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神の愛から引き離されない (ローマ8:31~39)

メッセージ

2010年11月28日富里教会
「神の愛から引き離されない」
―世界祈祷週間礼拝―
(ローマ8:31~39)
1. 日本に来たバプテストの宣教師たち

日本で初めて聖書を日本語に翻訳したジョナサン・ゴーブルは、1860年(万延元年)に、アメリカの「バプテスト自由伝道協会」から遣わされ、「マタイ福音書」を日本語に翻訳しました。その後、1873年に「米国バプテスト宣教師同盟」からネーサン・ブラウンが66歳で来日し、日本人の川勝鉄也と一緒に、日本語のひらがなによる新約聖書を完成したといわれております。彼らは北部プテスト系の宣教師でした。

南部バプテストの宣教師は、1860年にエドウイン・フォレスト号に乗ってローラー夫妻がニューヨークを出発しました。ところがこの船は途中で難破してしまい、二人は日本の土を踏むことができませんでした。その後、1889年にマッコーラム夫妻とブランソン夫妻が横浜に上陸し、南部バプテストの日本宣教が始まりました。この二組の宣教師は、その後神戸から大阪に移動して伝道しましたが、北部バプテストとの申し合わせにより、九州地方を中心に伝道することになり、1992年に、若松、小倉、門司、芦屋を拠点に南部バプテストの伝道が始まりました。

その後太平洋戦争中は、軍部の圧力によって、バプテスト連盟も同盟も第4部として日本キリスト教団に統合させられました。多くの宣教師は帰国を命じられましたが、ギャロット宣教師は、日本に残り続けスパイ呼ばわりされながら、苦労して伝道を続けました。その後、捕虜として捕えられアメリカの日本人捕虜との交換に使われて帰国させられてしまいました。そして戦後、ドージャー宣教師夫妻が来日し、戦後の焼け跡から日本バプテスト連盟の本格的な日本伝道が始まりました。

バプテスト教会の古い信徒の方々は、多くの方が宣教師によって救いに導かれ、ある人は牧師になったり、ある人は教会役員になったりして現在、伝道と奉仕に励んでおります。そして、この富里教会もウエスト・ブルック宣教師、大上先生ご夫妻、ミヨコ・スカゲン先生などの働きによって、今日あるを得ております。願わくは、私たちの教会からも新しい宣教師が起こされ、海外宣教に派遣することができたらと願っております。そのような祈りも、今週は捧げて行きましょう。

私はこの中で、1860年にニューヨークを出発したまま、目的の日本に行き着くことができなかったローラー夫妻のことをいつも思い起こします。たとえ、目的地に行けなくても、彼らの信仰と祈りは実際に生きて働いて、今日300を超えるバプテスト連盟の教会が日本のあちこちに建てられました。おそらく天国から、御夫妻は、ああ自分たちの夢も祈りも、そしてあの遭難も決して無駄ではなかったと満足して見ておられると思います。

その後もなお、神様はこの日本に次々と宣教師を送り出しました。中には、急死される人もいました。また、孤独な外国生活で精神的な病になって帰らざるを得なくなる人もおりました。どんな危険が待っていようとも、どんな犠牲を払っても、神様は何としてでもこの日本人を救いたいと願っておられます。そして今日に至るまで、日本人の救いのために多くの宣教師を遣わしてまいりました。そしていまも次々と遣わしております。日本に対する神様の愛は尽きることはありません。

2.神の愛から引き離されない

今日の聖書箇所のローマ書8:31~36までを読んでみましょう。
「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神が私たちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座って、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。『わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている。』と書いてあるとおりです。」(ローマ8:31~36)

せっかくアメリカを出発したのに、途中で太平洋の波にのまれてしまったローラー夫妻のことを思うと、胸が熱くなります。これから日本に行って伝道しようと思っていたのに、嵐の中で一体神様の御心はどこにあるんだろうと、神様に叫んだかも知れません。また、自分たちの人生を、自分たちの決心を悔やんだかも知れません。誰でも思います。せっかく神様の御用にあたろうとしている矢先に、こんな目に会うなんてと。この二人の遭難によって、南部バプテストの日本での伝道は、他派に比べて約30年の遅れをとりました。

でも、私はたとえ二人が途中で遭難して目的を達成できなかったとしても、この二人の願いと祈り、そして二人を送り出した当時の南部バプテストの信徒の祈りは決して無駄ではないと思います。日本の伝道はすでに、祈りの中で始まっていたのです。宣教師派遣は祈りの働きの延長線上にあるのです。南部バプテストの信徒もローラー夫妻も、すでに祈りにおいて日本に伝道を始めていたのです。たとえ途中で、目的を達することができず海の藻屑となってしまっても、祈ることによって宣教の目的はすでかなえられていたのです。「だから、言っておく。祈り求めるものはすでに得られたと信じなさい。そうすればそのとおりになる。」(マルコ11:24)。祈りはわたしたちの祈りではなく、聖霊様のうめくような祈りの声です。神様ご自身がすでにそのように祈っているのです。神様の御心に従って、聖霊なる神様が祈ってくださるので、それは必ず実現します。

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。『わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている。』と書いてあるとおりです。」(ローマ8:35)どんな迫害や艱難や苦しみ、死に直面しても、十字架に架けられた神であるイエス・キリストの愛からわたしたちを引き離すことはできないのです。私達の罪の故に十字架に架かり、罪を贖い、愛してくださり、永遠の命を与えて下さったお方の一方的な愛の故に、わたしたちは勝ち得て余りがあります。

今は恵みの日、救いの日です。福音を宣べ伝えましょう。祈りましょう。でも、私たちが宣教師となって全世界に出てゆくことが出来ないから、献金と祈りを捧げるのではありません。世界宣教は、まず祈りから始まるのです。ローラー夫妻の祈りと、わたしたちの祈りは変わりません。同じです。この教会が世界宣教の出発点なのです。祈りが宣教者、働き人を起こすのです。祈りによって人が遣わされます。祈りによって救いが起こります。祈りによって教会が建ってきます。今週は世界祈祷週間です。全世界のバプテストの教会が心を一つにして祈っています。また、家族やこの町の救いのためにも心を一つにして祈ってゆきましょう。                     (岡田 久)

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