ようこそ、富里キリスト教会の公式ホームページへ

礼拝でのかぶり物 (Ⅰ コリント11・2〜10)

メッセージ

2010年2月14日富里教会
         「礼拝でのかぶり物」
      (コリントの信徒への第一の手紙11:2〜10)

1. コリント教会での女性信徒
コリント教会はパウロが伝道した教会の中でも大きく発展した教会でした。その発展の蔭には、婦人達の働きによるところがありました。教会を支えているのは、女性の働きによるところ大です。そして、この女性の活躍と比例して、教会の中での問題も女性に起因することがありました。その一つがこのかぶり物の問題でした。

どんな事情だったのか11章2節から読んでみましょう。
「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います。ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは髪の毛をそり落としたのと同じだからです。」(11:2〜5)とパウロ注意しています。

つまり女性が、当時の習慣に反して、頭にかぶり物をつけないで、教会の中で祈ったり聖書のことを語ったりしていました。逆に男性が帽子をかぶって礼拝していたようなことがあったようです。今日の私達の教会では、女性はだれも頭にベールをかぶってはいません。ただし、カトリック教会では女性は、教会で祈る時には頭にベールをかぶっているのを見ます。こういう女性の礼拝の中での態度は、単なる礼儀作法上のことではなく、当時は、信仰に関わる大切な事だったようです。

2. かぶり物とは?
なぜ女性が、ユダヤ人をはじめ、当時、頭にかぶり物をつけていたのでしょうか。その起源を聖書の中に求めるならば、創世記のアダムとエバのお話にさかのぼると思います。神様が、女を男のあばら骨から造ったという記事です(創世記2:21〜22)。その理由をある注解書にはこう書いてありました。「神が、女を男の頭の骨から造らなかったのは、女が男を尻にしいて傲慢にならないためであった。また、手から造らなかったのは、貪欲にならないためであった。また足から造らなかったのは、おせっかいにならないためであった。神は女を一本のあばら骨から造った。それは一番御心に適った事であった。なぜなら、あばら骨は外からは、隠されていて目には見えないが、見えないところで、しっかりと男の心を守り、神との霊的な呼吸ができるように、肺を支えているからだ。」というのです。

女が男のあばら骨から助け手として、造られたということは、決して女が男の下だということではありません。助け手とは、選手とコーチのようなものです。
そして、教会では、男の「助け手」としての女ということを、絶えず意識するために、女性は頭にかぶり物、ベールをかぶるべきだとパウロは言っているのです。かぶり物とは、男の権威に従うしるしです。聖書では「頭に力のしるしをかぶるべきです」と書かれてあります。これは、女は男の権威に従う者だということを、告白していることなのです。特に礼拝は、神様とお会いする場所ですし、天使が礼拝の場にいて共につかえているわけですから、天使がどっちが男か女かわからないような、混乱するような態度は慎むべきだと言っているのです。今日でも、イスラム圏の女性はすっぽりとベールをかぶったり、スカーフで髪を隠したりしています。また、日本の皇室でも、公式行事の時には女性は帽子をかぶっておられます。

同様に、女性の髪の毛は、男の権威に従う者であるということの表明なのです。ですから、もし女が男のように、大きな力を持って教会の中で振舞うなら、思い切って男のように、髪の毛をそりなさい。もしそれが恥ずかしいのなら、ちゃんとベールをかぶりなさいとパウロは指摘しています。(11:5〜6)

コリント教会における女性の働きは、相当なものがあったようです。女性がその賜物のゆえに、教えたり、計画したり、奉仕したり、時には男さえも命令するほどの権威をもっていたのではないでしょうか。そして、男がまるで女のように頭に帽子をかぶって、女のように会堂の隅に座って小さくなっているようなことが起こっていたのではないかと想像されます。

3. 第一に男の頭はキリスト
私は以前、11:3を読んで、「女の頭は男である」という言葉が目にとまり、ずっと男が女の上にあって、女を支配する、あるいは弱い女を助けるのが男の立場だと考えていました。ですからいつも、家内を支配的に見ていたのですね。スーパーに牧師が買い物に行ったり、洗濯物をベランダに干したり、人目を気にしてできませんでした。男は、家事料理はすべきではない、と思っていました。そして、女は男に黙ってついて来いと考えていました。でも、その前に、「男の頭はキリストである」という大前提があります。これはやはり、男が頭であるそのキリストの権威に服従する事を求められているわけです。ですから男の栄光は、まず、キリストに絶対服従ということによって神の栄光を現すものとなるわけです。

この事がまず教会生活に置いても、夫婦関係においても最優先されるべきことではないでしょうか。まず第一に、夫が何があってもイエス・キリストにとことん、どこまでも従う事です。妻には従う事を求めていながら、自分はキリストに従っていただろうかと、反省させられました。もし、そうならば、そこで初めて、愛ということを知り、妻を愛することを実践するのではないでしょうか。男が、まずキリストに従う事、これが夫婦生活、教会生活の始まりであり、基礎ではないでしょうか。夫がキリストに従うことによって神の栄光を現し、そのキリストの謙遜と愛のゆえに妻を愛する、そしてその夫の愛に答えて、妻も夫に従うのではないでしょうか。

男がキリストに従う事なしには、女が男に心から従う事はないかもしれません。そして妻は、夫が真にキリストに従うことができるように、「助け手」コーチとして助けることが妻の大切な役目だと思います。妻が直接キリストに従うのではなく、夫がキリストに従うように、妻が見えないところで夫を助け支え励ます事によって、初めて夫がキリストに従ってゆくものとなるのではないでしょうか。そして、男がキリストを頭とするようになって、初めて女が男の栄光を反映することができるのです。

4.第二に女の頭は男
最後に、3節で、なぜパウロは「女の頭は男です。」と、女を主語にして言っているのでしょうか。普通の言葉で表現すると「男は女の頭です」と、男を主語にして言えばいいわけです。その理由として、ここでは女性に向って言っているのです。男に向っては、「男の頭はキリストです」と言っているように、女性に向って、あなたがたの頭は、キリストではなく、男なのですよ言っています。

でも礼拝においては、教会の中では、女は頭に男の権威に従うということを表明するかぶり物をかぶりなさいと、パウロは言っています。つまり、礼拝の中では、そして教会では、主人を尊敬し、主人に恥を欠かせないようなうやうやしい態度で御主人に接することを教えているのではないでしょうか。教会の中で、決して御主人に恥をかかせたり、御主人を支配しているような言動は絶対に慎むべきであるというのです。(できれば、家庭でもそうあってほしいと思いますが・・。)ですからパウロは、女性に対してあえて、「女の頭は男なんですよ」と言っているのではないでしょうか。

むしろ、男は、自分だけでは不十分なものとして、女の助けがなければ何もできない存在であるという事実を素直に認めるべきであります。男はどこまでも助けが必要な存在なのです。女の助けによって、初めて神の栄光と神の姿を移すことができるのです。(11:7)女なしには男は何もできないのです。コーチとしての手助けが必要なのです。浅田真央選手にはあのロシアの優秀なコーチが絶対必要なのです。コーチは目立ちませんが、コーチによって男は人生の金メダルを手にすることができるのです。

以前は家内が耳元で、いろいろアドバイスをしてくれたのですが、「うるさいおまえは黙っておれ、俺が牧師なんだ、お前は黙ってついてくればいいんだ」と威張っていました。でも今は違います。コーチであり最高の助け手である妻のアドバイス、注意、コメント、ダメだしを素直に、「ありがとう。よく解った。助かるよ。」と言えるようになりました。それだけ、私も、前よりはイエス様に従うことができるようになったのではないかと思っています。

第一ペテロの手紙の3:1〜4にこうあります。
「同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。」

このような女性の心の美しさは、内面的なもの、すなわち聖霊様の結ぶ豊か実によって身につけることができるのです。このような、目に見えない心のかぶり物である柔和さ、しとやかさ、そして謙遜という美しい心のベールをかぶっている女性の見られる教会でありたいと願っています。
                            
                                    (岡田 久)

powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional