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神の畑 (Ⅰ コリント3・5〜9)

メッセージ

2009年12月6日富里教会
             「神の畑」
      (Ⅰコリントの信徒への手紙3:5〜9)

1. はじめに

主の御名を賛美いたします。
早いもので、アドベントのろうそくが二本灯りました。今年は、9月の教会学校週間から始まって、10月はバザー、11月は秋の特別伝道集会、そしてピエロ伝道会といろんな行事が続いてきました。どの行事も、正直言いまして、どうなるかなと心配しておりましたが、神様が祈りに答えてくださり、どの集会も大きな恵みのうちに祝されましたことを感謝いたします。きっとクリスマスの礼拝、イブ礼拝も大きな恵みと喜びで満ちあふれるのではないかと思っております。主に感謝します。

さて今朝は、畑のお話をしたいと思います。富里に参りましてから、庭の草取り、畑仕事と今までにしたことがないことを、楽しみながらさせていただきました。よくTVで、定年退職をしてから田舎に住んで、畑や自然を見ながら田舎暮らしをする熟年夫婦の番組を放映していますが、今、私たちもそのような気持ちで生活をしているような気がします。若いころのように、1週間に何回もあちこち家庭集会を飛び回ったり、青少年たちと一緒にキャンプに行ったりということは、体力的にもあまりできなくなりました。でもその分、説教と祈りと土いじりに十分時間を取ることができるようになってきまして、皆さんと一緒に教会生活を送り、御言葉を学び、共に伝道ができますことを感謝しております。

今年の夏は、雨が多くて収穫があまりありませんでしたが、教会の畑から、今年もいろんな野菜を収穫することができました。畑は家内がほとんどやっているのですが、トマト、キュウリ、ナス、レタス、ピーマン、パプリカ、唐辛子、しその葉、ごまの葉、ゴウヤ、ささげ、エンドウなどいろんな種類の野菜を、少しずつ収穫しました。松崎さんもサトイモ、サツマイモ、トウモロコシ、イチゴなどを植えています。苗木の関係ではクリの木、ビワ、キウイ、イチジク、変り種ではアケビやタラの芽も植えました。畑仕事は、種を植えるようになるまで、とても力と根気がいります。笹があって、笹の根が地面の中にずっと伸びています。それを掘り起こして畑を作るのですから大変な作業です。

今朝は、神の畑仕事について、最初に畑の土作りのこと、二番目に種蒔きと水やりについて、そして三番目に野菜の収穫と料理についてお話したいと思います。

2. 神の畑の土作り

まず最初に、神の畑の土作りについてですが、近くの家庭菜園をしている方のところにチラシを配りに行った時、畑仕事をしている家の方に声をかけさせていただきました。そして、畑を見させていただきましたら、50〜60センチくらい土を掘りまして、その土をふるいにかけて石やゴミを取り除いているという言うのです。そして土の底に野菜の切れ端や生ゴミを入れて肥料にしていました。ですからその方の畑の土は、ほかほかした栄養たっぷりの土なのです。これじゃ、なんでも育つなあと脱帽した次第です。つまり畑作りは土作りでもあるわけです。良い畑かどうかは良い土を作るかどうかで決まってきます。

さて、この土という言葉で思い出すのは何でしょうか。それは、天地創造の時に、神様が人間を造った時に、土(アダマ)の塵で人(アダム)を造ったと言われています。(創世記2:7)つまり、普通、聖書では土といいますと人間のもとの材料として述べられています。人間は土から造られて、鼻から息を吹き込まれて真に生きるようになり、やがて死ぬと霊は神に帰ってゆきますが肉体は土に帰ってゆきます。(コヘレトの言葉12:7)ですからこの被造世界は土が原料なんです。土からいろんな被造物が造られました。ですからイエス様は「畑とは世界である」(マタイ13:38)と言われました。とりわけ、人間は土から造られ、神の息を吹き込まれて初めて生きるものとなったもので(創世記2:7)、他の被造物とは異なります。ですから今日の聖書の中で、パウロ先生が「あなたがたは神の畑である」と言っても、実はそれは聖書的には深い意味のある正しい言い方なのです。私たちはもともとは土でありましたが、今はいろんな野菜が植えられるようになった神の畑でもあるのです。

ところが、この土、地面がアダムの原罪によって呪われてしまいました。豊かな実りを与えるはずの土に、茨やあざみ、すなわち雑草が生えてしまいました。ですから、実りを得るために草を取らなければなりません。また、カインの殺人によって土がアベルの血を飲み込み、雑草も作物も生み出すことがないほどの不毛の地になってしまったのです。砂漠のような世界、これが今日の人間の世界なのです。(創世記3:18,4:10〜12)

ですから土を回復させ、良い畑にするためにはどうしたらよいのか。あの荒涼とした荒れ野に、緑の大地、しかもたくさんの野菜が植えられてある肥沃な畑になるためにはどうしたら良いのか。それが今日のテーマです。そのためにはまず、土作りから始めなければなりません。

「畑」という漢字を見てください。これは珍しい漢字で、日本独自の漢字だそうです。ですから、音読みはありません。「火」というへんと「田」というつくりから成り立っています。これは、焼畑農業からきていると言われていますが、土地の上にある雑草や潅木を焼き払ってから、畑にするというやり方です。これは畑を作る上で大切なことです。火を使って、野焼きをすることは、雑草を除去すると同時に、地面にある病原菌や害虫を駆除することにもなります。いわば、火は土の消毒の役目をするわけです。そして燃えた後の灰は、土を中和して肥料にもなるのです。ここから畑という漢字ができました。

このように土地を火で焼くということは、地面を清めるということを意味します。あのアダムの罪によって生じた厄介な雑草を焼き払い、なおかつアベルの血を吸って呪われた地面を灰で中和し、聖める働きをするのが火なのです。ですから良い畑を作るためには、この土、地面をまず聖めなければなりません。そのことによって、呪われた地が神の畑に代わってゆくことができるのです。そしてこの火というのは、神の霊、聖霊のことを指しています。

イザヤ書32:15(口語訳)にこういうみ言葉があります。「しかし、ついに霊が上から我々の上に注がれて、荒野は良き畑となり、良き畑は林のごとく見られるようになる。その時、公平は荒野に住み、正義は良き畑に宿る。」これが良い畑を作るための土作りです。それから、種を蒔き水やりをして、作物が実るのではないでしょうか。神様の霊の炎が降る時、不毛の地が良い地に変り、豊かに実をつけてゆきます。それを成し遂げてくださるのが、神の霊なのです。神の霊が炎のように降り、私たちの心の中の罪、汚れを燃やし尽くして、私達を良い畑にしてくださるのです。今は聖霊が降る時、荒野が神の畑に造りかえられてゆく時です。

3. 種蒔きと水やり

次に、畑の種蒔きと水やりについてみてみたいと思います。本当にここに住んでいますと聖書のたとえ話やいろんなことが良く解り、気づかされます。そして実際に畑をやったり、庭の手入れをしたりしていますと、聖書のたとえがよく解ります。例えば、他にも有名な種蒔きのたとえ話で、四つの地面があることが語られています。一つは、道端、二つ目は石地、三つ目は茨の生えている場所、四つ目は良い地となっています。そしてこの四つの地面が、ちょうど教会の目の前にあるんです。私はいつもこの四つの地面と格闘しています。

道端は、目の前の道路です。いくら種を蒔いても実りません。車につぶされてしまいます。石地はこの駐車場です。この駐車場に何か植えようとしても、地表から30センチは砂利が出てきます。ですから砂利をつるはしで掘ってその下の土まで掘り下げるか、砂利の上に土を盛るかしなければ植物はうまく育ちません。そして茨の地は段差になっている森の木の下の部分です。いくら植えても、雑草がすぐその上におおいかぶさって来ます。ですからいつも回りの雑草を刈り取ってやらないと植物は育ちません。そして良い地もあります。それが後ろの教会の畑です。ここは比較的日当たりも良く、作物を植えることができます。(マタイ13:1〜23)かろうじて、ここにだけ、種を蒔いて作物を育てることができました。

このように、その土地が良い地であるかどうかによって、実をつけるかどうかが変ってきます。ですから、私達もよく耕された柔らかい心で、御言葉の種をしっかりと心に受け止めてゆくことが大切です。これが神が耕された神の畑なのです。そしてこの畑に種を蒔いたのがパウロであり、水やりをしたのがアポロだったのです。今日の聖書箇所を読んで見ましょう。

「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させて下さる神です。植える者と水を注ぐ者は一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」(1コリント3:5〜9)

大事なのは最初に来て、福音の種を蒔いたパウロでもなく、その後に来て御言葉で養ってくれたアポロでもなく、成長させて下さる神様であるというのです。蒔かれた種の中に命があるのです。ですから私たちはこの御言葉の種を心にしっかりと受け入れて、手放さないようにしてゆくならば、この種が育って実をつけてゆきます。私たちは単なる入れ物であり、苗床に過ぎないのです。

また夏場は、しょっちゅう玄関の蛇口からバケツとじょうろで、何回も水を運ばなければなりません。重労働です。来年は、もっと長いホースをつけて、畑まで届くようにしようかと思っています。「私パウロは植え、アポロは水を注いだ」と言っています。でもアポロもパウロも神様の畑のための同労者にすぎません。その種の中にある新しい命を成長させて下さって、豊かに実を結ばせて下さる神様が大事なのです。命の種が蒔かれても、そこに良い地がなければ実をつけるまでは行きません。この良い地を備えてくださったのは神様です。

そして皆さんは神の畑だとパウロは言っています。ここにこうして私たちの教会が建てられ、永遠の命に至る実を結びつつあります。今まで、大上宣教師、そして歴代の牧師が来て水をやり、雑草を取り、畑の固い石を取り除き、追肥をしてくださいました。こうして、今、神の畑にいろんな作物が植えられて、育っているのを見る思いです。

4. 神の畑の収穫

最後に野菜の収穫と料理についてお話したいと思います。ある時、朝散歩に出て、畑の前に立ちました。農家の畑と違って、教会の畑は狭い場所にいろんな作物が、作付けの仕方も考えないで、自由に植えられております。その畑を見ながら思ったことは、この狭い場所にいろんな作物があるということです。一見雑然としていますが、どこかにぎやかな家庭的な雰囲気のある畑に見えてきました。この辺の大農家の落花生畑やスイカ畑と違います。農家の畑はどこまでいっても同じ作物が遠くまで植えてありますが、教会の畑は小さい所にいろんな野菜あります。

私達もそうだなと思いました。いろんな人が居ます。いろんな賜物を持った人が居ます。ある人は奏楽をし、ある人は印刷物を造り、ある人は伝道し、ある人は草を取り、ある人はお話をし、ある人は話を親身に聞き、ある人は祈ります。それぞれが働きや奉仕が違いますが、ひとつの畑の上に、それぞれの特徴をもって、それぞれの御霊の実つけているのです。

いろんな種類の野菜がなっているようです。同じしその葉でも赤と青があります。様々です。そしてどれも無駄な作物は一つもありません。みんな貴重な食糧です。大根が自分は一番重くて収量が多いといっても、じゃあ誰が味をつけるのですか。味付けには小さな唐辛子が必要です。ゴマもしその葉も必要です。また山椒も必要です。山椒は小粒でもピリッと辛いですが、良い味を出します。いろんな野菜が入って一つの鍋に入り、神様の食卓を飾るのです。これが、神様が喜ばれる神の食卓です。主の晩餐式はそういう意味があります。いろんな人が居てもイエス・キリストの贖いは一つ、からだは一つ、霊は一つです。一つの食卓を囲むのです。(1コリント12:12〜13、エフェソ4:4〜5)

ローマ12:3にこういう言葉があります。「私に与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えて下さった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。というのは、私たちの一つのからだは多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」(ローマ12:3〜5)

自分を誇ったり、高ぶったりして、我こそはではなく、皆が必要なのです。あの小さな山椒の粒がなければ成り立ってゆかない、これが一つの食卓、一つの体である教会なのです。そして、私たちは一人一人違いますが、皆、神の畑の中にあって、それぞれがそれぞれの働きを担い、互いに一つの畑の中にある作物の一つ一つです。それぞれが、かけがえのない神の畑の一員なのです。この神の畑の一員とされていることを心から感謝したいと思います。そしてまた、互いに相手を必要とし合い、心を一つにして、聖霊の一致を保ちながら進んで行きましょう。

アドベントに入りました。乙女マリヤの胎に聖霊様によって御子イエス・キリスト様が宿られました。マリヤは本当に良く耕された柔らかい畑のような心を持っていました。マリヤのように、私たちの心の中にも聖霊様が豊かに注がれるように祈りましょう。聖霊様の炎で心の雑草や余分な木を焼き払ってもらいましょう。固い心の土を奥底から掘り返していただきましょう。そして底にある固い石や、苦い罪の根っこを神様の前に告白して神様に取ってもらいましょう。そこに命の御言葉の種を納めて、しっかりと手放さないようにしたいものです。時が来れば芽を出し、葉が茂り豊かに実を結び、いろんなおいしい野菜が取れるようになります。

                                    (岡田 久)

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