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真理の御霊が降る時

メッセージ

2009年5月31日富里教会
     「真理の御霊が降る時」
                (ヨハネによる福音書16:7〜15)
                          
1. はじめに
主の御名を賛美します。
今日は、黄さんのバプテスマを感謝します。このペンテコステの日に、聖霊様が豊かに降り注がれ、黄さんと私たちを満たして下さったことを心より感謝申し上げます。今朝は、ペンテコステにちなんで、聖霊様のメッセージを取り次がせていただきたいと思います。ペンテコステといいますのは、ギリシャ語で50と言う意味です。これはイエス様が復活されてから50日目に、天に帰られたイエス様の代わりに、聖霊様が来られて、弟子たちを力づけ、エルサレムから始まって地の果てに至るまで、福音を宣べ伝えるようになりました。この聖霊様の力によって、福音伝道がなされて、今日のように全世界に教会が建てられてまいりました。この初代の教会に、初めて聖霊様が降った日を記念して、日本語では聖霊降臨日礼拝、またはペンテコステ礼拝として守っております。

2.真理の霊
そのペンテコステの時に、聖霊様がどんな働きをするのか、そのことをあらかじめ教えたのがこの16章の御言葉です。8節に「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと」(16:8〜9)とあります。今朝は、この御言葉に注目して、聖霊様が教えて下さる「罪」と「義」と「裁き」の三点についてお話したいと思います。 

? 罪を示す
まず第一に、聖霊様の働きは、すべての人の目を開いて、一人一人の罪を目の前に示し、はっきりとさせることです。自分の罪はなかなか見えませんし、解かりません。聖霊様が教え、目を開いて下さらなければ、見えてこないと言っても良いかもしれません。それまでは、自分は正しいことをしているんだと思っていることが往々にしてあります。

パウロもそうでした。彼はクリスチャンを迫害し、それが自分の信仰のあかしだと思い込んで、迫害をしていました。自分が間違ったことをしているとは、つゆだに思いませんでした。むしろ正しいことをしていると確信していました。そのパウロに、迫害の最中に、イエス様が語りかけました。「サウル、サウル(パウロの回心前の名前)、なぜ、わたしを迫害するのか。わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒言行録9:4〜5)と。その時、パウロは主に目を打たれて、三日間見えなくなりました。でも、彼はこの出来事を通して自分の罪を初めて知らされたのです。そして霊の眼が開かれて、自分の本当の姿を知ることができました。パウロは回心して、主の伝道者となりました。これが、罪を示して下さる聖霊様の働きです。

? 義を示す
二番目に聖霊様の働きは、神様の義を示して下さいます。10節に「義についてとは、私が父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること」とあります。これは端的に言って、イエス・キリストの十字架と復活のことを言っています。すなわち、イエス・キリストが、十字架にかかった後、復活して天に帰って行かれ、イエス・キリストの御言葉とその業、すなわち十字架の贖いが義しいことであったことを、すべての人の目に明らかにして下さるということです。キリストの復活は、十字架に示された神の義を示して下さいます。

このように、聖霊様の働きはあくまでも私たちの目をあの十字架へと向けさせる働きなのです。それがペンテコステの出来事なのです。ある教会では、異言を語ったり、精神的に高揚した状態になることがペンテコステのしるしだと、強調する教会がありますが、私はそうではないと思います。むしろ、このペンテコステの出来事は、主の十字架へと私たちの目を向けさせる出来事なのです。
神様の義であるイエス・キリストの十字架の赦しを示して下さいます。

イギリスのケンブリッジにあります在郷軍人会を、別名「ポピーの会」と言うそうです。戦時中、日本軍の捕虜になった方々が多くメンバーになっておられるそうです。そのメンバーの一人が、イギリス人の家庭を訪問して会のための募金活動をしていました。たまたま、ケンブリッジ大学に留学に来ていた、一人の日本人女性の家を訪ねました。その女性が、ポピーの会の話を聞いて、一度、参加したいと申し出ました。そして、特例として参加が認められましたが、かつての日本軍の残虐行為に憎しみを抱いていた軍人会のメンバーは、あまり良い気分がしませんでした。彼女もとげとげしい視線を感じていましたが、クリスチャンだった彼女が、慰霊碑に献花をして、しばらく祈っていました。そして、祈りが終って、ふと振り返ると、その場の雰囲気がガラっと変っていたそうです。とげとげしい視線は消え、やさしい老人の笑顔が会場を覆っていました。それは、祈りを通して、聖霊様が働かれ、日本人もイギリス人も神の前では罪人であること。そして、罪を赦す神様の愛によって、お互いに赦し合う心が与えられたのです。一人の日本人の女性の祈る姿と、彼女の口から出た「I AM SORRY」と言う言葉で、互いに心が触れ合ったのでした。これも、聖霊様の働きです。彼女はその後、イギリスと日本の友好を願って、「ポピーとさくらの会」を立ち上げたそうです。

聖霊様の働きは、私たち一人一人の罪を明らかにし、全ての人が神様の前では罪人であることを示して下さいます。そして、その罪を神様の義であるイエス・キリスト様の十字架を通して、赦されているということをも教えて下さっています。これが聖霊様が教える神様の義です。

? 裁きを示す
聖霊様の第三の働きは、神の裁きです。11節に「また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである」とあります。「この世の支配者」とは、サタンのことです。サタンとは人間の肉欲、物欲、金銭欲、名誉欲といったこの世の力や誘惑を用いて、クリスチャンの罪を暴き出し、罪に陥れ、それを告発する者です。昔、TVで「逃亡者」というテレビドラマがありました。無実の主人公をどこまでもしつこく追い詰めてゆく、蛇のようにしつこい刑事が出てまいります。絶対に無罪にしない、何が何でも人間の罪を暴き出し、追い詰め、有罪判決をして死刑を宣告する、これがサタンの働きです。しかし、このサタンは既に十字架の上で、罪と死と共に裁かれました。

そしてキリストの復活によって、罪と死とサタンに勝利しました。第一ヨハネ1:8に「自分に罪がないというなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めて下さいます。」とあります。ですから、私たちは自分の罪を認めて、主の前に公に告白するならば、神様はそれを赦し、清めて下さるのです。たとえ、古い性質がまだ残っていても、キリストの十字架の贖いを信ずる信仰によって私たちは神の子なのです。

そして聖霊様は、私たちの最高の強力な弁護士です。弁護士としての聖霊様は、私たちの罪が、十字架の上でイエス・キリストの贖いによって、完全に赦され、無罪判決を受けているものであることを証明して下さっています。罪を告発するサタンの働きは、既にあの十字架の上で、断罪されたのです。また聖霊様は、私たちが御国を受け継ぐための保証人でもあり(エフェソ1:14)、強力な弁護者です。だれも、この十字架に示された神様の愛と義から、私たちを引き離すことはできないのです。(ローマ8:39)

この聖霊様は、二千年前のペンテコステ以来、今も豊かに私たちの上に注がれています。今日も、黄姉妹が自分の罪を公に言い表して、神様を信じる信仰を告白されました。そして主にある新しい人生の第一歩を踏み出しました。私たちの罪を教え、神様の義である十字架の愛を示し、罪と死とサタンに勝利したことを宣言して下さる聖霊様の働きによるものです。私たちも心を一つにして、この罪と義と裁きを示し、真理を悟らせて下さる聖霊様を求めて祈ってゆきたいと思います。
                                          (岡田 久)

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