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目標を目指してひたすら走る (フィリピ3:12~4:1)

メッセージ
2019年6月23日富里キリスト教会
「目標を目指してひたすら走る」
(フィリピ3:12~4:1)
1.目標を目指して走る

私達クリスチャンの人生は、必ず目標があります。皆さんの人生のマラソンの目標は何でしょうか。子供たちや孫に囲まれて安楽な最期を迎えることでしょうか。安定した年金で良い老後を送ることでしょうか。パウロの目標を見てみましょう。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろの者を忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」                  (フィリピ3:12~14)

私たちの目標はイエス・キリストです。イエス様の懐に全速力で走りこむことです。皆さんは、今走っているでしょうか。残念ながら、多くのクリスチャンランナーが途中で走ることを止めている人が多いのです。自転車レースのようなものです。ペダルをこぐことを止めたらどうなりますか?自転車が倒れてしまいます。ペダルを必死でこいでいるからこそ、前に進むのであって走り続けることができます。何故走り続けるのかと言いますと、パウロはこう言っています。
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスによって捕らえられているからです。」(3:12)と。すでに自分は目標であり、ゴールであるお方によって捕らえられているから走っていると言っています。

完成者であり、わたしたちの目標であるお方によって、既に捕らえられているので、自分ではその方を目指して必死にペダルをこいでいるのだと言うのです。
私たちはよくこの点を誤解することがあります。ある方が教会に来られて、自分はすでに清められている、完全になっているという方がおられました。それはそれでいいのですが、そういう人に限って、自分以外の人を裁いてしまうことがあります。あの人はまだ清められていない、あの役員は不完全だと言って兄弟姉妹を裁くのです。とうとう、こんな汚れている教会にはいられないと言って出て行きました。そしてまた、他の教会に行っても同じことを繰り返しているのです。

私たち一人一人も不完全です。清められていないかもしれません。教会も不完全です、いろんな悩みや問題を抱えています。でも大事なことは、完全なお方であるイエス様を皆が目指しているということです。教会も完全なキリストの体になるように、一致を目指して苦闘しながらでも進んでいるということです。子供メッセージでも話しましたが、目標を目指して、まっすぐ前を向いてひたすら走ることです。

目標はイエス様です。イエス様に仕えるのです。教会の牧師に仕えるのではありません。イエス様だけを視野に置くことです。イエス様しか目に映らないのです。そうすると、不完全な人も汚れていると思った人も弱いと思える人も良く見えてきます。イエス様の視点で見ることができてきますので、お互いに重荷を負い合い、お互いに足を洗い合うことができます。

大事なことはそういう努力をすることです。どこの教会でも分裂や対立はあります。教会の奉仕のことで競争し競い合う二人の姉妹は、どこの教会にも存在します。フィリピ教会のエボデアさんとシンテケさんだけではありません。富里教会のエボデアさんとシンテケさんもいるかもしれません。どこにでもいるのです。その間を取り持つ姉妹は、イエス様を見ているから二人の間を調停することができるのです。

大事なことは賞を得るために目標を目指してひたすら走り続けることです。口語訳聖書では、「神の賞与を得ようと努めているのである。」と書いています。ボーナスです。基本給は皆もらいます。でもあなたがたは、給与以外に賞与(ボーナス)を手にするように努力しなさいと言っています。礼拝を休まないということもその賞を得るための要素になります。毎年教会でも皆勤賞を上げていますが、教会学校の皆勤賞を獲得するように、努力して礼拝を休まないで来なさいという言うことです。

Paul says that “Not that I have already obtained all this, or have already been made perfect, but I press on to take hold of that for which Christ Jesus took hold of me.” (3:12) Paul is good evangelist and hard worker he has been running when he was taken hold by Jesus Christ
pressing on toward the goal to win the prize from heavens. Because he was already taken hold by Jesus. We are already saved through perfect man and perfect God Jesus Christ. He is a perfect. But we are imperfect. The perfect Jesu Christ is our goal and he is waiting our arrival on the goal. We are running toward the goal and are striving to be like Jesus Christ. This is a perfect Christian.

2.パウロに倣う

17節でパウロはこう言っています。「兄弟たち、みな一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。」(3:17)と。どういう生き方が、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、目標を目指してひたすら走る」(3:13~14)生き方でしょうか。パウロはわたしに倣う者となりなさいと言っています。わたしも言いたいです。わたしのような生き方をして欲しいです。神学生のように、人生をすべて主にささげて歩むそういう生き方こそ、イエスに捕らえられている人の生き方です。

パウロはこう言っています。「いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。」(3:16)と。無理する必要はありません。それぞれの信仰の到達点がありますから、いきなりバプテスマを受けた人に献身しなさいと言うのではありません。それぞれの到達した信仰レベルに従って走ればいいのです。スタートしたばかりの人に、ラストスパートをさせても途中でダウンしてしまいますから、各自の信仰の程度に応じて走ればいいのです。この言葉は、もし私たちが途中でレースを止めて離脱していたならば、その信仰のストップした時点に戻ってから再スタートしてもいいですよということを言っています。背伸びする必要はありません。自分の信仰レベルでいのです。

礼拝を休んでしまって、レースから離脱したのであれば、まず礼拝を守ることから再スタートすればいいです。献金のことで教会に来にくくなったのであれば、まず十一献金をするところから再出発すればいいのです。そして礼拝だけでなく、教会学校にも参加する。また、水曜祈祷会にも出席できるようになる。そして「じゃあ、自分の家でもスモールグループを開いてみよう」となってだんだん信仰のレベルが上がって行きます。そして生涯を主にささげようと直接献身をするようになるのではないでしょうか。パウロに倣って欲しいです。そして牧師に倣って欲しいのです。

Paul says “Join with others in following my example, brothers, and take note of those who live according to the pattern we gave you.” (3:17) And I would like to say that please live and walk like me and for young people please live like brother Takei dedicating to God all his life.
And Paul said “let us live up to what we have already attained. ”(3:16) Please do not dedicate at the first stage of your life of faith. There are some levels of your faith. At first we attend the worship then attend CS and then prayer meeting on Wednesday and then someone will begin the SG. If you dropped out of the church life, you may start the point where you dropped. You will be able to start anywhere again. Please forget what is behind and straining toward what is ahead. You can start your course of faith anytime and anywhere.

3.十字架のもとに立つ

最後に、わたしたちが目指すべき目標は何かということについてさらに具体的に言っています。「何度も言って来たし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいるものが多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えて下さるのです。」(3:18~21)

パウロの嘆きは、神を信じていると言っている者の中に、キリストの十字架に敵対しているものが多いということです。十字架に敵対しているクリスチャンとはどんなクリスチャンでしょうか。自分の行いを誇りとして、自分が完全になっている、清められていると自負して、他の兄弟姉妹を軽視している人々でしょうか。3:9節に、「わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」とあります。

教会の中にあっても、人からよく見られたいという思いが強く、自分を誇り、自分を良く見せようとしている人です。これがうわべの信仰者、心を主に明け渡して、心から主に仕えていない人です。自分の正しさを主張し、自分の義を立てる人です。競争と比較にのみ明け暮れている人々です。自分中心のクリスチャンです。そしてそういう自分の罪を認めず、自分を良く見せることにだけ汲々としているクリスチャンが多いと言っています。そういう人を十字架に敵対して歩んでいる者とパウロは言っています。私たちは各々、十字架の基に立っているでしょうか。十字架の基に立つということは、他者に仕えるということです。これが賞を目指して走るということです。

また罪がないと言っているクリスチャンは偽善者です。皆罪を持っています。そしてその自分の罪と常に戦っているのがクリスチャンです。そして十字架の基に立って、罪を絶えず悔い改めるものです。毎月毎月、罪を悔い改めつつ晩餐式にあずかることです。これが後ろのものを忘れ、前のものに向かって目標を目指してひたすら走るクリスチャンの姿です。十字架の基にへりくだる人です。これが人生の目的です。

Paul said “ I have often told you before and now say again even with tears, many live as enemies of the cross of Christ.” Many Christian live as enemies of the cross of Christ. What does it mean? Many Christian live being proud of their outwardly behaviors to make a good impression to other believers and want to be a top position in the church. They live as enemies of the cross of Christ. They do not want to recognize their sins. Paul says that their destiny is destruction. Please confess our sins and repent earnestly day by day. This is the lifestyle of a perfect Christian. Because Jesus Christ already took hold of me.

皆さんもう子供の考え方はやめましょう。いつまでも飲み食いの教会ではいけません。成熟を目指して成長しましょう。それは常に十字架の基に立ち続けることです。自分の罪に気をつけ、常に自分の罪を見張り、自分勝手なことをしていないかどうか、自分だけを喜ばせていないかどうか、誰かを傷つけたりつまずかせたりしてはいないかと、注意深く歩むことです。やがて来臨するイエス・キリストをひたすら待つ望む信仰です。パウロが4:1で言っている言葉ですが、わたしもこの言葉を皆さんに投げかけて本日の宣教を閉じたいと思います。「だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」(4:1)。主によってしっかりと立っている皆さんを見て、誇りに思いたいと願っています。これがパウロにとっての喜びであり、わたしにとっても喜びです。     (岡田 久)

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