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真理を愛し、真理を信じる (Ⅱテサロニケ2:1~17)

メッセージ
2020年7月19日富里キリスト教会
「真理を愛し、真理を信じる」
(Ⅰテサロニケ2:1~17)
1、キリスト再臨前の二つの前兆

いよいよ終末の時、そしてキリストの再臨の時が刻一刻と近づいているような昨今です。パウロがこのテサロニケの信徒あての手紙を書いたときよりは、確実に主の再臨の時は近づいているような気がします。先週は1:7にありますように、キリスト再臨とその時になされる最後の審判について学びました。
「主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。彼らは、主の面前から退けられ、その栄光ある力から切り離されて、永遠の破滅と言う刑罰を受けるでしょう。」(Ⅰテサロニケ1:8~9)とある通りです。このような想定できない突然の天変地異、キリストが再び来られるという、世の人々が誰も信じていないようなことが起こる時代なのです。いつまでこの世界が、自然が保たれるのでしょうか。

そしてわたしたち主を信じている者はどうなるのでしょうか。それは2:1に書かれてあります。「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエスが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。」(2:1)と。このテサロニケの手紙の第一の4:15以下を見ますと、わたしたちは、主が天から降って来られる時には、主の御許に引き挙げられると記されています。合図の号令がかかり、天使の声が聞こえ、ラッパの鳴り響く音と同時に、天からイエス様が降って来られます。そして先に眠りについた兄弟姉妹が霊の体でよみがえらされ、天に昇って行きます。そして次に、まだ生きているわたしたちが、一瞬のうちに霊の体に変えられて、天に引き挙げられ、主と共に永遠に生きるのです。そのようにパウロは教えました。

なかにはパウロのこの話を聞いて浮足立って、動揺し慌てふためいて、信仰が危うくなる人々も出てきました。しかし、パウロは彼らに対して、分別を失わないように、慌てないようにと戒めています。そしてこのキリスト再臨の前には、その前兆があるから、慌てないで教えをしっかりと心に留めて目を覚ましていなさいと戒めました。ここに、再臨の前に起こるべき二、三の現象が述べられています。それが、今日の2章の前半部分1~12節までの記事です。その中の2:2~3までを読んでみます。「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日がすでに来てしまったかのようにいう者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。誰がどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり滅びの子が出現しなければならないからです。」(2:2~3)

つまりパウロによれば、キリスト再臨に先んじて、まず世をあげて神に逆らう時代がやって来るというのです。神への反逆が起こるのです。それから不法の者、すなわち滅びの子が現れるのです。この二つのことが起こってから再臨が来るというのです。この滅びの子と言いますのは、反キリストあるいは悪の張本人、永遠に滅ぼされてしまう人のことです。それが誰であるかは記されていません。つまり別な言葉で言いますと、キリストの再臨はまだこの滅びに定められた者が現れていないので来ないということです。そしてこの滅びの子が現れていないのは、それを「抑えているもの」がいると言っています。

6節から読んでみます。「今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼をご自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。」

言い換えますと、まだキリストの再臨が起こらない理由として三つのことがあげられます。①不法の者=滅びの子がまだ出現していないから。②滅びの子の出現を抑えるものがいて、それが取り除かれなければ滅びの子は現れることはできない。③その抑えるものがまだ取り除かれていないので、滅びの子が現れていないので、主の日はまだ来ていないと言うことになります。すでに悪の力はこの時代に働いていますが、滅びの子の出現を抑えている力があるので、まだ滅びの子は現れていません。しかし、やがて抑えるものが除かれて、最後に滅びの子が登場するわけですが、それと同時に、キリストはご自分の口から吐く息で、滅びの子を滅ぼしてしまうと書かれています。

2章の後半の部分は少しわかりにくいので、9節からの御言葉を、リビングバイブルで読んでみましょう。「この罪の子(=不法の滅びの子)は、悪魔の手先であり、悪魔のあらゆる力が与えられて、やってきます。不思議な業を披露しては人々をだまし、すばらしい奇跡を行う者であるかのように見せかけるのです。こうして真理を拒んで地獄への道を突っ走る者たちを、すっかり、とりこにしてしまいます。そのような人たちは、真理を信じることも愛することもせず、まして救われようとは考えもしなかったのです。そこで神様は、彼らが嘘で丸め込まれるままに放っておかれるのです。真理を捨てて、嘘を信じ、罪を犯すことを楽しむ彼らに、さばきが下るのは当然です。」(2:9~12・リビングバイブル)

リビングバイブルは少し厳しく書かれています。この不法の者と言いますのはサタンの手先になって現れます。そして様々な奇跡や不思議な業を行い、人々を惑わします。そのサタンの力にいざなわれて、道を踏み外してしまう人々は、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。何故真理を愛そうとしないで、偽りと欺きの道に突っ走って行ってしまうのかと言いますと、神様がそういう人々に惑わす力を送っているからだと書かれています。ですから、彼らはいつまでたっても真理を悟ることができず、悪から悪へ、偽りから偽りへと落ちてゆくのです。そのようにして真理を信じない者は、どんどんと自ら地獄の滅びの道へとまっしぐらに向かって行っているのです。そして最終的には、神から離され永遠の裁きである地獄の火に焼かれることになります。

この個所はなかなか難解で、最近の空想SFのアニメを見ているような気がいたします。現実感がないわけですね。こういう表現を黙示文学と言うのでしょうか。時の政治家とか権力者を実物の名前を挙げて言えなかったので、このような神話的な物語で表現したのではないでしょうか。しかし、手紙を読む人には、だれのことを言っているのかが分かっていたのです。6節のところでパウロは「今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。」と言っています。彼らは「抑えている者」が誰であるかも知っていたようです。

いずれにしましても、抑えている者の力が取り除かれて、ついには不法の者、滅びの子が、本来の罪と悪の力を最大限に発揮して世に現れる時が来ます。そして、その後でキリストが天から降って来られるのです。キリストは即座に滅びの子を、ご自分の口から出る御言葉と神の御栄光の輝きによって滅ぼしてしまわれると言っています。その時私たちは四方八方から、主のもとに集められるのです。ですから、この説教や聖書の教えをしっかりと守って、真理に踏みとどまっていなさいと教えています。そして何よりも滅びに定められている人々の特徴は、真理を愛することをしないということです。

自分たちの救いとなる真理を愛そうとしないからなのです。真理に逆らい、真理を拒み、真理を捨ててしまったのです。さらに神は、そういう人々には、惑わす霊、惑わす力を送っていると書かれています。(2:10)神様が、人々を信じないようにしているのではなく、彼らが真理を愛さないから、逆に惑わす霊を送り、救いの道を閉ざしているのです。そういう人々はサタンにだまされて、真理を愛さず、真理を信ぜず、真理を拒み、真理を捨ててしまった人々です。しかし、わたしたちは真理を捨てるものではなく、真理を信じ、真理を愛する者です。それがわたしたちの救いにあずかる信仰です。

2.真理を愛し、真理を信じる信仰

2章の後半部分13節から読んでみましょう。「しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべきものの初穂としてお選びになったのです。神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。」(2:13~15)

神への反逆、不信仰、神を認めない不従順とふしだらな現代社会です。暗闇と不安が一層濃くなりつつある時代です。神に対する反逆の時代です。神を認めない時代、真実を隠し偽りと暗闇の支配する時代です。あのヘロデ大王がユダヤの国を支配していたように、日本のヘロデが日本の闇を支配しています。そういう時代だからこそ、わたしたちはこの聖書の御言葉を暗闇に輝く祈りの灯火として、しっかりと目を覚まして、真剣に見続けてゆく必要があるのではないでしょうか。

そして真理について証をしてゆくのが、終末の時代に生きるクリスチャンの生き方ではないでしょうか。パウロは15節でこう言っています。「兄弟たち、しっかり立って、説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。」と励ましています。この主日礼拝の説教です。説教に耳を傾け、その意味を考え、ひたすらそれを守ることです。途中であきらめたり、教会に来なくなったり、礼拝を休んだり、聖書を読まなくなったり、祈らなくなったりせずに牧師の語る説教に耳を傾けることです。これが真理に対する信仰を持ったクリスチャンの生き方です。真理を愛するクリスチャンは、牧師の説教に耳を傾けます。聖書の教えを喜びます。

そこにありますように、わたしたちは神から迷いの霊を送られて、真理を見失ってしまう者として定められた者ではないのです。逆に、わたしたちはこの終末時代に救われる初穂として選ばれたものだと言っています。そして福音によって招かれているものだというのです。真理に対する信仰は、わたしたちから出たものではなく、神由来のものです。神様の方で選び、召してくださったものなのです。ですから、のその信仰を捨ててはいけません。それを手放さないで堅く守り続けなさいと言っています。

最後にもう一度、真理とは何でしょうか。真理に対する信仰と何でしょうか。かつてイエス様が十字架に架けられる時に、こう言いました。「わたしは真理について証をするために生まれ、そのために世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」と。そうしましたら総督ピラトが、「真理とは何か?」と言う有名な言葉を言いました。(ヨハネ18:37~38)真理とは何か?哲学的な問いかけですが、聖書は真理とは、イエス・キリストご自身のことを指しています。主は「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)と言われたとおりです。

イエス様ご自身が神から遣わされた真理です。このお方以外に真理はこの世には存在しません。そして神が選び、召してくださった方は皆真理に属するものです。真理に属する人は皆、キリストの言葉に耳を傾けます。それを楽しみ、喜び、それに従います。それ以外の人々は真理が見えなくされ、真理を愛せず、真理に背き、サタンにだまされて滅びへと突き進んでいきます。わたしたちは皆、真理の御霊によって、救いへと導かれました。真理を愛する者は、みな福音、すなわち神の御言葉に耳を傾けます。

ヨハネもこう言っています。「わたしたちは神に属するものです。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。」(Ⅰヨハネ4:6)ですからその人が本当に真理に属しているか、真理を愛している真のクリスチャンかどうかは、御言葉に耳を傾けるか否かで判断してください。どんなに伝道しても奉仕活動をしても御言葉に耳を傾けない、御言葉を喜ばないクリスチャンは的外れの偽物のクリスチャンです。そのことによって本物のクリスチャンと偽物のクリちゃんを、きちんと見分けてください。

更に言いますと、真理を愛する人は、主の十字架の元に来ます。そして十字架を見上げて、キリストはわたしの罪のため十字架にかかって下さったと告白する人のことです。真理を愛していると言いながら、自分の罪を認めない人の内には真理はありません。第一ヨハネ1:8に「自分に罪がないというなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。」とヨハネは言っています。これも偽物のクリスチャンと本物のクリスチャンを見分ける基準になります。

牧師は偽物、本物と少し厳しいことを言うなあと思う方もあるかもしれませんが、今はあえて申します。皆さん方が、本物のクリスチャン、真理に立つクリスチャンになってほしいのです。世の終わりが、ますます近づいているからです。皆さんは今天国の門に立たされているのです。ですから、その時になってから、真理とは何ですかと尋ねられて、そんなことは聞いたことがありませんでした。どうか、聖書の御言葉を自分で聞き分けて、その意味を自分で考えて、何が真理かどうかをこの聖書の中から真剣に探してほしいのです。そして御言葉から来る正しい判断力と知恵を身に着けて、正しい行動をして欲しいのです。そのためにわたしたちは、終わりに臨んで多くの人の中から選ばれ、召されたのです。聖霊様の力をいただいて、このサタンの支配する世界の只中にあって、真理を証する者となって行きましょう。(岡田 久)

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