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神が戦って下さる (ネヘミヤ4:9~12、5:6~12)

メッセージ

2012年10月21日富里キリスト教会
「神が戦って下さる」
(ネヘミヤ記4:9~12、5:6~12)

1.神が戦う(武器ともっこ)

ネヘミヤは、ペルシャから来るときは、ユダヤ地方の知事として多くの行政官とペルシャの兵士も伴って来ていました。そして現地のユダヤ人と協力して、敵に警戒をしながら、修復作業も同時進行して行いました。4:10から読んでみましょう「その日からわたしの部下たちは、半分は作業に従事し、他の半分が槍と盾、弓と鎧を身につけ、将校たちがユダの家全体の背後に控えた。城壁を築く者、もっこを担いで運ぶ者は、一方の手で作業をし、もう一方の手には投げ槍を取った。建築作業をする者は、各自腰に剣を帯びて作業をした。私はそばに角笛を吹く者をつけた。」(4:10~12)とあります。

このように私たちも、教会を建て上げるためには、外敵に対して警戒をしなければなりません。そのためにはいろんな霊的な武具が必要です。槍、弓、剣は敵を攻撃する時に使うものです。エフェソ6:10~20(新約P359)を見てみますと、これは敵を攻撃する武器、すなわち御霊の剣すなわち神の言葉です。聖書の言葉をしっかりと身におびて、敵からの攻撃に備えなければなりません。そして、盾は、信仰の盾、鎧は身を守る防具ですが、これは正義の胸当てです。角笛は、会衆を呼び集めるための笛です。「みんな教会に集まれ!」という招きの声、招詞です。人々への伝道と証しの声です。

こうして祈りつつ、武器を身にしっかりと着けつつ、教会の建設作業を行うのです。ここでは、城壁を築く者ともっこを担いで土を運んでくる者がいました。
土を、レンガを積み重ねた枠の中に入れる作業です。城壁の煉瓦が積み重ねられてゆくためには、一個一個削られて滑らかになって重ねられなければなりません。これは、お互いの硬い角が取れて、表面が滑らかになってぴったりと一個一個組み合わされるということです。自我が削られるということです。

皆さんはもっこを担いだことがありますか。わらで編んだ風呂敷のようなものを二人で棒を通して片方ずつ担ぐものです。重い物を二人で運ぶ時に使います。
これはお互いの重荷を担い合うということを意味しています。お互いに、相手の欠点をカバーしてあげるというとこです。相手の弱さを忍耐を持って補い、担い合うということです。誰も完全な人はいません。みんな罪人であり、弱さも欠点も持っています。

そういう相手の罪や弱さを時には叱って戒めたり、時にはぐっとこらえて受け止めて行くこともあるでしょう。それがお互いの重荷を担い合う、二人でもっこを担ぐということではないでしょうか。そのようにして、目に見えない霊的な教会の城壁が、少しずつ構築されてゆくのです。実に、忍耐と愛と赦しと信仰のいる作業です。そういうユダヤ人同士の内部の問題と、その戦いを取り上げているのが次の第5章です。

2.内部の問題(富裕層と貧困層)

そして2節には、最下層の人々が「生き延びるためのパンが欲しい」と訴えています。そして次の層の人々は、3節で「畑も家も抵当に入れなければならない。」と訴えています。そしてその上の層の人は「税金を払うために、畑もぶどう園の担保にして借金しなければならない。」と言っています。相当の税金が求められていたようです。そして、その利子が払えないので、息子や娘を奴隷として身売りしなければならないと訴えているのです。

一番貧しい最下層の人々は、口減らしをするためにも、子供を奴隷として手放さなければなりませんでした。いくら、飢饉で貧困にあえいでいるとはいえ、同胞が同胞を借金をかたに売り買いするようなことがあっていいのだろうかと、ネヘミヤはいたたまれないほど憤って、民を集めて訴えました。8節にはこう言っています。「私たちは異邦人に売られていたユダの人々を、できる限り買い戻した。それなのに、あなたたちはその同胞を売ろうというのか。彼らはわたし自身に売られることになるのに。」(5:8)と厳しく、富裕層である貴族と役人に怒りを持って訴えています。すると、ユダヤ人の貴族と役人は黙り込んでしまいました。

つまり、貧しい生活を強いられてきたユダヤ人は、国を失い、隣国の異邦人に奴隷として売られてしまっていました。帰還したネヘミヤは、そういう奴隷のユダヤ人をお金を払って、買い戻して自由にしていたわけです。ところが、貧困層から子供を利子の代わりに取った富裕層の人々は、同胞のユダヤ人の子を異邦人に売るわけです。そうするとまた、ネヘミヤがその売られたユダヤ人を買い戻さなければなりません。儲かるのは、ユダヤの貴族と役人だけです。いくら飢饉になっても、そこにだけはお金がたまる仕組みになっているのです。自分の同胞の子供を異邦人に売り、貴族や役人だけが儲かる、そこに資本がたまるというようなことが、この国にあっていいものだろうかと問い詰めました。

少し合っているかどうかわかりませんが、日本に当てはめてみますと、貴族というのは財閥です。金融や銀行を支配しています。役員とは政府の高官、官僚といわれる人たちです。社会は疲弊して、どんどんと格差が広がっているのに、
財閥と役人だけが絶対に損をしないという仕組みがここにあります。貧困層が、身売りをし、わずかばかりの家田畑を手放し、税金を払うために家や畑を担保に入れるという社会です。役人は税金で生活しますから困りません。税収をあげれば自分たちの生活は保障されます。(私も昔役人生活をしていた時がありますから、その通りです。)貴族といわれる財閥は、資本を活用してどんどん儲けて豊かになる、こういう社会が、ネヘミヤの時代にもあったのです。

3.神を畏れるもの

そういう貴族と役人に対して、ネヘミヤはこう言いました。「あなたたちの行いはよくない。敵である異邦人に辱められないために、神を畏れて生きるはずではないのか。」(5:9)と。実は、ネヘミヤも中央から派遣された知事でもあり、高級官僚の一人でした。ペルシャの中央政府から派遣されていたネヘミヤもその部下も富裕層に属していました。そしてユダヤの貧しい人々にお金を貸していました。

彼は、富裕層が貧困層を搾取している間は、城壁の修復どころではないと思ったのでしょう。そして、ネヘミヤ知事自ら、自分が貸している分の負債、借金を帳消しにすると言いました。そして、貴族と役人も、自分に見習って、借金を帳消しにしてやりなさいと要求しました。このネヘミヤの覚悟に押されて、貴族と役人たちは、「返します。なにも取りません。お言葉どおりにします。」(5:12)と答えました。すると、ネヘミヤはその通りに実行するように、祭司を読んで誓わせました。

ところが、ネヘミヤの偉いところは次の点にもあります。役人と貴族は利害が一緒ですから、ネヘミヤに言われても、その時はハイと答えたかもしれません。でも、すぐに言質を変えることもあります。ネヘミヤは約束の不履行がないために、わざわざ祭司を呼んで来て、神様の前にしっかりと誓わせました。ここまでやらなければ、確約は取れないし、いつまでも不正は無くなりません。国の復興はそこまでしなければならないのです。

もちろん、ネヘミヤ自ら身を切って借金を帳消しにしました。ネヘミヤ直属のペルシャから来た役人もこれに従いました。更に彼は、自分の給料や手当も返上しています(5:14~19)。これ以上民の負担が大きくならないための配慮でした。国のリーダーがまず、神を畏れて生きるということです。そして、まず自らの身を切って、国の貴族と役人の、財閥、銀行、官僚の不正行為をなくすことができるのではないでしょうか。

財政の再建、国の債権は、このようにして富裕層が貧困層の重荷を担うということによって、はじめて実現するのではないでしょうか。過酷な利子を取らない、負債を帳消しにして、一致して城壁再建(財政再建)に取り組むことです。
箴言にこういう格言があります。「金持ちと貧乏人が出会う。主はそのどちらも造られた。」(22:2)「貧しい人を嘲る者は造り主を見くびる者。災いのときに喜ぶ者は赦されない。」(17:5)パウロも言っています。「目が手に向かって、『お前はいらない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちはいらない』とも言えません。それどころか、体の中で他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。・・・あなたがたはキリストのからだであり、また、一人一人はその部分です。」(Ⅰコリント12:21、27)と。

城壁の修復作業には、全員の力が必要です。誰もいらない人はいません。それぞれが、自分の力に応じて、自分の分に応じて自分の持ち場を守るのです。貴族は貴族で自分の持ち場を守り、自分の財力を生かして神殿建設に多くの資金を提供する。そして、役人は役人として働きが必要です。役人がいなければ、町も復興しません。(現に津波で被災された町では、市役所の職員が足りず復興のブレーキになっています。)そして、兵士は兵士として持ち場に着きます。もっこを担いで土を運ぶ者、建築のためにレンガを積み上げる者、角笛を吹く者、それぞれの異なる働きが必要です。このようにして、いろんな妨害と策略が張り巡らされましたが、城壁は52日かかってようやく完成しました。

敵を恐れるのではありません。サタンの働きを恐れることはありません。畏れるのは神様只お一人です。ネヘミヤは言いました。「敵を恐れるな。偉大にして畏るべき主の御名を唱えて、兄弟のため、息子のため、娘のため、妻のため、家のために戦え。・・・敵を恐れるのではなく、あなたがたの神を畏れなさい。そうすれば、神御自身が戦って下さり、城壁の再建を成し遂げて下さる。」と。何よりも、主御自身が戦って下さいます。祈りをもって、この主の前にへりくだりましょう。私たちは、この主の勝利の業を見るだけなのです。(岡田 久)

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