ、その罰として処刑されてしかるべきでした。

しかし、ヨセフはそのことを公にすることを良しとせず、かといって彼女に慰謝料を求めることもせず、ただ誰にも知られないようにして、離婚することを考えました。ユダヤでは、たとえ婚約でも戸籍上は夫婦です。社会的にも宗教的にもすでに立派な夫婦だったのです。そうすれば、彼女の不倫が問われることもなく、子供ができた後で、何か妻の側に不都合があって離婚したのであろうと世間的にはみられるわけです。それが彼女にとって一番いい対処方法ではないかと考えました。マリアもその子も姦淫の罪を問われないわけです。結婚解消とはなりますが、妊娠の事実については、マリアの姦淫の罪は問われないことになるのではないでしょうか。それが彼女にとって殺されないで済む最善の道だと、ヨセフは考えたのではないでしょうか。

2.イエスとインマヌエルの名前の意味

わたしたちが人間の知恵で、何とか事なきに済まそうと考えていましても、もしそれが神様の側からの出来事であるならば、人間の決断に抗して、神様の側からの介入があります。主はマリアとひそかに離縁しようとしたヨセフに対しまして、夢を通して介入されました。

「このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神我々と共におられる』という意味である。」(1:20~23)

マリアの妊娠は、聖霊によるものであるということがここで述べられています。また、先ほどの18節でも「聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」とあります。ということはマリアの妊娠は、世間的にもまたヨセフにとりましても、聖霊によって身ごもった妊娠だということが明らかにされたわけです。おそらくマリアも、自分の胎の実は聖霊によって身ごもったものであるという認識を持っていたと思います。そして、夢の中でヨセフにも聖霊によって身ごもったということが告げられました。

先週も学びました。マリアに「聖霊が降り、いと高き方の力がマリアを包む時に、子供を宿す」のです。聖霊が降り、聖霊が我々を包むとき、私たちの心の内にキリストが宿るのです。エフェソ書にこうあります。「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根差し、愛にしっかりと立つものとしてくださるように。」(エフェソ3:16~17)聖霊によってキリストがわたしたちの心の内に宿ってくださるのです。マリアと同じ経験です。

皆さん、聖霊を信じますか?聖霊様を受け入れていますか?もしかしたら、そんなものあったら示してもらいたいと思っている方はいませんか。これは聖霊の出来事なのです。聖霊を信じない限り、その人はマリアがキリストを宿したということを信じることはできません。聖霊を信じない限り、キリストがわたしたちの心の内におられることも信じることはできません。マリアは、この内住のキリストの先駆けなのです。皆さんは、第二、第三のマリアなのです。

またマリアを特別に、聖女として罪のない女性だと考えてはいけません。マリアもわたしたちと同じなのです。今から皆さんはキリストを身ごもっていると考えてください。そして、マリアのように「わたしは主のはしためです。み言葉通りのことがこの身になりますように。」と祈ってください。神の霊が注がれ、神の霊にわたしたちが包まれる時、そこに命の創造の業が起こるのです。

天地初めのところに、「地は混とんであって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(創世記1:1)とあります。そしてその時に神は言われました。「光あれ!」と。するとそこに光がありました。このように神の霊である聖霊が臨みその人を包む時に、その人の内にキリストの光が生じるのです。神は聖霊を通して、天地万物を造られました。同じように、神は聖霊を通して新しい天地創造をされたのです。それは人間の心の中にイエス・キリストを生ぜしめるという創造の業です。第二の天地創造です。新しい救いの始まりです。それがこのクリスマスの出来事であり、イエス・キリストによる新しい第二の天地創造の業なのです。皆さん一人一人が、マリアでありヨセフなのです。

それはこの第一の創造である天地万物といった物質の創造ではなく、聖霊による人間の心の中の霊的な創造です。人間の内側から新しく造りかえる創造なのです。全ての人に、聖霊によってその人の心の内にキリストが宿るという第二の天地創造です。そしてそれは、このキリストの名前が示すとおりに、人々を罪から救うという働きです。イエスという名前は、ヘブライ語ではヨシュアと言います。それは「神は救う」という意味です。このマリアの体に宿った命は、世の人々をその罪の束縛から解放し、救い出すお方だということを意味しています。

この罪からの救いこそ、新しい神の創造の業なのです。物質である天と地を造り出すのではなく、霊的な新しい人間の創造であり誕生なのです。そして人々を罪から救うだけではなく、もう一つの呼び名がありました。それは預言者イザヤが預言した名前です。イザヤはこう預言しました。「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7:14)神われらと共にいますという意味です。「インマヌー」が宿る、「エル」は神です。

神様が共にいて下さる、神がわたしたちの内に宿る、これがヨセフに与えられた約束の言葉です。ですから、このイエスという名とインマヌエルという名によって示されていることは、「神様はわたしたちを罪から救い、そして永遠に共にいて下さるお方だ」ということです。言い換えるならば、人間を罪から救う縦の線と、永遠にいて下さるという時間の横の線が共に交わったところに、この方の名前の由来があるし、名前の意味するところがあるのです。

罪からの救いという空間の縦のイエスという線と、永遠におられるという横の時間歴史のインマヌエルという線、この二つの線が交わったところ、それはとりもなおさずあのイエス・キリストの十字架ではないでしょうか。そしてこのお方こそ、全世界の人々が待ちに待った世の救い主なるイエス・キリストなのです。時間と空間、全宇宙の救い主であり、中心であるイエス・キリストなのです。わたしたちの罪を赦し、永遠に共にいて下さる神です。

3.信仰者ヨセフ

この夢の後、ヨセフは眠りから覚めて天使の言った通りにマリアを妻として迎え入れました。「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そしてその子をイエスと名付けた。」(1:24~25)とあります。マリアが自分に与えられた試練とその祝福を受け入れ、「わたしは主のはしためです。お言葉とおりのことがこの身に起こりますように。」と言って自分の運命を受け入れて、信仰をもって主に従ったように、夫ヨセフも天使の言葉に従いました。

聖書には、「眠りから覚めると、主の天使が命じた通り、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。」と記されています。ヨセフはこの夢を見た後で、直ちにマリアを妻として迎え入れました。おそらくマリアのお腹が大きくなったので、時を待たずして結婚式を簡単に上げて、社会的にも名実ともに立派な夫婦になったのではないでしょうか。

そしてヨセフの信仰深いところは、たとえマリアと正式に婚姻関係を結んで妻として迎えても、マリアと夫婦の関係を持たなかったということです。このことは、ヨセフもマリアのお腹の子は普通のこどもではない、神の子であり大いなる方来るべきメシアではないかと信じていたようです。ですから、その子が出産するまでは、普通の夫婦の関係を持つことはなく、戸籍上だけの夫婦で、静かに出産を待ったのではないでしょうか。普通の夫婦関係を求めなかったヨセフの態度の中に彼の信仰の証があるような気がします。

そして天使が告げた通り、生まれた子供の名前をイエス(神は救われる)と名付けました。イエスの六か月前に産まれたヨハネの場合には、ヨハネの父である祭司のザカリヤは、天使の言葉を信じなかったので、子供に命名する時まで口を利くことが出来ませんでした。祭司でありながら、しかもマリアの場合と違って実際に夫婦となっていた場合であったにもかかわらず、天使の言葉を信じなかったのです。大工のヨセフの方が、祭司の信仰より強かったのです。

ヨセフは、祭司ではありませんでした。一般の普通のイスラエル人です。しかも自分の長男は聖霊によって身ごもったという超自然的な信じられない方法での妊娠でした。それにもかかわらず、彼は主の天使の言葉を信じました。ヨセフは口をきけなくなるという罰を主から受けませんでした。いかにヨセフが、日ごろから(旧約)聖書を読んで、聞いて預言者の言葉を知っていたかです。そしてその預言の言葉が自分の身に起こった時、それを受け入れ信じ従いました。

残念ながら父ヨセフは、イエスが30歳になるころには既に他界していたようです。母マリアは長男イエスと共に何度か出てきますが、父ヨセフはこの誕生の時しか登場していません。おそらく、早くに亡くなったと思われます。でも彼は、イエスの誕生に際して、母マリアと共に、信仰をもって主に従った人として永遠に語り継がれてきました。

この後ナザレからベツレヘムへの長い旅に出かけ、ベツレヘムではまともな部屋ではなく馬小屋で長男の出産を迎えました。そしてヘロデ大王が、イエスの命を狙っていると聞いて、エジプトまで逃げてゆきます。産後の妻と赤子の小さな子供を連れての逃避行です。そしてヘロデが死んだとの知らせを聞いて、再びエジプトからナザレの町に戻って来ました。このイエスの誕生の間、二人を連れて苦難の道をたくましく生きのびてきました。

どんな危険が迫って来ましても、神様は常に共にいてヨセフ一家を待って下さいました。ナザレからベツレヘムへ、そしてベツレヘムからエジプトへ、そしてエジプトからまたナザレへと、野を越え、山を越え、砂漠を越えて産後の妻と乳飲み子を連れての長旅でした。でもその間、不思議な神様の助けと導きによって、この苦難の旅を続けてくることが出来ました。

主はこの夫婦に、夢の中でヨセフに何度も現れてくれました。エジプトに逃げなさい、イスラエルに帰りなさい、ナザレに隠れなさいと。その都度、その都度、天使は夢の中でこのヨセフに語って告げられました。まさに主が共にいて下さる、インマヌエルの神がどこに居ても守り導いて下さったのです。インマヌエル、神われらと共にいます。わたしたちの心の中に、人生の中に、苦難の中に、このインマヌエルの主を覚えて過ごしてまいりましょう。(岡田 久)

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