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無から有を呼び出す神 (ローマ4・16~25)

メッセージ

2010年10月24日富里キリスト教会
「無から有を呼び出す神」
(ローマ書4:16~25)

1.アブラハムの発見

4章の1節にこうあります。「では、肉による私たちの先祖アブラハムは何を得たというのでしょうか。」と。この1節の中の「何を得たか」という言葉は、実は原語では「何を発見したか」となっています。(英語では、Find=見つける)つまり、あの信仰の父アブラハムは、当時一体何を発見したのだろうかと言うのです。アブラハムは何かを発見したのです。ダビデも律法の中から何かを発見しました。アブラハムも、その息子イサクも、その息子ヤコブ、そしてエジプトから脱出したモーセも何かを発見したのです。ただ単に十戒を書いた石盤を読んだだけではなく、律法の巻物を読んだだけではなく、その教えの中に神の真理を発見したのです。

それは何かというと、「信仰」の発見でした。そのことが、次の3節以降に書いてあります。
「聖書には何と書いてありますか。『アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた。』とあります。ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。同じようにダビデも、行いによらず神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。」(ローマ4:3~6)

アブラハムの発見は、神を信じたということです。どういう神か、それは「不信心な者も義とされる神」です。そして「働きがなくても義としてくださる神」です。さらに「行いがなくても義としてくださる神」です。この神を、あの旧約聖書の信仰の先輩たちは信じたのです。アブラハムもダビデもです。特にダビデは、自分がどんなひどい事をしたのか、自分の部下を殺し、その妻を自分の妻にし、ひたすらそのことを隠し続けました。そんな恐ろしい人間でも、罪を悔い改めるならば、その罪を赦し、罪を覆い隠し、罪ありとみなさない神様だということにダビデは気がついたのです。(4:7~8、サムエル記下11章)

アブラハムは、確かに75歳で、神様が約束の地カナンを目指して行きなさいといわれた時、行く先を知らずに一族で出発しました。すばらしい信仰の旅のスタートをきりました。しかし、途中で生活に困ると自分の妻を妹だと言って、偽って王様に差し出して、自分は難を逃れようとしました。しかも2回もそういうことがありました。あの信仰の父アブラハムが、そんな事をしたのかと思うほど恥ずかしいことをしてしまいました。それでも、そんな不信心な人間でありましても、「アブラハムは、神を信じました。そして主はそれを彼の義と認められたのです。」(創世記15:6)これがアブラハムが発見した信仰だったのです。働きがなくても、行いがなくても、義として罪を赦して下さる神様と出会ったのです。

2.無から有を呼び出される神

「『私はあなたを多くの民の父と定めた』と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していない者を呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前で私たちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ100歳になっていて、すでに自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰は弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。」(4:17~21)

アブラハムの信仰は、最初は神様のみ言葉に従って、出発した信仰でした。そして、神様の祝福の言葉、あなたの子孫を星の数のようにするという約束を信じました。しかし、現実は100歳になっても子どもが与えられません。普通は、「神は我を見捨ててしまったのか!あの約束はどこへ行ったのか!」と神に不平を言いたくなります。あるいは、完全に諦めてしまうかも知れません。でも彼は希望するすべもなかったのに、どこまでもこの主の約束を信じ続けました。「神は無から有を呼び出す力のある方である」と信じていました。アブラハムの信仰は、先が見えない困難や人生のいろんな失敗や試練の中で、弱ってしまうのではなくむしろ、だんだんと強められ成長させられていったのです。

芸大出身で世界的なピアニストの方がおられます。舘野泉さんとおっしゃいます。この方は8年前に、脳溢血でステージで倒れられ、右半身麻痺になりました。ピアニストにとって生命線である右手はおろか、右半身がきかなくなってしまったのです。舘野さんは、演奏活動を断念して2年間、必死に療養とリハビリに専念しました。おかげさまで、何とか生活できるようにはなりましたが、右手は戻りませんでした。ピアニストにとって右手が使えないということは致命的です。せめて左手でもということで、左手の練習曲を弾いてみました。ところが、左手だけの練習曲ですが、一つ一つの音が左手だけでしか出せない新しい音がでて来たのです。そして驚く事に、両手で引く場合と勝るとも劣らない音色が出せたのです。これ以来、舘野さんは左手だけの演奏曲を作曲され、新境地を開かれ、世界的にも認められるようになってきました。そして以前にもまして演奏活動が増えたのです。昨年は、この芝山町のホールでも演奏会を開催されました。

私たちの望みが立たれたところから、自分の人生がもはや終ったというところから、自分の思いをはるかに超えた神様の不思議な業が始まってくることがあります。これが「無から有を生じる神」の働きではないかと思います。

3.死人を生かす神

この17節のみ言葉を、口語訳聖書では、「死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」となっています。この方が、解りやすいしインパクトがあるような気がします。つまり神様は死人をも生かす方だという信仰を持っていたのです。人間にとって死というのは、大きな恐怖です。死なないために保険に入り、健康に気をつけ、食事に気をつけ、常に細心の注意と関心を払っています。私たちの社会と生活はこの死と背中あわせで生きているといっても過言ではありません。

そしてアブラハムにとって最後の試練が、あの一人息子イサクを献げよと言うご命令でした。彼はこの非情ともいえる神の命令に悩みはしました。でも、最後には信仰を持って従いました。それは、神は死人を生かす神、死者に命を与えることのできる方だということを確信していたからです。たとえ自分の一人息子を死なせても、神は自分の息子を生き返らせてくださるという信仰を持つに至ったのでした。(ヘブライ11:17~20)

そして、アブラハムは、この最後の試練であるイサクをささげるということを通して、もう一つ、神様から大切な事を教わりました。それは、自分の最も大事なもの手放すという信仰です。目に入れても痛くない自分の宝物である一人息子イサクを献げるということは、自分自身を捨てるに等しい行為です。でもこの試練を通して、彼は信仰というものは自分を捨てる事だと言う事も学びました。神の約束の御言葉に従うということは、ある意味では自分を捨てる、自分の意志を捨てる、自分の義しさを捨てるということです。自分自身を捨てなければ、この神様の約束に預かることができないと言う事です。

彼は年を経るにしたがって、自分の体の弱さ、限界と言うものを感じておりました。人間の肉の目から見るならば、だんだん約束の実現から遠ざかって行くことを感じました。でも、状況が絶望的になればなるほど、逆に彼は、死者に命を与える神に信頼し、その神によりすがって歩むしかありませんでした。まさに、信仰による義人は生きるという御言葉のとおりです。

聖書には、18節に「彼は希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱いて、信じた」とあります。(口語訳では「彼は望み得ないのに、なお望みつつ信じた。」)
つまり、自分の力、自分の考えでは全く実現不可能と思われるような現実の中に置かれていればいるほど、神の約束を信じることしかできなかったのです。

4.私たちもアブラハムの子孫

おそらく、最初にここに土地を買って集会を始められた時は、もっと人家がなかったと思います。でも最初に集まった方々は、そして最初に遣わされた宣教者は、「無から有を呼び出される神」を信じたのです。存在していない者を存在せしめて下さる神を信じて、ここに教会を立てました。そして、教会をこの北総地域の伝道の拠点としたのです。まだ千葉県北部、東部にはバプテスト教会はありません。でも信仰を持った人々は、やがてこの北総の町々にもバプテスト教会が建てられることを、はるかに仰ぎ望んで信じて、伝道してきました。無から有を生じる神を信じてきたのです。私たちも彼らも皆、アブラハムの子です。信仰の民、霊のイスラエルなのです。

私たちは地上では旅人です。でも約束の地を目指して、今旅を続けています。たとえ、現実的には不可能のように思えても、「死人を生かし、無から有を呼び出して下さる神」には不可能な事はございません。この信仰による義人は生きることができます。この神の約束を信じて、ひたすら主の宣教の御業に励んでまいりましょう。                     (岡田 久)

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