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神の愛による選び (エフェソ1・3~6)

メッセージ

2010年6月6日富里キリスト教会
「神の愛による選び」
(エフェソ1:3~6)

1. はじめに

主の御名を賛美いたします。
早いもので、6月に入りました。今月は来週「召天者記念礼拝」、20日は「父の日礼拝」、そして26日(土)は「プレイジング・タイム=賛美と証の集い」が予定されています。特に、このプレイジング・タイムは初めての賛美の集会です。ともに集まって、心から主をほめたたえ、皆さんの証と賛美を分かち合いながら、祈りの時を持ってゆきたいと願っております。

詩篇の中に「ハレルヤ」という言葉が出てきます。また、教会でもよく「ハレルヤ」という言葉を口にします。これは、ヘブライ語ですが、「ハレル」は「賛美せよ」で、「ヤー」は「主」という意味です。ですから、日本語では「主を賛美せよ」と訳されています。そして、詩篇の最後の部分では「ハレルヤ、ハレルヤ」という賛美の言葉で終っています。また、ヘンデルの「メサイヤ=救い主」という曲も最後は、ハレルヤコーラスで終っています。神様は、人間を神に対して賛美を捧げ、感謝する者として造られました。人間の本来あるべき真の姿は、神様の前に出て、神様に感謝と賛美を捧げることです。今月の賛美集会も、神様の御臨在を感じるようなすばらしい集会になればと願っております。

では一体神様の何を賛美するのでしょうか。それは神様はどんなお方なのか、どんなことをされたのかと言うような、神様のご性質や神様のみ業をほめたたえ賛美をすることです。聖書は神様について書かれてありますが、特に今日は、その神様のご性質と働きについて、きちんとまとめられて記されている聖書の箇所を取り上げさせていただきました。ここを読むと、本当に神様をほめたたえずにいられなくなるようなすばらしい聖書の箇所です。

2. キリストにおいて

短い箇所ですが、もう一度読んでみましょう。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たして下さいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(エフェソ1:3~5)

このエフェソ書の1章3節から14節までは、三位一体の神様の働きが書かれてあるのですが、前の口語訳聖書では、文章の切れ目がなく連続して書かれておりましたので、何を書いているのか良く理解できませんでした。でも、この新共同訳聖書の訳を通して、神様のお働きが解りやすく、文章が区切って書かれてありますので理解できると思います。3~5節までが、父なる神様について、6~12節までがキリスト様について、そして13~14節までが、聖霊なる神様について書いてあります。

そして私たちが、この父、子、御霊なる三位一体にして唯一の神様のことを知ることが出来、その尊い救いに預かることのできたのは、イエス・キリスト様の受肉と十字架、そして復活の福音を信じることによって、神様の祝福と愛を知ることができたのです。ですから、この3節から14節までの間に、「キリストにおいて」が6回、「キリストによって」が2回出てきております。私たちが、父なる神様、聖霊なる神様の祝福を知り、それをいただくことができるのはこのキリスト・イエスを通してなのです。このキリストにおいて、私たちは天のあらゆる霊的な祝福で満たされているのです。

霊的な祝福と言いますのは、イエス・キリストを通して罪赦されて神の子とされ、すでに天に私たちの名が記されていることです。そして、キリストを通して、すでに私たちの心の中に天国、すなわち神様のご支配が始まっているということです。この地上にあっても霊的な喜び、平安、感謝といった祝福が与えられていることです。天の祝福が、今自分の心の中に与えられていることです。

3.神の愛による選びと定め

4節のところに「キリストにおいてお選びになりました」とあります。さらに、5節には「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」とあります。つまり、神様は私たちを聖なる者、神の子にしようと選んで下さった。しかも、それは天地創造の前からというのです。これも霊的な祝福の一つです。

皆さんは、いつ神様が自分を選んで導いて下さったとお思いでしょうか。私は、自分が高校生の時にイエス様を信じましたから、約40年前に選ばれたかなあと思っていました。あるいは、生まれる前、母親のお腹にいる時から、すでに選ばれていたのかと思っていました。でも、そうではありません。神様が私をクリスチャン、神の子として選んで下さっていたのは、私たちが生まれる前のはるか彼方、なんと天地創造の前からなのです。何億年、何十億年も前からすでに神様は私を救おうとご決心されて、天地がまだできない前から選んで下さっていたのです。さら、神様の方で「前もって定めて下さっていたのです。」

神様は私たちを選んで下さっただけではなく、「前もってお定めて下さった」とあります。これは、運命付けられていたと言うことです。変わることのない決定事項なのです。「神様、私は選ばれる価値のある人間ではありません。」と恐縮して遠慮して言っても、もうすでに神様の胸のうちは決まっておられたのです。たとえ、選ばれるにふさわしくなく、クリスチャンとしてふさわしくなく、いつも御心を悲しませているような私たちでも、選びは神様の側にあり、神様がそのように運命ずけておられたのです。それが「前もって定めておられた」と言う言葉です。

皆さん、どうお思いでしょうか。「いや~、プレッシャーだなあ。」と思いますか。「自分はそんなものではない」と逃げ出してしまいますか?神様は、私たちにプレッシャーをかけようとしておられるのではありません。この選びは、神様が私たちに一方的に、祝福を与えていっぱいにして下さるという選びです。神様はその大きなの愛の故に、私たちをイエス・キリストの十字架の贖いという大きな代償を払って下さったのです。しかもそれは、はるか原始の世界から定められていた神様の決定事項なのです。誰もその定めを変えられないのです。

私はこの箇所を読んで、この神様の大きな愛と祝福を、取るに足らない者に、無償で無条件で与えてくださったことに驚きを感ぜずにいられませんでした。40年前に選ばれたのならまだしも、私が生まれる前から、更に天地万物が造られる前から選ばれていたこと、そして、その神様の祝福と愛に預かるように定められていたということです。驚きました。そして、思わず、「神様、感謝します。あなたの御名を賛美します。あなたの選びと定めは変わりません。

どんなに私が神の子にふさわしくなくても、不十分なクリスチャンでも、あなたの心の中ではすでに神の子として確定しておられるのですね。イエス・キリスト様の父であるあなたに感謝し、心からその御名を賛美します。」と叫び出したくなりました。祈りもあまりできない、礼拝に休みがちだ、十分の一献金もまだできていない、今まで一人も救いに導いたことがない、こんなクリスチャンでいいのだろうか。天国に行けるだろうかと、確信がなく不安を持っているような私でも、神様は天地創造の前から選び、神の子としてお定め下さっておられるのです。

3. 神の目的

でも、神様が私たちを神の子として選び、運命ずけて下さったのには、一つの目的がありました。それが、4節にあります「天地創造の前に、神は私たちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」とあります。神様が私たちを選ばれたのは、最終的に私たちが、神様の前に「聖なる者」「汚れのない者」になるようにという願いを持って選ばれたのです。神の選びには、目的がありました。私たちが聖なる者となるためです。汚れのない神の子となるためです。

聖なる者とは、何回か申し上げてきましたが、読んで字の如く、「耳」と「口」と「王」という字から成り立っております。私たちが、耳で御言葉を聞き、口で主に向って祈りの声をあげることです。そして王なる主が私の心の中に宿ってくださることです。簡単に言いますと、御言葉と祈りを通して、祝福の源であるイエス・キリストがわが内にいてくださる状態、これが聖なる者の姿です。そして、そのことによって、わたしたちの罪が少しづつ、薄皮をはぐように取り去られて行くことによって、神様の前にやがて、傷も汚れもない者として立つことができるようになるということです。そのような者になるようにと、神様は私たちを天地万物の初めからあらかじめ選んで下さったのです。

それでも、今一つ自信がない、いくら神様の選びと言っても、自分の現実の姿を見るならば、どうしても失望してしまう、聖くなろうとする意志はあるがそれができない自分の現実の姿に、がっかりしてしまうことがあるという方もおられるかも知れません。神様が私たちを選んで下さったのは大きな目的があるんです。そしてその目的に向って、私たちは少しづつ前進しております。私はどうも選ばれていないかも知れないと、ガッカリする必要はありません。神様は一人ももれることなく、全ての人が神様の祝福にあずかることを願っておられます。

いや私は信仰の道からはずれてしまっていると、思っているような方でも安心して下さい。神様は、そういう弱い私たちのために、聖霊様という保証人をつけてくださいました。13~14節に「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証です。」とあります。

たとえ、神様の選びに自信が持てない場合でも、神様は、わたしたちが神の子であるという保証書をつけてくださいました。ここに一枚の保証書があります。これは、もしこの製品が故障したら、5年間は保障期間ですので、いつでも無料で修理してあげますと言うことが書いてあります。私たちクリスチャンも、長い信仰生活の中で、いつかは疲れたり、金属疲労で故障してしまう時があるかも知れません。でも、大丈夫です。聖霊様の保障期間は期限がありません。永遠に保障して下さいます。たとえ、途中で壊れてしまっても、聖霊様が、「この人は間違いなく神様の子です。」と保障して下さいます。そして、動かなくなっても、ちゃんと聖霊様の油を注いで下さり、修理をして元通り動くことができるようにしてくださいます。これが聖霊様の働きです。

またイエス・キリスト様の十字架の贖いも永遠に効果を持っていますから、常に私たちの罪を赦し、聖めて下さり、しみも汚れもない者にしてくださいます。過去、現在、将来にわたってキリストの十字架の血による贖いの力は効果があります。そして最終的には、このからだが完全に贖われて、神様の所有物となって永遠に神の御名を讃えて行くことができるのです。今日も、この後、主の恵みの晩餐式がもたれます。イエス・キリストの裂かれた肉と流された血潮を、パンとぶどう酒をしるしとしていただきます。これが、「キリストにある」私たちに対する神様の愛と祝福のしるしです。

この「キリストにある」主の晩餐式に預かる時、私たちはもう一度、はるか昔から定められておられた、目に見えない父なる神様の霊的な祝福と選びを振り返りたいと思います。そして主の十字架の贖いの恵みを感謝しつつ、私たちが完全に贖われて、神様の前に聖なる者、汚れのない者として立つ者として選ばれ、定められていることを感謝し、心からイエス・キリストの父なる神様をほめたたえ、主の来臨の時まで証と祈りと愛の業に励んで行きたいと願っております。
                                                    (岡田 久)

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