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真理の御霊 (ヨハネ14:15~26)

メッセージ

2014年11月16日富里キリスト教会

「真理の御霊」
(ヨハネ14:15~26)

1.聖霊の誤解

また、韓国の有名な弟子訓練を行っているサラン教会の玉(オク)牧師は、「信徒を目覚めさせよう」という弟子訓練の本の中で次のように言っています。「弟子訓練の中で、イエス・キリストについては詳しく教えても、聖霊についてはおろそかにする傾向がある。聖霊について聖書的に明確に知り、体験しなければ、弟子訓練は中身のないものに終わる心配がある。イエスの弟子訓練が、その実を豊かに結んだのも五旬節(ペンテコステ)以降である事実を軽く見てはならない。」と。

ですから、弟子訓練をしている教会である富里教会では、聖霊について「シーッ」と口をつぐんだり、反対に異言を語らなければ聖霊に満たされていないなどという間違った考えだけはしないで欲しいと思うでのす。しっかりと聖霊を認め、また理解し、聖霊を求め、聖霊と共に歩み、聖霊の働きに敏感になって欲しいと思うのであります。礼拝堂の後ろにありますように、「Hear the Spirit says to the church」(ヨハネ黙示録1:7他)の通りです。

今朝はそのことを覚えながら、特にヨハネ14:15~17までの御言葉を中心に見てまいりましょう。聖霊様の働きは、たくさんありますが、ここから聖霊の七つの働きについてみてみたいと思います。この短い15~17の御言葉ですが、聖霊の働きについてあげてみますと、まず「聖霊による愛」「弁護者である聖霊」「永遠におられる方」「真理の御霊」「聖霊を知る」「聖霊が私たちと共にいる」「聖霊が私たちの内にいる」という七つのキーワードが見えてくると思います。

2.聖霊の正しい働き

①愛と御言葉(掟)

まず第一に、主イエスを愛するということから始まります。そして主を愛する人は、その御言葉である戒め、キリストの愛の掟を守る人であるというのです。そういう人に主は、聖霊様を送って下さると言うのです。いくら主を愛すると言っても、主の御言葉を守らなければ意味がありません。このキリストの掟を守る者に、主は父にお願いして聖霊を下されるというのです。聖霊の働きはキリストを愛し、主の御言葉を守ることから始まります。また、この愛も聖霊様を通して神様から一人一人の心の中に注がれます。ローマ5:5bに「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」とあります。神を愛する愛、兄弟姉妹を愛する愛は、まず何よりも聖霊様によって、私たちの心の中に注がれているということを認めければなりません。神をまず愛するものでありましょう。そうすれば聖霊が注がれます。

②.弁護者としての聖霊

第二番目ですが、16節に「私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わす。」とあります。つまりこれからイエス様は天の父の御許に帰って行くので、地上に残された弟子達と一緒にいて助けてくれる人がいなくなるわけです。主が天に帰られた後に、代わりの助け手として聖霊様を遣わすよう、お父様にお願いしようと言っておられます。つまり、聖霊様は、イエス様のとりなしによって、父の御許からイエス様を通して地上の私たちに与えられるものです(使徒言行録2:33)。

そしてイエス様の代わりにそばにいて下さり、私たちを今、具体的に助けて下さる方なのです。口語訳聖書も新改訳も「助け主」なる聖霊となっておりますが、共同訳では「弁護者」となっております。これはギリシャ語では「パラカレオー」という言葉ですが、「パラ」はそば、「カレオー」を叫ぶですから、私たちのかたわらに立って、私たちの代わりに叫んでくださるお方だということです。つまり、神に対して祈りの声をあげて、私たちのために執り成しをし、御心に適う祈りを献げて下さるお方だということです(ローマ8:26)。

また、聖霊様は、私たちが神の子であるということの救いの保証にもなって下さるお方です(エフェソ1:14)。ですから、このキリストの霊をもっていない人は神の子ではないのです(ローマ8:9)。また、私たちは全員、この聖霊様によって「イエスは主なり」と告白して神の子とされました(Ⅰコリント12:3)。ですから、この私たちに働いて、主告白をさせ、私たちが神の子であるということを保証していて下さり、私たちを助け、神の前に弁護人となって取り成しをして下さるのがこの聖霊の働きなのです。たとえ私たちが、神を否定し、神に背を向けていても、この弁護人である聖霊様が、絶えず父なる神様に向かって代わりに取り成しをして祈っていて下さるのです。

③永遠に一緒にいて下さる方

三番目になりますが、この聖霊様は、常に私たちと共にいて父なる神様にとりなし弁護して下さるお方です。永遠に一緒にいてくださるお方なのです。私たちが、罪を犯したり悪い言葉をはいたりすると悲しまれるお方です。そしていつまでも、その罪を犯し続けたり、悪い行いを続けるならば、聖霊の火が消えてしまいかねません。(エフェソ4:29~30)そして私たちは、キリスト再臨の日には、この聖霊様の存在によって救いが保証されているのです。キリスト再臨の時には、私たちの内に宿っている霊によって、死ぬべきはずの私たちの体をも栄光の復活の体に変えられるというのです。(ローマ8:11)父と子も永遠から永遠にいます方でありますから、この聖霊なる神様も永遠に我らと共にいて下さるお方です。

④真理の霊であるお方

第四番目に、「この方は真理の霊である。」とあります。聖霊様は私たちに真理を悟らせて下さいます。真理についてヨハネの16:8~12にこうございます。「その方(聖霊)が来れば、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らが私を信じないこと、義についてとは、わたしが父の御許に行き、あなたがたがもはや私を見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたに理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」と。

聖霊様は私たちに真理を悟らせて下さるお方です。このお方が来るまでは私たちは真理を悟ることができません。あのユダヤの有名な指導者であったニコデモも、知識があり聖書に通じていても、新しく生まれ変わるということについて全くの無知でした。お母さんのお腹に入って、もう一度生まれることかと思っていました。でも、彼にも聖霊の風が吹いて、ようやく最後の十字架の場面で、イエス・キリストが私の罪のために死んでくださったということが解ったのです。十字架の主を目の前にした、この老人は、初めて自分の罪を知り、神の義であるイエスの十字架によって罪を赦していただき、信仰を告白したのです(ヨハネ3:4~6、19:39)。

この時初めてニコデモは、真理の御霊によって主を信じることができました。私たちも、この真理の御霊によってこうして十字架の主を信じ御前に立っています。聖霊様が私たちの目を開いて、自分自身の罪を示して下さり、その罪を赦す十字架の救いを啓示して下さったのです。私たちはこの神から来る真理の御霊によって、神から与えられたものを知るようになり、こうして霊的なものによって、霊的なことを説明することができるのです。(Ⅰコリント2:10~13)

⑤私たちが知ることができる方

五番目にこのように聖霊様は、私たちに罪と義と裁きといった救いの基本的なことを教えて下さり、御霊によって信仰を与えてくださった方です。ところが世の中の人は、この真理の御霊がおられるということ、そしてその存在さえも認めようとしません。そしてクリスチャンの中にも、そのお方を認め知ろうともしない方がいます。その人の信仰を疑いたくなります。おそらく、そういう人は、信じてはいても、霊とか目に見えないものとか天使とかそういうものにたして警戒をしている方ではないでしょうか。確かに宗教というのは、そういう霊的なまやかしや占い幽霊といったものに間違えられやすいことはあります。

でも聖書にはっきりと、そして何度も何度も繰前して、聖霊様についての記述がありますので、このお方を無視することはできないと思います。また、ヨハネ14:17に「この方は真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。」と言っています。世の中の人はこの聖霊様について、見ようともしない、知ろうともしない、聞こうともしないというのです。そうであるが故に、この聖霊様は存在していますが、このお方を受け入れることができないのです。聖書には、「あなたがたはこの方を知っている」(14:17)と言っています。イエス様も「聖霊を受けなさい。」(20:22)と言いました。求めるなら誰にでも与えられるのです。このお方を求めるならば、誰でもこのお方を受け入れることができるのです。この方が人格をもっておられますから、私たちがいらないと拒めば、悲しみますし、私たちが受け入れようとするならば喜ばれます。

⑥共におられる方

そして六番目に聖霊様は、私たちと共におられる方です。聖霊様は今も私たちと共にいて働き導いていて下さいます。今回の総会でも、二つそういう出来事がありました。一つは、正式なプログラムにはありませんが、有志だけで朝6時に天城山荘のチャペルの後ろにあります祈祷室で、リバイバル祈祷会がもたれました。「祈祷会をします」というアピールが前の晩、ありました。たまたまその時私は席を外していましたので、リバイバル祈祷会があるのを知りませんでした。でも、朝何気なく、早く起きてデボーションをしようと思ってチャペルに行きましたら、誰もいませんでした。いつもは何人か礼拝堂で祈ったり、デボーションをしています。

「おかしいなあ」と思って、ふと後ろを見たら、「リバイバル祈祷会」という看板が目に入りました。そして、その部屋に入ってみましたら、50~60人の人が組に分かれて声を出して一生懸命祈っているところでした。わたしも遅ればせながら、一つのグループに入って、祈りの輪に加わりました。こんなにたくさんの方々が、熱心に祈っている姿を今まで連盟の集会の中で見たことがありません。

⑦内におられる方

最後に七番目ですが、聖霊様はどこにおられるのかと言いますと、そこにありますように「わたしたちの内にいるからである」(14:17)とあります。聖霊様はわたしたちの内側におられるのです。14:15~17までが聖霊の内住、18~21までがキリストの内住、そして22~24までが父なる神の内住について述べられています。つまり、聖霊様が私たちの心の中に内在することによって、キリストも、父なる神もわたしたちの内に内在していて下さるのです。20節に「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、私もあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かる。」とあります。わたしキリストもあなたがたの内にいると言っています。そして23節には「父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」とありますように、聖霊様の内住があり、イエス・キリスト様の内住があり、そして父なる神様の内住があるのです。

私たちがこのようにして主を告白し、信仰をいただき、主と共に歩み、やがて復活の命にあずかるということはすべて聖霊様の働きによるのです。この聖霊を見ようとも知ろうともしないならば、その人は神のものではありません。すでに聖霊によってわたしたちは、あのニコデモのように十字架の主を見上げて新しく生まれ変わったものです。聖霊を受けています。聖霊の内住によって、私たちの心の内には、キリストも神も共にいて下さるのです。今は聖霊の働かれる時です。ですからまず最初に、聖霊を認めて下さい。見ようとして下さい。知ろうとして下さい。受け入れようとして下さい。聖霊様を求めて祈ってください。そうすれば、教会が変わります。牧師も変わります。あなたも変わります。                    

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