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神には何一つできないことはない (ルカ1:26~38)

メッセージ
2019年12月1日富里キリスト教会
「神には何一つできないことはない」
(ルカ1:26~38)
1. おめでとう、恵まれた方

「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけである乙女のところに遣わされたのである。その乙女の名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』」(ルカ1:26~33)

六か月目と言いますのは、親戚の高齢の女性エリサベトが妊娠してから六か月目ということではないかと思います。神様は、イエスが生まれる前にいろいろと布石を打っておられるような気がします。いきなり、結婚のしていない若い女性に「あなたは妊娠して子供を産みます。」と告げるようなことはしません。親戚の赴任の女性でも神様の恵みをいただいて妊娠することがあるという事実をあらかじめ準備されました。バプテスマのヨハネはイエス様の先駆けとして、人々の心を整える働きをしましたが、ヨハネのお母さんエリサベトもイエスの母親であるマリアを励まし助けるというすばらしい働きをしました。1:39からそのことが書かれてあります。

ガブリエルは、天使の中でも最高の地位に位置する天使で、神様の御心を伝える働きをします。そして天使ガブリエルが伝えた最初の言葉は、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(1:28)です。皆さん、新約聖書の一番最初の言葉は、「おめでとう!」なのです。マリアのいいなずけのヨセフに対しても天使は、「恐れず、妻マリアを迎え入れなさい。」(マタイ1:20)です。「恐れるな」との言葉です。またエリサベトの夫祭司ザカリヤに対して告げられた天使の言葉の第一声も、「恐れることはない、あなたの願いは聞き入れられた。」(ルカ1:13)です。

これが新約聖書の第一声なのです。先週わたしたちは旧約聖書の最後の個所を学びました。覚えていますか?「しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように、躍り出て飛び回る。」(マラキ3:20)義の太陽、すなわちイエス・キリストの救いの光が照り輝き渡るということです。その義の太陽の光が、今イスラエルの民に、ナザレのマリアとヨセフ、そしてザカリヤ夫妻の上に立ち上ったのです。

その第一声が、おめでとうです。このマリアに語られた「おめでとう」は特別のおめでとうです。全人類に対するメッセージであり、暗きに住む人々、悲しんでいる人々、病んでいる人々、義に飢え渇いている人々に対する大いなる慰めと祝福の言葉なのです。そして羊飼いという貧しい人々や、外国の博士たちにも伝えられて備えられました。

まず真っ先に、あのマラキの預言の言葉が、このナザレの名もない一人の乙女に告げ知らされました。「おめでとう。恵まれた女よ。主があなたと思いにいます。」と。いかがですか?普通、未婚のまだ結婚していない若い女性が、いきなり妊娠しました。と告げられたらどう答えますか?たいていはすぐに言う言葉は、「相手は誰?」でしょう。誰が親になるの?世間に知られたらどうしよう?誰が育てるの?もう問題だらけの爆弾を抱えてしまったような結果になってしまいます。お先真っ暗です。恐怖と心配で人生ももう終わりです。

でも皆さん、心配しなくてもいいです。恐れる必要はありません。今は義の太陽が昇っている時代です。全てのことは神様がご存知であり、知っておられます。
大事なことはそのことを素直に告白して主に委ねることです。マリアに対して天使は「おめでとう」と言いましたが、マリアに関係している人々には、「恐れることはありません。」です。自分で何とかしよう、なかったことにしよう、なんとか始末しよう、削除しようと考える必要はありません。そのとおりにしなさい。主に委ねて行けばいいのです。なぜなら、おめでとうの時代だからです。どんな悲劇も悲しみも失敗も挫折も、プラスに変えて下さる時代に入ったのです。それがこのマリアの処女降誕の時代です。

今は「おめでとう」の時代です。失敗や取り返しがつかない、死んでお詫びをするという時代ではないのです。全てが、どんなことでもおめでとうなのです。台風で屋根が飛ばされてもおめでとうです。少し不謹慎かもしれませんが、葬儀があってもおめでとうなのです。内村鑑三は、愛娘ルツ子の葬儀に当たって、万歳と言って埋葬したと聞いております。天国への凱旋です。なぜなら、どんな時でも、何があっても主が共にいて下さるからです。生きている時も、死んでからも主が共にいて下さるのです。そのようなプレゼントをわたしたちはすでにいただいているのです。神様のお恵みをいただいて、いつでも主が共にいて下さる、恵みの時代なのです。だからわたしたちはいつでもおめでとうなのです。

2. マリアの戸惑い

しかしそうは言われても、そうできない時もあります。おめでとうの時代、恵みの時代、主がどんな時でも共にいて下さる時代なのですが、わたしたちの側にまだそこまで行けない弱さがあります。マリアは、天使に対して二回戸惑いの疑問をぶつけました。一つ目は29節にありますが、「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」とあります。

マリアも最初は戸惑ったのです。いくら新しい恵みの時代でありましても、あまりにも唐突な出来事を告げられました。誰でもそうです。自分が希望したことのない、突拍子もないことを告げられたのですから。「はい分かりました。ありがとうございます。」とはすぐには行きません。戸惑ったのです。考え込んでしまったのです。英語ではMary was greatly troubled at his word となっています。大いにトラブルを抱えてしまったということです。大混乱です。うつになるほど考え込んでしまいました。

ヨハネの父親であり、エリサベトの夫でもあるザカリヤは、祭司であるにもかかわらず、いくら天使が詳しく説明し、説得しても信じませんでした。あなたの老齢の妻にも子供ができると。しかしザカリヤはこう言いました。「わたし老人です、妻も年取っています。一体全体どうしたらそのことを信じることが出来るでしょうか。何か確かな証拠を示して下さい」と天使に言っています。この結果、祭司ザカリヤは、「子供が生まれるまで話すことが出来なくなる」(ルカ1:20)という罰を受けました。

祭司であっても天使の言葉を信じられませんでした。その結果、口がきけなくなってしまいました。でもマリアは、その自分の疑問や納得ができない点を率直に天使に訴えています。「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りません。」と答えました。今まで男性とデートしたこともつきあったこともないのに、なんでその私が男の子を産むことが出来るのでしょうか。いくら偉大な人、イスラエルを治める人、聖なる人で神の子と言われるような人で会っても、未婚の私が子供を産むなんで信じられませんとはっきりと言っています。

この率直さが大事です。自分の疑問や反論を納得がゆくまでハッキリと言えるということです。信じられないことは、自分が信じることが出来るまで、納得がゆくまで問いかけてください。中途半端にしないで、納得がゆくまでとことん問いかけてください。必ず主御自身が答えてくださいますから。するとガブリエルはこう言いました。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子と身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神にできないことは何一つない。」と。(ルカ1:35~37)

ガブリエルは、マリア以外の他の女性の事例を挙げてくれました。天使がちゃんと説明し、励ましてくださいます。中途半端なところで納得しないでください。信じているふりをしないでください。信じることが出来るまで悩み考えることです。そういう考える時間、思いめぐらす時間、戸惑いを覚える時間が大事なのです。するとこの不信仰なマリアに、聖霊が降りました。聖霊が降り、聖霊がマリアを包みました。聖霊が降る時、必ず目を開いて下さいます。

するとマリアは、一転して「わたしは主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように。」と答えました。聖霊がマリアに働いて、天使ガブリエルの言葉を信じさせて下さったのです。聖霊が働かなければ、誰も主を告白できないし、信じることはできません。聖霊様が降るまで待って下さい。聖霊に満たされるまで待って下さい。聖霊が降らなければ信じられないことであり、従うことが出来ないことです。

更に天使は、エリサベトの事例も告げています。高齢で出産はできないと言われていた女性も、今すでに妊娠しているというのです。神様は、このようにしてたとえ不信仰な者でありましても、周囲のいろんな出来事を通して神の奇跡的な御業を示して励ましてくださいます。マリアはエリサベトの妊娠を聞いて、「神にはできないことはない」と信じるようになりました。このようにして神様は、一人の人にだけ働くのではなく、その周囲の人々にも働いて神の御言葉の確かさを実証させて下さるお方だということです。

3.人々に働く救いの御計画

このようにクリスマスの出来事は、一人だけではなく、いろんな人々に働いて起こった出来事だったということです。神様の御業はいろんな人に働き、いろんな出来事を通してその目的を遂行されるのです。そのような様々な出来事を見たり、聞いたりしたならば、これは神様のご計画だということを悟ることが大事ではないでしょうか。

例えば、この間の台風15号による屋根のトタンが飛ばされるという被害もそうです。富里市の中には、まだブルーシートがしたままの屋根があちこちにたくさんあります。手つかずのままです。でも私たちの教会では、すぐに足場が組まれ、屋根の修理も広範囲になされました。そしてその修理費も保険で賄うことが出来ました。いったい誰がこのような結果を予想できたでしょうか。

富里教会の一番の弱点は、この会堂や井戸水道などの修理と手入れです。建物が老朽化してきていると同時に、誰に頼んだらいいのか信頼できる業者さんが見つかりませんでした。そう祈っていましたら、なんと今、転入会の準備をしておられる姉妹がリフォームのお仕事をされているということが分かりまして、今回の屋根の件も早速お願いしました。そうしたら、すぐに来てくださり工事をして完成したではありませんか。しかも、工事費用を保険で支払うことが出来ました。神様が富里教会に一番必要な人を遣わしてくださったのです。富里教会は本当に神様に祝福され恵みを受けています。

また今、もう一組、現在他行会員から現在会員への回復の準備をしておられる方がいます。そして長年放蕩息子のような生活をしてきていましたが、いろんな出来事や人の出会いによって、今回不思議にもまた現在教会へ復帰をするきっかけができました。証の中でもお話して下さると思いますが、いろんな人々との出会いがあって、不思議な導きによって又回復へと導かれました。本当に神様は、いろんな人に働いてご夫妻が教会に戻るようにして下さったのだなあと思いました。そういう時があります。

群れから出て行った方々が次々と帰ってくるような気がしています。神様の恵みの年、義の太陽が昇る時がやって来たのではないでしょうか。わたしたちはただ神様の御業を見ているだけです。そして神様はわたしたちに何よりも、「おめでとう!恵まれた人よ!」と言って下さっているのです。たとえ突然未婚の女性が妊娠しても、今は「おめでとう!」の時代なのです。神様が救いを行うのです。主の熱心がこれをするのです。これがクリスマスです。

わたしたちではありません。わたしたちはただ、「主よ、わたしはあなたの僕です。あなたの御言葉がわたしを通して成し遂げられますように。」と祈るのみです。子供たちが、クリスマスプレゼントを楽しみにしてワクワクして待っているように、クリスマスの出来事は、神様の恵みのプレゼントの出来事なのです。これは神にしかできないことです。そして神にはできないことは何一つありません。わたしたちがするのではなく、神がするのです。この神様の恵みの業が、この教会にそしてわたしたち自身の内になされますようにと、このクリスマスの季節に祈ってまいりましょう。(岡田 久)

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