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神の言葉は実現する (ルカ1:5~25)

メッセージ
2017年12月3日富里キリスト教会

                 「神の言葉は実現する」
                                  (ルカ1:5~25)

1.主に仕える生き方

「ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリヤという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリザベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、子どもがなく、二人ともすでに年をとっていた。さて、ザカリヤは自分の組が当番で、神のみ前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。」(ルカ1:5~10)

ダビデの時代から数えて約千年、イザヤの時代から数えて約600年、彼らはズーッと神殿からはなれず、毎日毎日来る日も来る日も救い主であるメシヤの到来を待ち望んで、祈りをささげていました。そしてそのユダヤ人の祈りは、今でもイスラエルのあの嘆きの壁の前で続けられています。ユダヤ人は今でも救い主の到来を待っているのです。でも救い主は今から2千年前にすでにこの世に来られました。その時の記事がこのルカによる福音書に記されています。

ザカリヤ、エリザベツ夫妻には子どもがありませんでした。それでも彼らは、二人とも祭司の出身で、当時のユダヤ教のしきたりに習って祭司の務めをしていました。祭司アロンの子孫は、全部で24班に分けられまして、ザカリヤはその第8班に当たりますアビヤ組に属しておりました。そしてアビヤ組の中からさらに、くじによって聖所に入って香をたく役目をするものが選ばれました。それは本当に宝くじに当たるほどの確率だったといわれています。その名誉ある聖所の中に入って香をたくという役目に当たりました。祭司が香をたいている間、人々は神殿の外で祈りをささげているのです。人々の祈りが、立ち上る香の煙のようになって天に上ってゆきます。その祈りは、イスラエルの救いと救い主の到来を願ったものでした。

わたしはこのザカリヤ夫妻と当時の神殿での礼拝を中心としたユダヤ教の姿から、やはり大切なことを教えられました。それは、たとえいまだ自分たちの願い事や希望が実現されなくて、ひたすら神の前に正しく清く歩むことです。そして絶えず祈り続けることです。イザヤの苦難の僕というキリストの十字架を予言した時から、すでに600年の歳月が過ぎているのです。彼らは少なくとも
600年の間祈り続けてきました。そして600年間、何事もなかったのです。本当にイスラエルは救われるのだろうか、キリストは来るのだろうかと思いつつ、ひたすら神殿に行って神を礼拝し祈りを積み重ねてきたのです。そして今ようやく、あのイザヤの時代から数えて600年後に、その御言葉が実現しようとしているのです。

結果はどうでも、あきらめることなく祈り続けることです。今週は、世界祈祷週間の最終日ですが、どうか全世界に使わされている宣教師とその家族のためにお祈りください。今週から、「金曜集中祈祷日」が始まります。クリスマスまでもうすぐですが、金曜日に皆さんで集中して祈りましょう。自分の祈る時間帯でいいですから、9日の子どもクリスマス会のために、また24日のクリスマス礼拝のために祈りましょう。30名以上の方々が礼拝に来てくださるように祈りましょう。イスラエルの民は、600年間祈り続けてきました。ザカリヤ夫婦のように、「二人とも、神の前に正しい人で、主の掟と定めとをすべて守り、非の打ち所がなかった。」とありますように、人に見せるのではなく、目に見えない神様に仕える真剣な祈りの生活をしたいものです。

2.祈りつつも不信仰なわたしたち

「すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリヤはそれをみて不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。『恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベトは子を産む。その子をヨハネと名づけなさい。・・・・』そこで、ザカリヤは天使に言った。『何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。』天使は答えた。『わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために使わされたのである。あなたは口が利けなくなり、このことの起こる日まで話すことができなくなる。時がくれば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。』」(1:11~20)

ザカリヤは、一生懸命、神様に仕え、イスラエルの救いにために祈ってきました。しかし、実際に天使から、あなたの願いは聞き入れられたという言葉を聞いたときに、自分の耳を疑い天使を見て不安と恐怖の念にさえ襲われました。実はザカリヤ夫妻には、子どもがありませんでした。しかも当時は子どもだできないということは、神の祝福から外れていると思われていましたから、ザカリヤも一生懸命子どもを授けてくれるようにと祈っていたかもしれません。ところが実際に、天使から「あなたに子どもができます」と告げられますと、本当だろうかと疑ってしまったのです。そしてザカリヤは、天使に何かしるしを求めました。子どもが授かる証拠を見せてほしいといったのです。なぜなら、自分たち夫婦は、もう長い間子どもがないままできていたし、年もとっていて子どもを産める体ではなかったからです。「何によってわたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」と言いました。

ザカリヤは神様の言葉を信じるよりも、自分たちの現実の姿のほうを見てしまいました。子どもを産める年齢ではないと考えました。ザカリヤも祭司ですから、あのアブラハムの妻サラが、90歳の高齢で子どもを授かった話も知っています。でもそれは聖書の中の話で、自分たちには起こりえないことだと思っていました。ですから、天使がそのように告げてもにわかには信じられなかったのです。祭司として長い間神に仕えてきていたにもかかわらず、信じきれず疑ってしまったのです。しかも、祭司として神殿に勤めていて、常日頃からイスラエルの救いを祈り、自分たちの子どものことも祈っていたにもかかわらず、すぐには信じることができなかったのです。

天使は、ザカリヤに子どもが授けられること、そしてその子の名前をヨハネと名づけることを命じました。その子は母の胎内にいるときから聖霊に満たされていると言いました。そして預言者エリヤの霊を受けていて、人々を悔い改めへと導き、人々をキリストへと向けさせる備えの働きをするといいました。しかし、この天使のみ言葉を信じなかったザカリヤに対して、天使は彼の息子の出産のときまで、口を利くことができなくなるという罰をあたえました。本来ですと、聖所から出てきて、神殿に集まっている会衆に祝福の祈り(祝祷)をするはずでしたが、突然口が利けなくなったものですから、聖所からすぐには出てくることができませんでした。会衆もザカリヤが突然、口が利けなくなったので、何かあったのだということを悟りました。そして天使のお告げのとおり、エリザベトはその後身ごもったのです。

もしわたしたちが何かまだ、心に疑いを持ったり、実言葉に素直に従っていないときには、神の言葉が出てこないときがあります。新しい言葉、神の御言葉である福音を語るためには、まずこのみ言葉に従わなければなりません。主のみ言葉に従うとき、初めてわたしたちの口から神を讃美する言葉、神を証する言葉が出てきます。なぜなら、その新しい言葉は信仰によって、聖霊様が語らせる言葉だからです。その信仰による従順、み言葉に従って一歩足を踏み出すときに、口がほどけて語りだす言葉なのです。

3.ザカリヤの悔い改め

その後、聖書によりますと、エリザベトは妊娠5ヶ月目に、自分が妊娠していることを公にしました。それから親戚のマリヤも、天使ガブリエルから聖霊によって子どもを宿すという、信じられないような御告げを受けます。この知らせを受けたマリヤは急いで、親戚のエリザベトを訪ねます。そして二人の母は、自分たちの身に起こった奇跡的な出来事を互いに語り合い、励ましあいました。ここでもエリザベツのお腹にいる胎児のヨハネは、母エリザベトを通してマリヤの信仰を励まし整えてあげました。お腹にいるときから二人の子どもは聖霊に満たされ、二人の母の信仰を励ましました。41節に「マリアの挨拶を、エリサベトが聞いたとき、その胎内の子が踊った。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。」(1:41)とあります。このようにヨハネは、胎内にいる時からすでに胎児ですけど、人々の心と信仰を主の前に備えると言う働きをしていたのです。

さて一方のザカリヤは、その後どうしたのでしょうか。彼は依然として口が利けないままでした。母エリザベトは高齢出産にもかかわらず、無事元気な男の赤ちゃんを出産しました。そして出産から8日目に、赤ちゃんに割礼を施し、名前をつける時がやってきました。周囲の親戚一同は、父親の名前をとって名づけようとしました。みんながザカリヤの名にしようとした時に、母エリザベトも父ザカリヤも、親戚一同に逆らって「ヨハネ」となずけました。するとどうしたことでしょう。今まで一言も話すことができなかったザカリヤの口が解け、話し始めたのです。62節に「父親は字を書く板を出させて、『この子の名はヨハネ』と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリヤは口が開き、舌がほどけ、神を讃美し始めた。」(1:62~64)とあります。

ここでザカリヤは、天使が告げたとおりにしたのでした。すなわち自分たちの家系の名前ではなく、神から授かった新しい名前をつけたのです。ヨハネ、それは「神は恵み深い」と言う意味を持った名前でした。新しい使命と祝福に生きるものの名前です。ザカリヤは「神に覚えられているもの」と言う意味ですが、その神に覚えられていたものが、今始めて神様からの恵みをいただいたのです。神の恵みを受け継ぐものとされました。これが神のくじに当たったザカリヤの祝福でした。

わたしたちも皆、ザカリヤのように、一方的な神様の恵みに預からせていただいたものです。何千人に一人と言う最高のくじに当たったものです。それでもその恵みを忘れたり、疑ってしまうことはないでしょうか。ザカリヤは最初は疑いましたが、十ヵ月後、意を決して天使が告げたとおりの名前をわが子につけました。名前をその人の体を表しています。また親の願いも現わしているかもしれません。でもヨハネという名は、神様の願いの込められた名前です。神に選ばれ、神の恵みに預かったものです。神の恵みに、今はじめてザカリヤは預かりました。

その神様の「恵みの選び」に預かったものとして、今度こそザカリヤは、「神に従う」という明確な意思を表しました。多くの親戚や当時の習慣に抗して、神の指名した名をわが子につけたのです。神の御言葉に従ったのです。そのとたんに、彼は聖霊に満たされて、大胆に語り始めました。そしてあの有名な「ザカリヤの預言」の詩を歌ったのです。わたしたちは神のみ言葉に従うときに、聖霊に満たされます。そして新しい舌と新しい唇をいただきます。そして神の言葉を語り始めるのです。これが信仰です。神のみ言葉を信じましょう。そして従いましょう。そのときあなたの無口な唇が開き、あなたの舌は神の言葉を語り始めます。

ですから、クリスマスの恵みは、宣べ伝えてはじめて与えられるのもです。なぜなら、わたしたちは神様のみ言葉に従ったからです。信じて出て行って、クリスマスの良き知らせを宣べ伝えたからです。「クリスマス、おめでとう!神のみ子イエス・キリスト様がお生まれになりました。さあ、皆さん富里キリスト教会のクリスマス礼拝に来てください!」このことを告げ知らせるのが、神様の恵みであり祝福なのです。この神様のご命令に従って、一歩足を踏み出すとき、そこにクリスマスの喜びと感謝と恵みが満ち溢れます。ザカリヤも、天使の言ったとおりにヨハネと名前をつけました。そうしましたら口が利けるようになったのです。

今日の暗唱聖句に、イザヤ書の32:15のみ言葉を選ばせていただきました。「ついに、我々の上に、霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり、、園は森とみなされる。」と。神の霊が注がれ、一人一人に力と幻を与えて、大胆に神の言葉を語らせてくださいます。ザカリヤのように、疑ったとしてもすぐに悔い改めて、御言葉に従いましょう。わたしたちが御言葉に従う時に、そこに神のみ業が始まって行きます。     

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