ようこそ、富里キリスト教会の公式ホームページへ

愛の預言 (Ⅰコリント14:1~4、23~33)

メッセージ
2018年5月20日富里キリスト教会
「愛の預言」
(Ⅰコリント14:1~4、23~33)
1.ペンテコステの出来事
主の御名を賛美します。
今日はペンテコステ礼拝です。主イエス・キリストは復活されてから、40日間弟子たちに復活の事実を語り伝えました。中には復活を信じないものもいましたが、イエス様も苦労して復活の事実を宣べ伝え、弟子たちもようやく復活を信じることができました。そして弟子たちは、エルサレムの二階の部屋で、120人ほどが一緒に集まって祈っていました。そして主が天に帰られてから10日目に、そして復活されてから50日目に、突然激しい風が吹いてきて家中に響き渡りました。すると燃える舌が現れて一人一人の上に留まったのです。

そうしましたら、弟子たちは聖霊が語らせるままに他国の言葉を語り始めました。その様子はまるで、ぶどう酒に酔っているような状態だったとそばにいた人が証言しています。私達もそうですね。普段おとなしい人が、お酒が入ると突然雄弁になって話し出すことがあります。それはアルコールの力で、恥ずかしいとか体裁を繕うという感情がなくなって、自分の本音を出して人目を気にしないで話す時のようなものです。皆さんの中にもおられませんか。普段はおとなしく無口ですけれど、お酒が入ると突然雄弁になって話し出すような人は。でも聖霊に酔うのとアルコールに酔うのとは、話す内容が違います。聖霊様は福音を語ります。アルコールはしつこくなります。相手かまわず話します。でも聖霊様は、相手のことを思って話します。

その相手のことを第一に考えて話すということの証拠は、ほかの国の言語で話し出したというのです。当時エルサレムには、外国からたくさんの人が来ていました。そしてその外国人の言葉で、弟子たちが話し始めたのです。しかも自分が行ったこともない国の言葉です。話したこともない国の言葉を突然話し始めたのです。

Today is the Pentecostal worship. About two thousand years ago, the holy Spirit had poured down on the disciples at first time. They were praying together in one mind on the upstairs in Jerusalem. Bible says “when the day of Pentecost came, they were all together in one place.
Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting. They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. All of them were filled with the Holy Spirit and began to speak in other tongues as the Spirit enabled them” (Act2:1-4)
They were filled with Holy Spirit and spoke the other languages to the people who had been in Jerusalem from all around the world. In contemporary way I speak, some of you spoke out the foreign languages suddenly. That is the way the Holy Spirit is working. Holy Spirit is working to other peoples to encourage and comfort not for myself. This is the gift of prophecy through the Holy Spirit. And Paul ask us to follow the way of love and especially the gift of prophecy.

このペンテコステの出来事は、教会の上に初めて聖霊が下された記念すべき出来事ですが、それは今も続いております。今も聖霊が降り、聖霊が働かれ、全世界に向けて伝道が行われています。わたしも説教の中で、途中で英語を入れて話しています。それはまだ日本語が解からない方々のために、英語だったら少しは通じるのではないでしょうか。いつも説教を作ってから英語の文章も作るのですから少し大変です。でも、クマリさんやセンデ二さんが、少しでもメッセージが解かるようにと思って努力しています。実際、私の宣教の通訳は大変です。前に、菊地姉や菅原姉にお願いしましたが、とても大変だということでした。

2.異言と預言

「愛を追い求めなさい。霊的賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。異言を語るものは、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語るものが自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。」(Ⅰコリント14:1~4)

なんでコリント教会が、多くの問題を抱えた教会であったかと言いますと、それは基本的にはその根底に自分を誇りたい、自分がこの教会の一番になりたいという人間のエゴと言いますか、自分中心という罪がその根底にあったからです。分裂分派の問題、性的乱れの問題、偶像礼拝と食べ物の問題、コリント教会が一致できずにいる最大の原因は、結局は自分中心、自分を誇りたいよく見せたいトップになりたい、この教会を支配したいという人間の罪の問題が、教会員の中にあったのです。

ですからパウロはいくら良い説教をしても、たくさん献金しても、自分を犠牲にするような殉教をしても、その根底に愛がなければ皆空しい、見せかけのものだ、と言って批判しました。信仰、希望、愛、この中で一番大いなるものは愛ですと言いました。そしてあなたがたが、この愛を追い求めなさいと言っています。この愛という最大の賜物を熱心に求めなさいと言っています。いかがでしょうか?皆さん愛を追い求めているでしょうか。愛の賜物を熱心に、夜昼たゆまず祈り求めているでしょうか。

「特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。」と言っています。何よりも大事なことは、自分がこの愛の賜物を願い求めることです。ヤコブ4:1にこうあります。「あなたがたは欲しても得られず、人を殺します。また熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても与えられないのは、自分の楽しみに使おうと間違った動機で願い求めるからです。」(ヤコブ4:2~3)神に祈り求めることをせず、人のものばかり欲しがる人には与えられません。結局熱望しても、手に入れようとしても、まず神に祈っていないから与えられないのですと言っています。神に祈り求めるならば必ず与えられます。

ですから大事なことは、あの人はいい仕事についているとか、ほかの人のことをうらやんだり、それを欲しがったりすることではなく、まず第一に神に願い求めることです。そうすれば与えられます。愛を追い求めなさい。特に預言する賜物を熱心に求めなさいと言っています。預言とか説教というのは、牧師だけの専売特許ではありません。誰でも求めれば与えられます。もし今そのようなメッセージを語る奉仕をしているならば、さらにもっといいものを願い求めればいいのです。そうすれば神は必ず与えて下さいます。

Paul says “Make love your aim, and earnestly desire the spiritual gifts,
Especially that you may prophesy.” (14:1) Do you desire the spiritual gift of prophecy? Do you seek and pursue the love of God eagerly? If you really want to have a gift of prophesy, God will give you more than you want. James says “when you ask you mast believe and not doubt.・・・you want something but you cannot have what you want,
The reason why not to get is you do not ask God” (James1:5, 4:2)
So let us simply ask God who will give us good things. Only to ask God.
Don’t compare with other person, don’t be jealous to others, don’t envy to others. The best way you can do is to ask to God. That is an only and simple way you can.

そしてこの愛の賜物である預言の賜物は、人に向かって語り、人を造り上げ、人を励まし、慰めます。さらにそのことによって、教会を造り上げるのです。どんなに素晴らしい説教をしても、もしその人のうちに愛がなければ、その説教は鼻持ちならない説教ですよね。それは説教を聞く皆さん方の方が敏感に感じ取ります。先週の松原先生のように、愛があるならば、子供についてのメッセージでありましても、聞く者の心を揺さぶります。心に響いてきます。それは皆さんの方が敏感に感じ取り、厳しく評価します。人を造り上げる説教です。そういう説教が教会を建て上げると、パウロは言っています。

一方異言を語る人は、自分がこんな賜物を持っているのよ、と人に自慢するようにして語ります。でも、その異言の祈りを聞いている人は、本人が何を言っているのか全く見当がつきません。異言で祈ることは悪いことではないですが、聞く人を建て上げたり、励ましたり、慰めることにはならないというのです。ですから教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、たった5つの言葉を預言で語る方が優れているのです。

3.教会での集会の持ち方

そこでパウロは教会の実際の集会は、どうあるべきかということを具体的に教えています。「教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だと言わないでしょうか。反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、心のうちに隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、『まことに、神はなたがたの内におられます』と皆の前で言い表すことになるでしょう。」(14:23~25)

預言を語っている集会の様子が述べられています。教会の礼拝の中でしょうか。あるいは教会学校の分級でしょうか。あるいは家庭でのスモールグループの場面でしょうか。ともかく教会の集会の様子が描かれています。その集会で、全員が意味の分からない異言を語っているとしたら、新来者の方は、びっくりしてしまって二度と教会に来なくなるというのです。確かにそうです。わけのわからない異言でみんなが祈っていたら、おそらく気違いの集団だと思ってしまうでしょう。でも、誰にでもわかる普通の言葉で、お互いに証をしたり、讃美を歌ったり、祈ったりしているならば、初めての人の心の秘密が明らかにされて、自分の罪を示されて、神の前にひれ伏すといのです。これが伝道の最前線です。

我れ勝手にしゃべったりしないで、リーダーの導きによって秩序正しくプログラムに従って語り、集会に働いている聖霊様の流れを妨げないようにして、リーダーは祈り心をもって集会を導きます。集会の中に働く聖霊の働きに敏感に対応します。プログラムとしては、14:26にありますが、「あなたがたは集まった時、それぞれ詩編の歌を歌い、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。・・・座っている他の人に啓示が与えられたら、先に語りだしていたものは黙りなさい。皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人がみな、預言できるようにしなさい。」(14:26、30~31)

皆さんもスモールグループをやっていますから、この集会の流れはよく知っていると思います。神の聖霊は集会の中で自由に働きますから、リーダーや牧師だけではなく、集会に参加している人ひとりひとりに自由に働いて、預言をさせてくださいます。その人の証や言葉を全員が真剣に聞くのです。そしてお互いに、励ましあい、助け合い、慰めあい、そして時には戒めあって集会を持つことが教会の生命線でもあったのです。それは昔も今も変わりはありません。

Paul taught us how to have a worship and meetings in the church.
We should speak the prophesy in the meetings not tongues. He says
“If the whole church comes together and everyone speaks in tongues and some who do not understand or some unbelievers come in, will they not say that you are out of mind? On the other hand while everybody is prophesying, unbelievers and new comers came in that meeting they will be convinced that they are sinners and will be judged by all and then they will fall down and worship God, exclaiming “God is among you!” (14:23-25)
So we should seek and ask the gift of prophesy to declare the secret of our heart and confess our sins each other, and encourage and comfort each other to build up the church.

教会学校の成人科のクラスや、家庭でもスモールグループでは、参加者の心の声をお互いに聞くことができます。そこに祈りが起こり、いやしが起こり愛の絆が結ばれてゆきます。大きい教会になればなるほど、このような小グループでのきめ細かい交わりが必要なのではないでしょうか。日々の具体的な家庭の問題や夫婦の問題、人間関係についての相談があります。そしてリーダーの方々は、本当に真剣にそのことを我がことのように心配し、祈り励ましてくださっています。それには私も本当に頭が下がる思いです。

そういう愛の交わり、愛の預言の集会をもっともっとこの北総の地に増やしてゆきましょう。そのためにも働き人が必要です。リーダーを、預言の賜物を持った働き人を起こしてくださるよう祈ってゆきたいと思います。わたしのビジョンは、この北総、東総の地に、あの教会の庭に咲いている小さな庭ぜきしょうの花のように、びっしりとくまなくそのような集会が起こされることです。今日はペンテコステ礼拝です。神の聖霊は今も私たちの教会に、そして私たちの上に降り注いでいます。あとはわたしたちが求めるだけです。皆さんはどんな賜物を求めていますか?遠慮せずに求めてください。そうすれば必ず与えられます。これは本当です。最後に、今日のみ言葉を読んで終わりたいと思います。
「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。」(14:1)         

powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional